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ばかきぞめをした。
まじめにやっとれん。
なんせ、なんだか能書家だったらしいお祖父様の持ち物であった
端渓の硯を使おうってんである。
幼なじみ友人Mを誘う。
端渓を使おうぜ、と言ったら、
「じゃあ飛びっきり馬鹿々々しい言葉を書かなきゃね」という返事。
よく分かってらっしゃる。
※
結果、先日ここにも書いたように、
後片付けがよろしくなかったせいで、
端渓の台の紫檀だか黒檀だかの木の枠にヒビを入れてしまった。
本当に愚か者なのであるよ。
※
お端渓で墨をおろしてみると、
とんでもなく磨り心地は固くって、
「キィィィ、キシィィイィ、」と
背筋の凍るような音がする。
墨を斜めに持ってみて、なんとか音が出なくなる。
墨を磨る時は「の」の字を描くように。
というのは、
外回りに回すと力が脱けるからではないか。
ということを先日ここに書いた。
力が脱ければ、「キィィイ」も鳴らない。
しかし、一向に墨は濃くならない。
すれどもすれども、墨らしい粘りが出てこない。
ただ手元に寒気のする固い感触が伝わるばかりである。
うーん。
お端渓の価値が私には分からない。
※
雄勝に行った時に買った自分の硯を使うと、
すり心地も適度にやわらかく、
そして、すばやく墨がとろりと濃くなる。
いい。
※
20年くらい前、毎年5月に車で東北を旅した。
ろくに下調べをせず、しかしそれが行き当たりばっちりで
楽しい旅であった。
海沿いの道を走り、湾にさしかかったところで、
看板を見付けてすぐに車を停めた。
エンドー硯館。
硯職人の遠藤さんにたくさん話を聞いた。
遠藤さんのお父さんは山から石を伐り出してくる職人であった。
石には硬い白と軟らかめの黒と、中間のねずみが有る。
その頃すでに、ねずみの石を切り出すことは禁止されていた。
とんと書もしなかったけれど、私は一つのねずの硯を買い求めた。
10年くらい後、東日本大震災が起きた。
雄勝湾の地形は津波を強めた。
有名な、建物の上にバスが乗っかってしまったのは、雄勝である。
遠藤さん自身の無事は、娘さんのツイートによって知ることができた。
3年後、私はふたたび東北の太平洋岸を旅した。
目的の一つは、遠藤さんに会うことだった。
以前の店舗は無くなってしまった。
道路を挟んで反対の陸地側に、仮の小屋を構えていた。
また、たくさん話を聞くことができた。
エンドー硯館に蓄えてあった多くの石は、津波で押し流されてしまったのだという。
私が書を始めるのは、また更に後のことである。
※
友人Mは、先生に貰ったという中国の墨を持って来た。
私ほど「キシキシ」いわないで済んでいた。
墨と硯の相性というものも有るのかもしれない。
友人Mが使った後のお端渓を見てみると、
石にいくつも痕がのこっていた。
やはり、硬いのではないか。
※
お端渓の収まっている箱にならって
「端渓」と書く。
そして、愛用の硯の産地、宮城県の
「雄勝」と書いた。
まじめにやっとれん。
なんせ、なんだか能書家だったらしいお祖父様の持ち物であった
端渓の硯を使おうってんである。
幼なじみ友人Mを誘う。
端渓を使おうぜ、と言ったら、
「じゃあ飛びっきり馬鹿々々しい言葉を書かなきゃね」という返事。
よく分かってらっしゃる。
※
結果、先日ここにも書いたように、
後片付けがよろしくなかったせいで、
端渓の台の紫檀だか黒檀だかの木の枠にヒビを入れてしまった。
本当に愚か者なのであるよ。
※
お端渓で墨をおろしてみると、
とんでもなく磨り心地は固くって、
「キィィィ、キシィィイィ、」と
背筋の凍るような音がする。
墨を斜めに持ってみて、なんとか音が出なくなる。
墨を磨る時は「の」の字を描くように。
というのは、
外回りに回すと力が脱けるからではないか。
ということを先日ここに書いた。
力が脱ければ、「キィィイ」も鳴らない。
しかし、一向に墨は濃くならない。
すれどもすれども、墨らしい粘りが出てこない。
ただ手元に寒気のする固い感触が伝わるばかりである。
うーん。
お端渓の価値が私には分からない。
※
雄勝に行った時に買った自分の硯を使うと、
すり心地も適度にやわらかく、
そして、すばやく墨がとろりと濃くなる。
いい。
※
20年くらい前、毎年5月に車で東北を旅した。
ろくに下調べをせず、しかしそれが行き当たりばっちりで
楽しい旅であった。
海沿いの道を走り、湾にさしかかったところで、
看板を見付けてすぐに車を停めた。
エンドー硯館。
硯職人の遠藤さんにたくさん話を聞いた。
遠藤さんのお父さんは山から石を伐り出してくる職人であった。
石には硬い白と軟らかめの黒と、中間のねずみが有る。
その頃すでに、ねずみの石を切り出すことは禁止されていた。
とんと書もしなかったけれど、私は一つのねずの硯を買い求めた。
10年くらい後、東日本大震災が起きた。
雄勝湾の地形は津波を強めた。
有名な、建物の上にバスが乗っかってしまったのは、雄勝である。
遠藤さん自身の無事は、娘さんのツイートによって知ることができた。
3年後、私はふたたび東北の太平洋岸を旅した。
目的の一つは、遠藤さんに会うことだった。
以前の店舗は無くなってしまった。
道路を挟んで反対の陸地側に、仮の小屋を構えていた。
また、たくさん話を聞くことができた。
エンドー硯館に蓄えてあった多くの石は、津波で押し流されてしまったのだという。
私が書を始めるのは、また更に後のことである。
※
友人Mは、先生に貰ったという中国の墨を持って来た。
私ほど「キシキシ」いわないで済んでいた。
墨と硯の相性というものも有るのかもしれない。
友人Mが使った後のお端渓を見てみると、
石にいくつも痕がのこっていた。
やはり、硬いのではないか。
※
お端渓の収まっている箱にならって
「端渓」と書く。
そして、愛用の硯の産地、宮城県の
「雄勝」と書いた。
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