[あらすじ] SNSなどに投稿された写真のほめ言葉でよく見かける
「プロみたい!」に違和感を抱く。
撮った人にプロの技術は当然無く、あるのはすばらしいスマホのカメラ機能だ。
プロという言葉でほめるのは、プロの技術の複雑さやプロの感性のこまやかさや
プロがそのことにかける時間の多大さを知らぬ、みっともないことだと思う。
そんな言葉を使うその人自身も、きっと何かのプロのはずだ。
自分の専門分野で誰かがちょっと器用そうなことをやっても、
何が欠けているか、すぐに見えるだろう。
自分の身に置き換えれば、スマホ写真なんてプロ級ではないことが
わかると思うのだがなあ。
※
売れ始めの芸人がこぼしているのをよく聞く。
今まではまるで見向きもしなかったのに、急にクラス会に呼ばれるようになって、
行ったら「何かちょっとやってくれ」と要求される、という話だ。
芸人だけでなく、歌手や芸事の人なら経験のあることだと思う。
芸をなんだと思っとんのじゃ。
見る人にとっては娯楽だろうけれど、やる側にしたら大事な仕事だ。
やるならやるで、綿密な準備をして、自分のスタイルを持って演じたい。
それを何年もかかって作りあげてきているのだ。
それを酒の席の乗りで「ちょっとやってくれ」とは、失礼な話だ。
タダ見しようてえ魂胆がいけねえ。
※
酒の席の話でなくても、芸事の話でなくても、同様のことはまだあるだろう。
それは、経験や技術を基礎にする、いわゆる手に職と言う仕事柄であればあるほどだ。
ちょっとここにかわいいイラスト描いて とか
さわりのとこだけでいいからさ とか
こないだのおいしかったあれまた作って とか
最近足がしびれるんだけどちょっと診てくんない とか
友達だから、母校だから、親戚だから、近所だから、同僚だから、ちょっとだけだから
無料でいいだろう、というのは残念ながらよくある話のようだ。
※
その人自身も何かのプロのはずだ。とさきほど書いたが、
そこが違うのかもしれない。
何かの技術を、時間をかけて、それも一生と言える時間をかけて
研鑽を積んで行くという仕事を、その人はしていないのかもしれない。
たとえそうであったとしても、そういった技術の仕事に敬意を払うことは
知らなきゃいけないとは思うけれど。
「プロみたい!」に違和感を抱く。
撮った人にプロの技術は当然無く、あるのはすばらしいスマホのカメラ機能だ。
プロという言葉でほめるのは、プロの技術の複雑さやプロの感性のこまやかさや
プロがそのことにかける時間の多大さを知らぬ、みっともないことだと思う。
そんな言葉を使うその人自身も、きっと何かのプロのはずだ。
自分の専門分野で誰かがちょっと器用そうなことをやっても、
何が欠けているか、すぐに見えるだろう。
自分の身に置き換えれば、スマホ写真なんてプロ級ではないことが
わかると思うのだがなあ。
※
売れ始めの芸人がこぼしているのをよく聞く。
今まではまるで見向きもしなかったのに、急にクラス会に呼ばれるようになって、
行ったら「何かちょっとやってくれ」と要求される、という話だ。
芸人だけでなく、歌手や芸事の人なら経験のあることだと思う。
芸をなんだと思っとんのじゃ。
見る人にとっては娯楽だろうけれど、やる側にしたら大事な仕事だ。
やるならやるで、綿密な準備をして、自分のスタイルを持って演じたい。
それを何年もかかって作りあげてきているのだ。
それを酒の席の乗りで「ちょっとやってくれ」とは、失礼な話だ。
タダ見しようてえ魂胆がいけねえ。
※
酒の席の話でなくても、芸事の話でなくても、同様のことはまだあるだろう。
それは、経験や技術を基礎にする、いわゆる手に職と言う仕事柄であればあるほどだ。
ちょっとここにかわいいイラスト描いて とか
さわりのとこだけでいいからさ とか
こないだのおいしかったあれまた作って とか
最近足がしびれるんだけどちょっと診てくんない とか
友達だから、母校だから、親戚だから、近所だから、同僚だから、ちょっとだけだから
無料でいいだろう、というのは残念ながらよくある話のようだ。
※
その人自身も何かのプロのはずだ。とさきほど書いたが、
そこが違うのかもしれない。
何かの技術を、時間をかけて、それも一生と言える時間をかけて
研鑽を積んで行くという仕事を、その人はしていないのかもしれない。
たとえそうであったとしても、そういった技術の仕事に敬意を払うことは
知らなきゃいけないとは思うけれど。
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