犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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こどもしゃかい

2023年02月13日 | 日々
幼稚園児の時、同級生に首を絞められた話を書いた。

その子とは同じ小学校に上がった。
首を絞められるようなことはそれきり無かったけれど、
何か、力による支配、のようなものは続いた。

その子ともう一人の更に強い子がいて、
私は逆らえなかったような記憶が有るやら無いやら。

あれっ、でも、その支配の記憶は、小学2年までのもののような気がする。
3年生以降、クラスが同じになることが無かったのだろうか。
それとも、更なる人間関係や問題が重なったせいで、くすんでいるのかもしれない。
なんだかそっちのような気もする。



何かと「班」に分かれて活動することが有った。
合宿だとか、特別の行事の日だとか。
そういう、楽しければ楽しいようなハレの日が、
私は気が重かった。
班分けのせいが大きかった気もする。

班で分かれると、どうも「班長」をやらされることがよく有った。
私は「長」の付くことなんか、やりたくない。
「やらされる」という言い回しを使うことに、その気持ちは表れている。

「好きな子同士で」班に分かれる、となると、
なんだか私は、クラスの中の冴えない子と一緒の班になることが多かった気がする。
こんなふうに書いて、もし同級生が読んで、
「私はスヤマとよく同じ班になった。つまり私は冴えない子かい」と思われても困るけれど。

特に積極的でもない子たちが集まっているから、班長なんか誰もやりたがらない。
そこで、その中でもちょっと口の立つ子が先回りするかのように発言して、
「スヤマ班長やれよ」ということになる。
自分以外の人が班長になるなら都合が良いので、みんなそれに賛成する。
その程度の仕組みで、班長を押し付けられるというわけだ。

そして、あれこれと決めごとをしなければならないのだが、
これまた、決まるどころか、意見も出ない。
すると今度は、「班長が責任を持って決めろ」ということになる。

実に、ズルい構造だ。
面倒なことも責任も全て押し付けてくる。
そんなだから、決まった内容にメンバーも協力的なわけもなく、
作業も進むわけもない。

やれやれ。



あの人たちは、どんなオトナになっただろう。
私はけっしてチームワークの上手な大人には育たなかった。
話し合いが上手にはならなかった。
それで色々な失敗をしてきたと思う。
その始まりの頃のこと、
小学生の頃のこと、
40年以上前のことを、
ちょっと思い出してみたりしている。

そんな前のこと、うまく思い出せない。
思い出せないのは、成長の証かもしれない。
よかったよかった。
と、思うことにする。

おやすみなさい。
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