犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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河口慧海『チベット旅行記』

2019年10月16日 | よみものみもの
まだ読み終えていない。
ちびちび楽しんでいるので、いつ読み終えるか分からないから、とっとと書くことにした。



[あらすじ] デイリーポータルZの「ここはどこでしょう?」という記事が好きだ。
3葉の写真が出題される。
写真からヒントを探し出して、撮影地をつきとめるのだ。

そんな遊びをしていると、いろんなことを知る。
例えば、橋が写真に写っていたとして、
それがどこの橋かつきとめるために、橋の特徴を言葉にして検索する。
すると、トラス橋という形を知り、写っているのはその中でもワーレントラスというものだと知る。
ついでに、他にプラットトラス、ハウトラス、直弦、曲弦など種類が有ることを知る。

回答者は、解答に至った道筋も投稿する。
他の人の観察ポイントや推測の過程を読むと、
見落としていたことに気付かされたり、
自分の道筋よりもスマートなものに感心したり、
ずいぶんな回り道や虱潰しをしても正解に辿り着いていることに驚いたりする。

感想の中にもやはり、
「〇〇という物を初めて知りました。」という感想は多い。

知らなかったものにでくわす感覚が好きな人が、
「ここどこ?」で楽しんでいるのだろう。

まあ、旅行に行けるのが一番なのだが。



その写真は、人物の像であった。
なんか妙な三角の帽子をかぶった人が、何かを背負って歩いている。
前かがみになっているのは、荷物が重いからか、登り道か、疲れているのか。

よく見ると、何か動物を連れている。
牛っぽい顔だが、人物の腰くらいの高さだから、羊か山羊か。

台座に篆書で銘が入っている。
「河口●●顕彰之像」とある。
後でわかったが、「之像」ではなく「立像」であった。

●の部分はわからないが、これだけ読み取れれば検索するには充分だ。

河口慧海という坊さんの像らしい。
堺市にあるという。

1866年に堺で生まれ、出家し、二回チベットに行っているそうだ。
当時のチベットは厳重な鎖国をしていたので、
一旦インドに入ってそこでチベット語を学び、
ネパールから裏道でチベットに入り、チベット人のふりをしてチベット寺院で学び、
日本人だとバレそうになったのでまたヒマラヤを越えて帰国。
数年後にもう一度チベットに行った、
という傑物だという。

驚いちゃったね。

日本で出家して、経典を読んでいても、納得しなかったのだそうだ。
日本のお経は、漢訳つまり中国語に訳されたものを読んでいる。
サンスクリットの仏典が読みたい。
元々の教えが知りたい。

チベットに入った経典は古く、また、サンスクリットとチベット語の文法が近いこともあって、
原型に最も近いものが有るという。
それを知った慧海は、単身、鎖国のチベットに乗り込むのだ。
なんつう欲求と行動力なのだろう。



岩波文庫の般若心経なんか読んで、サンスクリットがカタカナで書いてあるけど
どんなもんかいなー、さて勉強してみましょう、
インターネットで情報探して、教科書はネットショップで買って、
訳も、原文も探せばネット上に見つかって、

などという屁ぬるい勉強を私はしている。
中国古典医学を勉強した時も思ったが、
古典は著作権の問題が無いので、ネット上で無料で資料を入手できる。
ムカシだったら分厚い本を買ったりコピーしたり、その前の時代なら書写したりせねばならなかったが、
今、古典を学ぶのは実にお徳である。

慧海は経典や仏像や植物の標本などを持ち帰った。
帰国後は仏典研究やチベット語辞典の編纂に没入し、在家仏教という形を提唱したそうだ。

チベットから帰って書いた『西蔵旅行記』を私は今、
スマホのkindleで無料で読んでいる。なんて安易なんだ。
この上、慧海の辿った道程を、グーグルマップでチェックしている。
ああ温室から高見の見物。

今、私がぬるぬるとサンスクリットを学べるのも、
慧海が財産と命を賭けてヒマラヤ越えてくれたおかげなんだろう。
サンキュっ



墓は青山に在り、亡くなったのは世田谷区代田だそうだ。
せめて参詣しておくか。
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