幼稚園の時のこと。
同じクラスの子に、首を絞められた。
先週、この話を書いた。
もう少し詳しく思い出してみる。
※
私は、その幼稚園に編入した。
引っ越してきたのが十月の下旬だったから、その頃だろう。
5歳になった年だったか。
前に通っていた幼稚園は3年保育の年中さんで、
引っ越してきたら2年保育の年少さんになるのが
ちょっと不思議ながら、5歳児なりに理解したような記憶が有るやら無いやら。
以前の住まいは文京区大塚で、
駅としては巣鴨に近い幼稚園に通っていた。
その幼稚園は独特の教育方針で、年中ゴム草履を履いて遊んでいたような記憶が有るやら無いやら。
おかげで私はその後ずっとゴム草履を愛用するようになる。
近年に至っては、自転車のタイヤを底に貼ってある草履を好んで履いている。
私が愛用していたようなゴム草履は昨今では手に入りにくくなっている。
今では沖縄で「島ぞーり」と呼ばれているものが私の思うゴム草履である。
引っ越してきて入った幼稚園は、制服が有って、革靴を履いて登園する。
室内では上履き、運動場でも靴を履く。
とても窮屈に感じた。
※
話は逸れるけれど、子どもの足に靴なんぞ履かせないほうがいい、と思っている。
成長に合わせてものすごい勢いで買い替えたり、
締め付けず、地面を指で掴む感覚を得られる靴なら良いけれど、
そんな事や物を期待するよりは、草履を履かしときゃ良かろ。ってなもんだ。
なに、裸足でいいんだ。という極論すら言いたくなってくる。
※
園庭に向かって各教室が並んでいて、
園舎の中央にホールが有り、ホールの周りはガラス張りだったかな、
周囲を廊下が囲んでいて、廊下の突き当りにトイレが有ったような記憶が有るやら無いやら。
何時までだったのだろう。
一日の終わりには、それぞれの教室に集まって、
帰りの会とかいうことをやったような記憶が有るやら無いやら。
※
ある日、その帰りの会の直前に、Kちゃんに呼び出されたんだか。
誰もいない廊下の途中で、Kちゃんは突然、私の首を思いっきり絞め始めたのだ。
びっくりして声も出ない。
いや首を絞められているから声が出なかったのかな。
ほどなく、教室から先生が顔を出して、
帰りの会を始めるから戻りなさい、と声を掛けられたんだったか。
私はそのことを誰にも言わなかった。言えなかった。
びっくりし過ぎて言えなかったのだろう。
いや、言ったんだろうか?
憶えていない。
言っていたら、先生や相手の親を交えてひと騒動になったんじゃないだろうか。
※
人に命を狙われた経験が有るか?
と、先週、私は書いた。
もう一つの問いができる。
人の命を狙った経験が有るか?
だ。
小学生の頃、嫌いな嫌いな子がいた。
いなくなっちゃえばいいのに。と、
幼稚な心で思った。
けれど、死ねばいいのに、と思っただろうか。
30歳の頃に、今で言う鬱病の状態になった。
消えてしまいたい。と思った。
けれど、死にたい、とは思わなかったし、
自死することも考えなかった。
これは、私の性格によるところだろうか。
※
幼稚園児が、5歳児が、
人の首を絞めるというのは、どんな思いなのだろう。
殺してやる、という思いが有るのだろうか。
では、人の首を絞めるとその人が息絶えて死ぬ、ということを
その子は知っている、ということだ。
私は知っていただろうか。
5歳の私は、人の首を絞めるとその人は死ぬので殺すことができる、
と、知っていただろうか。
では、その子はどうやってそれを知ったのだろうか。
テレビドラマなどだろうか。
その子は人の死というものを知っていただろうか。
私は、小学校2年生の時に、祖母を亡くした。
初めての、身近な人の死だった。
その後その年、大叔父が亡くなり、12歳上の兄が事故死した。
私は小学校2年生の時に、人が死ぬということを知った。
私の首を絞めたその子は、5歳にして人の首を絞めるほどの殺意を抱き、
私の死を望んだのか。
※
同じ小学校に上がった。
ずっと、近い付き合いだった。
私はずっとなんとなく支配されている気分であった。
何年か前に、その人に再会した。
「久しぶりー!」と嬉しそうに懐かしさを表していた。
なんだそれは。
私はちっとも会いたくない。
けれど、またいつか会うかもしれない。
今度会ったら、聞いてみようか。
私の首を絞めたことを憶えているか。
あるいは、
最初に身近な人が亡くなったのはいつか。
あるいは、
今、殺したいほど嫌いな人っているかどうか。
そんなことを聞いたら首を絞められるかもしれない。
やめておこう。
同じクラスの子に、首を絞められた。
先週、この話を書いた。
もう少し詳しく思い出してみる。
※
私は、その幼稚園に編入した。
引っ越してきたのが十月の下旬だったから、その頃だろう。
5歳になった年だったか。
前に通っていた幼稚園は3年保育の年中さんで、
引っ越してきたら2年保育の年少さんになるのが
ちょっと不思議ながら、5歳児なりに理解したような記憶が有るやら無いやら。
以前の住まいは文京区大塚で、
駅としては巣鴨に近い幼稚園に通っていた。
その幼稚園は独特の教育方針で、年中ゴム草履を履いて遊んでいたような記憶が有るやら無いやら。
おかげで私はその後ずっとゴム草履を愛用するようになる。
近年に至っては、自転車のタイヤを底に貼ってある草履を好んで履いている。
私が愛用していたようなゴム草履は昨今では手に入りにくくなっている。
今では沖縄で「島ぞーり」と呼ばれているものが私の思うゴム草履である。
引っ越してきて入った幼稚園は、制服が有って、革靴を履いて登園する。
室内では上履き、運動場でも靴を履く。
とても窮屈に感じた。
※
話は逸れるけれど、子どもの足に靴なんぞ履かせないほうがいい、と思っている。
成長に合わせてものすごい勢いで買い替えたり、
締め付けず、地面を指で掴む感覚を得られる靴なら良いけれど、
そんな事や物を期待するよりは、草履を履かしときゃ良かろ。ってなもんだ。
なに、裸足でいいんだ。という極論すら言いたくなってくる。
※
園庭に向かって各教室が並んでいて、
園舎の中央にホールが有り、ホールの周りはガラス張りだったかな、
周囲を廊下が囲んでいて、廊下の突き当りにトイレが有ったような記憶が有るやら無いやら。
何時までだったのだろう。
一日の終わりには、それぞれの教室に集まって、
帰りの会とかいうことをやったような記憶が有るやら無いやら。
※
ある日、その帰りの会の直前に、Kちゃんに呼び出されたんだか。
誰もいない廊下の途中で、Kちゃんは突然、私の首を思いっきり絞め始めたのだ。
びっくりして声も出ない。
いや首を絞められているから声が出なかったのかな。
ほどなく、教室から先生が顔を出して、
帰りの会を始めるから戻りなさい、と声を掛けられたんだったか。
私はそのことを誰にも言わなかった。言えなかった。
びっくりし過ぎて言えなかったのだろう。
いや、言ったんだろうか?
憶えていない。
言っていたら、先生や相手の親を交えてひと騒動になったんじゃないだろうか。
※
人に命を狙われた経験が有るか?
と、先週、私は書いた。
もう一つの問いができる。
人の命を狙った経験が有るか?
だ。
小学生の頃、嫌いな嫌いな子がいた。
いなくなっちゃえばいいのに。と、
幼稚な心で思った。
けれど、死ねばいいのに、と思っただろうか。
30歳の頃に、今で言う鬱病の状態になった。
消えてしまいたい。と思った。
けれど、死にたい、とは思わなかったし、
自死することも考えなかった。
これは、私の性格によるところだろうか。
※
幼稚園児が、5歳児が、
人の首を絞めるというのは、どんな思いなのだろう。
殺してやる、という思いが有るのだろうか。
では、人の首を絞めるとその人が息絶えて死ぬ、ということを
その子は知っている、ということだ。
私は知っていただろうか。
5歳の私は、人の首を絞めるとその人は死ぬので殺すことができる、
と、知っていただろうか。
では、その子はどうやってそれを知ったのだろうか。
テレビドラマなどだろうか。
その子は人の死というものを知っていただろうか。
私は、小学校2年生の時に、祖母を亡くした。
初めての、身近な人の死だった。
その後その年、大叔父が亡くなり、12歳上の兄が事故死した。
私は小学校2年生の時に、人が死ぬということを知った。
私の首を絞めたその子は、5歳にして人の首を絞めるほどの殺意を抱き、
私の死を望んだのか。
※
同じ小学校に上がった。
ずっと、近い付き合いだった。
私はずっとなんとなく支配されている気分であった。
何年か前に、その人に再会した。
「久しぶりー!」と嬉しそうに懐かしさを表していた。
なんだそれは。
私はちっとも会いたくない。
けれど、またいつか会うかもしれない。
今度会ったら、聞いてみようか。
私の首を絞めたことを憶えているか。
あるいは、
最初に身近な人が亡くなったのはいつか。
あるいは、
今、殺したいほど嫌いな人っているかどうか。
そんなことを聞いたら首を絞められるかもしれない。
やめておこう。
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