犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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ウチには壁が無い

2022年11月30日 | 国語真偽会
母が特別養護老人ホームに入居して、2年あまりが経つ。
その後の整理は遅々として進まない。
すでに在る物の上で生活して、不用品はその下の地層に埋もれてゆく。
片付かない人によくあるパターンだとつくづく思う。

層が重なると、部屋が狭くなるではないか。
困る。
私が新しく買った本を、すでに在る本棚に、二重に並べる。
奥は老母の本なので、もう手に取ることも無いから、不都合でもない。

いや不都合だよ。奥の本の分だけ、部屋が狭くなっているではないか。

亡父の本も多かった。
こちらは、母の目を盗んで処分した。

そもそも我が家に壁は無い。
柱と屋根と床しか無いんだよというわけじゃない。
壁面が見えている所が無い。
どこの部屋も、壁という壁は本棚なのだ。

逆立ちの練習をしたくても、たよりにできる壁面は無い。
まさか本棚に向かって逆立ちの練習はできない。
そんなことをしたら、古典文学大系とかなんとか方言辞典とか
おそろしく大型の本の山で圧死間違い無し。

本当に、なんだってこんなに大型の本が大量に有るのだろう。
本棚から本を抜き出しては吹き掃除しながら思う。



映画『クレイマー、クレイマー』のワンシーンを思い出す。
離婚して、息子の親権をめぐって二人は争う。
ある時しかし母親は親権を放棄する。
「あの部屋の壁を青空に塗ったのも私よ。」とかなんとか言う。
あの子ども部屋で息子がこれからも育っていくことを自分も望んでいる、
以前の自分が望んでいたように、今の自分も望んでいる。
ということだろう。

本棚から本を抜き出し、
天に積もった埃を拭き、
床に積み上げる。
並んだ背を写真に撮る。
古書店に、どのような本が有るか、写真をメールに添付するためだ。

『上代日本語のなんちゃら』とか『日本語のアスペクトがどうした』とか
『今帰仁方言辞典』とか『奄美の針突』とか
そういった本のタイトルを見ながら、
私は、手離したくない、という思いが有ることを認めざるを得なかった。

子どもの頃から見慣れた部屋の壁の模様なのだ。
落ち着くんである。



父が死んでも母が施設に入っても、
全くさびしく感じないのだが、
壁に見慣れた本が無くなると思うと、喪失感が有る。

本棚に本が収まっているうちに写真を撮るべきであった。
作業の手順の都合上、出してから撮ったものも多かった。
パソコンのデスクトップの画像を「壁紙」と呼ぶけれど、
本棚の写真を「壁紙」にすれば良かった。

もう一度本棚に本を戻して撮影…する気は無い。
200冊くらい、ばかでかく重い本を出したのだ。

昨今、本は喜ばれるだろうか。
稀少な研究書も多く有りそうだが、
望まれる所に届いて欲しい。

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