犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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夢に見る

2019年10月13日 | 日々
[あらすじ] 中学二年生の時に、部活の夏合宿中、台風が来て避難した。

なんてな事を思い出したせいだろうか。
そんな頃を舞台にした夢を見た。



台風は本州を北上している。
さすがに勢力は落ちてきたとは言え、元々が強大だ。
北の地は今、荒れていることだろう。

東京の空はやけに穏やかで、星がきれいで、虫の声がするばかりだ。
(午前4時)

台風の移動が速くなっている。
風に加速度が加わるのは困るが、早いとこ通り過ぎて行ってくれたほうがいい。



ひとさまの治療なんかしていると、
病気の原因とは何か、考えさせられることが多い。
いや、考えると言うと語弊が有る。
ただただ観察して、なるべく観察して、事実を総合する。
総合するときに、自分の考えが混じってくると、間違いが生じがちだ。

だからいつも、そのときそのときの観察を大事にする。
とは言え、観察の積み重ねの中でパターンのようなものができてきたりする。
型にはめて対象を見ると、思い込みが混じって見間違えがちだ。
あくまで、先入観となってはいけないが、パターンというものも無くはない。

その一つが、
何かの原因・きっかけが有る、というふうに本人の中で症状との関連付けがはっきりしているものは、
治りにくいっぽい。というのが有る。
何か、というよりは、誰か、というほうが正確かもしれない。
つまりは、「あいつのせいで」という思いが有ると、症状は消えにくい。
雑な言い方だが、交通事故のむち打ち症などが治癒しにくくこじれやすいのは、
この部類のような気がする。

似ているのが、
子どもの頃にいじめられた感情である。
現在抱えている症状と直接関係しているとは、思いにくい。
できごとは感情で、症状は身体だからだ。
しかし、病は気からの言葉どおり、心は身体に訴え出る。

だから、いじめられた経験なんか、とっとと捨てたほうが良い。

ところがこれまたパターンとして、いじめた側はいじめられた側ほど
憶えていない。
10年20年を経て偶然再会すると「会いたかったーー!」なんて
いじめていたヤツが言ったりする。
いじめられていた側は、二度と会いたくないと思っているのに。

先方はそんな調子なので、
相手を許す必要は無い。
経験を忘れることも難しい。
ただ、後生大事にいじめられ経験を抱え込み、相手をうらむような気持ちは
捨ててしまったほうが良い。
捨てられるまでは相手に会うことは回避しておく。

臭いものには蓋、というやり方だと、潜伏するだけで却ってこじれる。
手元に置かず、捨てるのがよろしい。



どうやら私は捨てそびれていたのか、
台風の記憶をきっかけになのか、夢を見た。
夢は、高校の卒業式ももう今日か明日か、という日が舞台であった。

前提として、
私は中高一貫の学校に通っていた。
中学生の頃に陰湿な、今思えばいじめと呼んで良い経験をした。
中高一貫なので、高校三年まで同級生は同じ顔ぶれである。

夢。
学校でのこと。
教室に、荷物が届いている。
私は当番か何かで、みんなに荷物を届ける役目が有る。
何か、10人くらいの人たちが注文した品のようだ。
荷物というより、プリントのようだ。
内容が見える。
何かの占いの結果のようだ。

何人かに配って行く中、その占いを注文したまとめ役の生徒が、
他の生徒に希望を募った手紙が出てきた。
中心のその生徒は、中学の頃に私に陰湿な意地悪をした生徒だった。
そして、手紙の冒頭には、「須山には読まれないようにね!」と書いてあった。

私は、別に私に隠してコソコソすること無いのに。と、
あきれて構う気もしないという気持ちと、
これは告発してやる、中学の時の事も合わせて声に出してやる。という気持ちと
両方が有った。
怒っていた。

夢は以上だ。
夢にありがちなのが、舞台は子どもの頃で、気持ちは現在、というものだ。
この夢でも、はっきりと声に出して言ってやる、という気持ちは現在のものだ。
中学生の頃の私にはできなかったことだ。
はっきり言い返せない、そんな子だったからこそ、陰湿なことをされたとも言える。
いじめられる側にも原因が有る。と言っているのではないよ。
陰湿なことをするヤツは、大して強くない。
傍若無人に振舞ってもやり返してこない相手が都合良いのだ。



舞台は高校生の時で、できごとの根っこは中学生の時のことだが、
感情は現在のものだ。
私はなんとなく、根に持っているのだろう。
というのも、オトナになってから、いじめっ子たちに会ってみたら、
あいかわらずだな、と思えるお人柄だったからだ。

こちらもあいかわらずの偏屈なのだから、相手もあいかわらずだろうさ。お互い様だ。
とにかく、無理に付き合うことはない。
きれいに捨てることができたら、また会ってみてもいいかもしれない。
でもきれいに捨てちゃったら、「ハテどちらさまでしたっけ」ってなくらいの気持ちになるだろう。
つまりいづれにしろ、会わないのだ。
会わない人のありようなど、気にするのは無意味だ。



台風は必ず過ぎ去る。
ただ、傷跡が残ると困る。


各地の回復が円滑でありますように。
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