[あらまし] 「見逃し配信」といって、放送終了から1週間くらいは
インターネットで視聴ができる仕組みが有る。
それを知ってから、テレビドラマを久々に観るようになった。
漫画原作を読んでいない。
いや、1話だけ、ネット立ち読みで読んだ。
ああ、よしながふみさんて『大奥』の作家か。
1話だけ読んで、テレビドラマを観ての感想は、
これもドラマ化成功しているな、ということ。
キャラクターづくりは、漫画の読者をがっかりさせないようになっているように思う。
1話しか読んでないけど。
スーパーの特売日を記憶し、いつも使う物は10円でも安く買おうという努力。
そのとき、頭の中であれこれ考え考え考える様子。
お買い得品が有ったので、それを中心に献立を考える。
それと、冷蔵庫の中身、昨日の残り、冷凍してある食材などを合わせる。
そのとき、頭の中でああだこうだ考え考え考える様子。
日常の、思考とまでいかない思い巡らしを、独白で表現する。
ひたすらぶつぶつと独白しながら料理する。
タイトルが「何食べ」ってくらいだから、
この料理のシーンは見ものだ。
料理は無心になれる。
料理しているときは料理のことしか考えていない。
うまく作ろうということだけ考えている。
日常のクサクサしたことどもを忘れられる時間なのだ。
その分、このドラマには日常のクサクサもたくさん盛り込まれている。
毎回、「あー」とか「あるある」とか、一人で見ていても
声が出そうなシーンがいくつもある。
主人公はゲイである。
ゲイだからどう、というのではないのに、
周囲からは「ゲイだからそう」と見られる。
70代かと見える母親は、息子を理解しているつもりだ。
お母さんは、あなたが犯罪者でもゲイでも、全てを受け入れるわよ。
と、言う。
これを、寄り添う言葉として聞く人ももしかしているのかもしれないな、
と思いながらゾッとする。
母親にとって、息子がゲイであることは、息子が犯罪者であることと同等だ、
と言っている。
それでいて、母親として受け入れますよ、と言っている。
子にとって、これは重荷だ。
母親はオモニだわよ。(ダジャレ
ご近所さんは、自分のテニス仲間の一人を、その人も「同じゲイだから」
と紹介してくれる。
ゲイだから友達になれるのなら、異性愛者もみんな友達になれるだろうが。
あほクサ!と思う、こういった日常のクサクサが、
このドラマには毎回そうね少なく見積もっても3つ4つくらいは盛り込まれている。
友達にゲイがいれば、こんな体験談も聞いたことが有るかもしれない。
けれど、あんまりにも日常のクサクサ過ぎて、こんな愚痴を友達に言うことも
しなくなっている人も多いと思う。
そんなことをいちいち気にしていたら、毎日がしんどくなっちゃうからだ。
ゲイの友達がいないとか、友達にゲイがいないとか、
身の周りにゲイがいないとか、ゲイを見たこともないとか言う人。
いないわけ無い。
あんたに見えていないだけ。
カムアウトしてくれればいいのに、とか言う人。
あんたにカムアウトするのはイヤだと思われているだけですよ。
カムアウトしたい相手、したくない相手、いろいろいる。
受け止め方、反応のし方、いろいろある。
ゲイにも日常が有る。
とにかく日常は日常の日常につきまとう。
自分が自分であるように、その自分に対する周囲の反応は常につきまとう。
そういう、日常のクサクサを、このドラマは表現できている。
見てみい。
インターネットで視聴ができる仕組みが有る。
それを知ってから、テレビドラマを久々に観るようになった。
漫画原作を読んでいない。
いや、1話だけ、ネット立ち読みで読んだ。
ああ、よしながふみさんて『大奥』の作家か。
1話だけ読んで、テレビドラマを観ての感想は、
これもドラマ化成功しているな、ということ。
キャラクターづくりは、漫画の読者をがっかりさせないようになっているように思う。
1話しか読んでないけど。
スーパーの特売日を記憶し、いつも使う物は10円でも安く買おうという努力。
そのとき、頭の中であれこれ考え考え考える様子。
お買い得品が有ったので、それを中心に献立を考える。
それと、冷蔵庫の中身、昨日の残り、冷凍してある食材などを合わせる。
そのとき、頭の中でああだこうだ考え考え考える様子。
日常の、思考とまでいかない思い巡らしを、独白で表現する。
ひたすらぶつぶつと独白しながら料理する。
タイトルが「何食べ」ってくらいだから、
この料理のシーンは見ものだ。
料理は無心になれる。
料理しているときは料理のことしか考えていない。
うまく作ろうということだけ考えている。
日常のクサクサしたことどもを忘れられる時間なのだ。
その分、このドラマには日常のクサクサもたくさん盛り込まれている。
毎回、「あー」とか「あるある」とか、一人で見ていても
声が出そうなシーンがいくつもある。
主人公はゲイである。
ゲイだからどう、というのではないのに、
周囲からは「ゲイだからそう」と見られる。
70代かと見える母親は、息子を理解しているつもりだ。
お母さんは、あなたが犯罪者でもゲイでも、全てを受け入れるわよ。
と、言う。
これを、寄り添う言葉として聞く人ももしかしているのかもしれないな、
と思いながらゾッとする。
母親にとって、息子がゲイであることは、息子が犯罪者であることと同等だ、
と言っている。
それでいて、母親として受け入れますよ、と言っている。
子にとって、これは重荷だ。
母親はオモニだわよ。(ダジャレ
ご近所さんは、自分のテニス仲間の一人を、その人も「同じゲイだから」
と紹介してくれる。
ゲイだから友達になれるのなら、異性愛者もみんな友達になれるだろうが。
あほクサ!と思う、こういった日常のクサクサが、
このドラマには毎回そうね少なく見積もっても3つ4つくらいは盛り込まれている。
友達にゲイがいれば、こんな体験談も聞いたことが有るかもしれない。
けれど、あんまりにも日常のクサクサ過ぎて、こんな愚痴を友達に言うことも
しなくなっている人も多いと思う。
そんなことをいちいち気にしていたら、毎日がしんどくなっちゃうからだ。
ゲイの友達がいないとか、友達にゲイがいないとか、
身の周りにゲイがいないとか、ゲイを見たこともないとか言う人。
いないわけ無い。
あんたに見えていないだけ。
カムアウトしてくれればいいのに、とか言う人。
あんたにカムアウトするのはイヤだと思われているだけですよ。
カムアウトしたい相手、したくない相手、いろいろいる。
受け止め方、反応のし方、いろいろある。
ゲイにも日常が有る。
とにかく日常は日常の日常につきまとう。
自分が自分であるように、その自分に対する周囲の反応は常につきまとう。
そういう、日常のクサクサを、このドラマは表現できている。
見てみい。
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