犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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お端渓vs雄勝

2023年01月08日 | 書の道は
ばかきぞめをした。

まじめにやっとれん。
なんせ、なんだか能書家だったらしいお祖父様の持ち物であった
端渓の硯を使おうってんである。

幼なじみ友人Mを誘う。
端渓を使おうぜ、と言ったら、
「じゃあ飛びっきり馬鹿々々しい言葉を書かなきゃね」という返事。
よく分かってらっしゃる。



結果、先日ここにも書いたように、
後片付けがよろしくなかったせいで、
端渓の台の紫檀だか黒檀だかの木の枠にヒビを入れてしまった。

本当に愚か者なのであるよ。



お端渓で墨をおろしてみると、
とんでもなく磨り心地は固くって、
「キィィィ、キシィィイィ、」と
背筋の凍るような音がする。

墨を斜めに持ってみて、なんとか音が出なくなる。

墨を磨る時は「の」の字を描くように。
というのは、
外回りに回すと力が脱けるからではないか。
ということを先日ここに書いた。

力が脱ければ、「キィィイ」も鳴らない。

しかし、一向に墨は濃くならない。
すれどもすれども、墨らしい粘りが出てこない。
ただ手元に寒気のする固い感触が伝わるばかりである。

うーん。
お端渓の価値が私には分からない。



雄勝に行った時に買った自分の硯を使うと、
すり心地も適度にやわらかく、
そして、すばやく墨がとろりと濃くなる。

いい。



20年くらい前、毎年5月に車で東北を旅した。
ろくに下調べをせず、しかしそれが行き当たりばっちりで
楽しい旅であった。

海沿いの道を走り、湾にさしかかったところで、
看板を見付けてすぐに車を停めた。
エンドー硯館。

硯職人の遠藤さんにたくさん話を聞いた。
遠藤さんのお父さんは山から石を伐り出してくる職人であった。
石には硬い白と軟らかめの黒と、中間のねずみが有る。
その頃すでに、ねずみの石を切り出すことは禁止されていた。

とんと書もしなかったけれど、私は一つのねずの硯を買い求めた。

10年くらい後、東日本大震災が起きた。
雄勝湾の地形は津波を強めた。
有名な、建物の上にバスが乗っかってしまったのは、雄勝である。

遠藤さん自身の無事は、娘さんのツイートによって知ることができた。
3年後、私はふたたび東北の太平洋岸を旅した。
目的の一つは、遠藤さんに会うことだった。

以前の店舗は無くなってしまった。
道路を挟んで反対の陸地側に、仮の小屋を構えていた。
また、たくさん話を聞くことができた。
エンドー硯館に蓄えてあった多くの石は、津波で押し流されてしまったのだという。

私が書を始めるのは、また更に後のことである。



友人Mは、先生に貰ったという中国の墨を持って来た。

私ほど「キシキシ」いわないで済んでいた。
墨と硯の相性というものも有るのかもしれない。

友人Mが使った後のお端渓を見てみると、
石にいくつも痕がのこっていた。

やはり、硬いのではないか。



お端渓の収まっている箱にならって
「端渓」と書く。

そして、愛用の硯の産地、宮城県の
「雄勝」と書いた。
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