犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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世界遺産あぶらぞうめん

2021年08月04日 | たべもののみもの
特別養護老人ホームに入居している母88歳は、
「月刊奄美」という新聞を取り続けている。
昭和52年に発行になった『奄美方言分類辞典』の編纂にたずさわったので、
奄美大島にひときわ思い入れが有るのだ。

今月号の一面は、今までに無いような大きな見出しだ。
「奄美大島、徳之島 世界自然遺産に」

絶滅危惧種95種が分布していて、
しかもそのうちの75種が奄美の固有種だという。



15年近く前、鍼灸の専門学校に通っていた。
学生たちの年齢や経歴はバラバラだった。
高卒の若者なんて1割もいなかった。

親しくなった一人がある時、前職についてちょっと触れた。
リゾート開発の会社に勤めていて、奄美大島に土地を買うための
交渉の仕事をしていたと言う。
悪い仕事であるということを、どんな言葉だったか忘れてしまったが、
とても自嘲して言っていた。

2003年には候補地になっていたようだ。
リゾート開発、観光という流れでお金が入らないのであれば
待ちわびられた世界遺産指定だったろう。



島は「ワイド、ワイド」の歓声があふれていると記事にある。

「六調」というリズムで踊る。
沖縄で言うところのカチャーシーだ。



二十歳になった夏に、奄美大島と加計呂麻島を訪れたことが有る。
高校の同級生が誘ってくれた。
その友人の知り合いの家に一泊させてもらったが、
奥さんは歓迎しているわけでもない感じでひどく気まずかったのを憶えている。

小さな海峡をはさんで隣り合わせの加計呂麻島に、
二泊くらいしたのだったか。
小さな民宿には、道路の測量の仕事のため3人の人が連泊していた。
現場の長は内地、鹿児島県から派遣された人で、2人は奄美の人だった。

同級生はこのうちの一人と、夜の浜に愛の逃避行を決め込んだ。
なんじゃそりゃ。
ちょうど失恋した直後だったのも有るようだ。

その後、同級生は加計呂麻に留まり、私だけ大島に戻るということに
予定を変更した。
予約していたビジネスホテルをキャンセルしたり、
飛行機の予定を変更したり。

おかげで、一人で名瀬市の「全島民謡大会」を観に行くことができた。
老若男女の歌自慢が次々にステージに登場して歌う。
最後はやっぱり六調だ。
客席も盛り上がる。
ステージに上がって踊る人もいる。
でっぷりと太ったおばちゃんがおもむろにステージに上がって、
頭の上に大きな焼酎の瓶を乗せて、踊る。一例して、席に戻る。
最高だ。



私は小娘だったので、島の人と話してみたりだとか、
どうせ予定が変わったのだからとあちこち歩きまわってみたりだとか、
そういうことはできなかった。

ただ、小さな港町の市民会館が沸くのを見られたし、
唯一のレコード店であるセントラル楽器にも行ってゆっくり買い物もできた。



民宿で、測量の監督さんが夏バテしていた。
「毎日これよ。食べきらんよ。
こっそり縁の下に捨てたんよ。」
毎日々々、焼きぞうめんばっかり出されたら、そうかもしれない。

沖縄ならそうめんチャンプルーというヤツだ。
そうめんを、具とともに炒めてある。

東京っ子の私は、そうめんを炒めて食べるというのは初めてだったので、
うまいものだと思った。
しかし、あぶらぎとぎとのこれを毎日だと閉口するのも無理は無いかもしれない。



今、東京も毎日暑い。
最高気温は35℃、最低気温は25℃に迫る。

昼は蕎麦を主食としてきたが、
この頃は全粒粉のパスタを食べることが多くなっていた。
しかし、蕎麦なら4分くらいだが、パスタは9分も茹でなきゃならない。
暑い。
そんなに湯気を出していちゃあ、部屋ん中が暑くなる。

茹で時間の短いほうがいい。
蕎麦に戻そう。

と思っていたら、気に入りの’第三のビール’のケースに
オマケで素麺が付いていた。
素麺は良い。何が良いって、3分で茹るところがいい。



加計呂麻の民宿を思い出しながら、炒めて食べた。



奄美の自然保護と、経済的な安定を願う。
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