犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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コールボタンを呼ぶ

2019年04月16日 | 介護ウチのバヤイ
[あらまし] 同居母86歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。

非常時に介護士さんに来てもらうための、
コール機をベッドサイドに置いてある。
弁当箱くらいの機械で、大きなボタンを押すと
介護の事業所に電話がかかる。
そして、スピーカーから相手の声が聞こえる。
「〇〇さん、どうなさいましたか?」

それに返事をすれば事業所に聞こえる。
返事が無いと、重大な異変が有ったかもしれない、ということになり、
介護士さんや看護師さんが飛んで来てくれる。

ところが、母の場合、声が小さい。
返事がコール機に届かないことが有る。

今日のテーマではないのだが、
声が小さい人の中には、自分は大きい声が出せないと思い込んでいる人が
多くいるように思う。
母も、親しい友達と話す時や、びっくりした時や、感情的になった時には
大きい声が出る。
しっかり声を出さないのは、自分の感情を否定する思いの表れではないか。
ここはあらためてねちねち書きたい。

閑話休題。
ベッドにいる時はこれで良いが、
室内を歩き回っていて転倒して起き上がれない、という状況では
コール機に手は届かない。

だから、そんな時のために、首から紐で提げられる小さなボタンも有る。
日中、活動している間はこれを首に掛ける。

この、小さなボタンを首から掛けていることも、つらい時が有るようだ。
「重い」と言う。
重いわけでもない。
心情的なものだろう。
これが重いのなら、防寒のオーバーコートなんか重くて、
私は着せかける度にびっくりする。
フリース素材の軽い上着を買っても、お気に召さない。
軽くていいわね、ということになかなかならない。

また話がずれた。
コール機のボタンを首から外してしまうことが有るのだ。

そして、どこかにしまう。
引き出しだとか、文房具の箱だとか。
どこにしまったか、忘れる。

ひとのことは言えない。
私だって、どこに置いたか忘れることはしばしばある。
だから、物の置き場は決めるのだが、
何かにとりまぎれてホイとそのへんに一旦置いた時が、いけない。



ボタンが無いことに気付いた介護士さんが、懸命に探したが、
母が「もうやめて」と泣き出してしまったので、諦めたという。
責められた気持ちになりがちな人なのだ。
そのわりにはうつ病にならない。不思議な精神骨格を持っている。

翌朝も見つからず、その日も一日見つからず。
夕方のヘルパーさんが帰ろうとした時、
私は思い付いて、玄関に置いたシルバーカー(愛称ベンツ)のポケットを探した。
有った。

母は「そこも見たのに」と言う。
母の探し方では、かえって物を奥に押し込めているようだ。



介護士さんが母と話しているのが聞こえる。
「音が鳴って返事してくれるっていうのが有るんですよー。
私なんていっつも探し物してるから、
これは私のための商品だ!って思いましたね。」

そげな便利な物が。
携帯をどこに置いたか分からなくなることがしばしば有るが、
ヤツは鳴らせば返事してくれるから良い。
その他の、車の鍵だのバイクの鍵だのパスケースだの、
無言の物たちを置き忘れると、困る。

あれこれに付けておけば、返事させることができるのか。
キーファインダーを買うべし。

キーファインダーの送信機をどこに置いたかわかんなくなったりして。

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