先日のライブで。
中川五郎さんは、詩人の金子光晴が好きで、
自分が吉祥寺に住んでいた頃、ちょうど金子光晴も界隈に住んでいたと言う。
その頃、五郎さんは二十代で、金子は七十代。
街を歩いていると、たまに金子の姿を見かけたそうだ。
あるとき、金子は若い女性を連れていて、
なんの気無しにあとをつけて行くと、
吉祥寺の北東側のホテル街に消えて行ったそうだ。
ほほう。やるな、金子爺。
「当時の僕はそれを、"いいなー"と思って見てて、
僕もその年齢にさしかかってきたわけですが」
※
五郎さんの話ぶりは魅力的だから、
私も久しぶりに詩が読みたくなる。
金子の本を探してみると、詩集ではなくて、
『老境随想』というのが目に入った。
※
子どもが大人になっていくときには、学校という学びの場が、
大人の手によって提供されている。
この頃は就職まで大学が面倒を見てやるようだ。
大人が年寄りになっていくときには、学校という場は無い。
それでなのかなんなのか、定年後辺りの世代はひどくじたばたする。
ただ、どの年齢の人も、その年齢になることは、初めての体験だ。
だから、じたばたするのも無理も無い。
しかし、少し学んでおくことはできる。
その方法のひとつが、こういった本を読むことでもあると思う。
※
少し、抜書きする。
※
僕は、ひとりでいるかぎりは、かかる七十歳などとは、なんのかかわりもない心境だ。
世間へのつら当てに、七十歳のかわった生きかたを試みてみせようなどという
反心すらもちあわせないし、年よりもお若いことでなどと、口あたりのいいことを言ってもらいたさに、
若さを勉強するような、こころの見えすぎた業(わざ)をしようともおもわぬ。
まあ、年のことなど、すっぱりとぬいていすのもたれにかけたまま忘れて、
ナイーブい生業にいそしんでいさせてもらいたいものだが、
世間のほうが、へんにじじいあつかいをして、大丈夫ですか、腰はいたみませんかなどと、
おせっかいを言うので、つい自分もその気になって、老人の感傷から、しめっぽいムードにつかまり、
今日の老人は、むかしの老人のように隠居という休息の場がとりあげられて、
若者そこのけのつらい現実に直面させられ、
毎日を自分の汗でパンをかせいで生きてゆかねばならないのだという自覚を、
うっかり忘れそうになる。
今日の老人の生き方のほうに、人間生活の伸びがみとめられるという点で賛成でさえあるのだが、
若い連中に旧老人のあつかいがのこっているところが、
かえって老人を毒するおそれがあるので、警戒を要する。
※
むかしの老人は、居場所があって、インポな奴はコットーいじりとか、
寺まいりとか、盆栽とか、適当な時間つぶしができるようになっていたし、
業のふかい奴は、金の重みで、老人のグロテスクな魅力を、若い女にまでもおしつける方法があり、
そのしくみが発達していたものだ。
「男は、としよりのほうが親切で、巧者でさ、味を知ったら忘れられないものだよ」
女同士のそんな教育のしかたもあって、としよりのあいてになる、としよりむきの女というものが
多かったものだ。
ちょうどパリの街娼のなかに、黒人むけ、東洋人むけというように、専門があったのとおなじようなものだ。
僕のうまれた明治というまずしい時代の日本には、とりわけそういう女が多かったようだ。
若かった僕の身辺にも、三人や五人と言わず、そのような女たちがいて、
当時の僕がこころを寄せそうになっていた若さなのに、どんな家の事情があってのことかしらないが、
小憎らしい赤っつらのじじいや、鳥打ち帽子の、いんごうそうなしなびじじい、
つる禿で、白いあごひげの箒木星のようなじいさんのめかけになって、
片っぱしから消えていって、どんなに腹立たしかったかもしれなかった。
※
どうやら、若き日の金子はちょうど若き日の五郎さんのように思っていたようだ。
※
今日では、もう、あまりそんな気はなく、やっと恬淡として女人、男性を越えて
人づきあいができそうな気がしてきた。
それも、気がしてきただけで、中心に力がなくなってきた生理現象で、これが又、なんとかなれば、
どうなることに相成るか、そこのところは自信がない。
ただ、その目的で、体力をつくる努力をしたり、朝鮮人参その他、蛇のさし身などをせっせと食べている老友の話をきくと、
なんともいえない味気ない気持になり、「おんなしことだよ。もう、おつもりにしないか」と
注意したくなるが、また、それほどに生に執着している姿をみると、そんなに大変なことでもないから、
やりたいことは、他人迷惑にならない限りやらせておいていいことかもしれない、と、
そんなふうに考え直して、なにも言わずにみていることになる。
こちらが年をとりすぎたということかもしれない。
※
家人からは「七十歳がなんです。吉田首相をごらんなさい。ピカソを考えてごらんなさい」
と言われる。
吉田さんや、ピカソのように、八十歳になって子供をつくるような真似ができないからこそ、
家人は、安穏でいられるということをさとらないのだ。
※
ちょいと、私の聞いている五郎さんの目撃証言と、違うような気がする。
夫人か、あるいは世人の目もごまかすために、うまく嘘を書いているんじゃあるまいかと
疑いたくなったりする。
中川五郎さんは、詩人の金子光晴が好きで、
自分が吉祥寺に住んでいた頃、ちょうど金子光晴も界隈に住んでいたと言う。
その頃、五郎さんは二十代で、金子は七十代。
街を歩いていると、たまに金子の姿を見かけたそうだ。
あるとき、金子は若い女性を連れていて、
なんの気無しにあとをつけて行くと、
吉祥寺の北東側のホテル街に消えて行ったそうだ。
ほほう。やるな、金子爺。
「当時の僕はそれを、"いいなー"と思って見てて、
僕もその年齢にさしかかってきたわけですが」
※
五郎さんの話ぶりは魅力的だから、
私も久しぶりに詩が読みたくなる。
金子の本を探してみると、詩集ではなくて、
『老境随想』というのが目に入った。
※
子どもが大人になっていくときには、学校という学びの場が、
大人の手によって提供されている。
この頃は就職まで大学が面倒を見てやるようだ。
大人が年寄りになっていくときには、学校という場は無い。
それでなのかなんなのか、定年後辺りの世代はひどくじたばたする。
ただ、どの年齢の人も、その年齢になることは、初めての体験だ。
だから、じたばたするのも無理も無い。
しかし、少し学んでおくことはできる。
その方法のひとつが、こういった本を読むことでもあると思う。
※
少し、抜書きする。
※
僕は、ひとりでいるかぎりは、かかる七十歳などとは、なんのかかわりもない心境だ。
世間へのつら当てに、七十歳のかわった生きかたを試みてみせようなどという
反心すらもちあわせないし、年よりもお若いことでなどと、口あたりのいいことを言ってもらいたさに、
若さを勉強するような、こころの見えすぎた業(わざ)をしようともおもわぬ。
まあ、年のことなど、すっぱりとぬいていすのもたれにかけたまま忘れて、
ナイーブい生業にいそしんでいさせてもらいたいものだが、
世間のほうが、へんにじじいあつかいをして、大丈夫ですか、腰はいたみませんかなどと、
おせっかいを言うので、つい自分もその気になって、老人の感傷から、しめっぽいムードにつかまり、
今日の老人は、むかしの老人のように隠居という休息の場がとりあげられて、
若者そこのけのつらい現実に直面させられ、
毎日を自分の汗でパンをかせいで生きてゆかねばならないのだという自覚を、
うっかり忘れそうになる。
今日の老人の生き方のほうに、人間生活の伸びがみとめられるという点で賛成でさえあるのだが、
若い連中に旧老人のあつかいがのこっているところが、
かえって老人を毒するおそれがあるので、警戒を要する。
※
むかしの老人は、居場所があって、インポな奴はコットーいじりとか、
寺まいりとか、盆栽とか、適当な時間つぶしができるようになっていたし、
業のふかい奴は、金の重みで、老人のグロテスクな魅力を、若い女にまでもおしつける方法があり、
そのしくみが発達していたものだ。
「男は、としよりのほうが親切で、巧者でさ、味を知ったら忘れられないものだよ」
女同士のそんな教育のしかたもあって、としよりのあいてになる、としよりむきの女というものが
多かったものだ。
ちょうどパリの街娼のなかに、黒人むけ、東洋人むけというように、専門があったのとおなじようなものだ。
僕のうまれた明治というまずしい時代の日本には、とりわけそういう女が多かったようだ。
若かった僕の身辺にも、三人や五人と言わず、そのような女たちがいて、
当時の僕がこころを寄せそうになっていた若さなのに、どんな家の事情があってのことかしらないが、
小憎らしい赤っつらのじじいや、鳥打ち帽子の、いんごうそうなしなびじじい、
つる禿で、白いあごひげの箒木星のようなじいさんのめかけになって、
片っぱしから消えていって、どんなに腹立たしかったかもしれなかった。
※
どうやら、若き日の金子はちょうど若き日の五郎さんのように思っていたようだ。
※
今日では、もう、あまりそんな気はなく、やっと恬淡として女人、男性を越えて
人づきあいができそうな気がしてきた。
それも、気がしてきただけで、中心に力がなくなってきた生理現象で、これが又、なんとかなれば、
どうなることに相成るか、そこのところは自信がない。
ただ、その目的で、体力をつくる努力をしたり、朝鮮人参その他、蛇のさし身などをせっせと食べている老友の話をきくと、
なんともいえない味気ない気持になり、「おんなしことだよ。もう、おつもりにしないか」と
注意したくなるが、また、それほどに生に執着している姿をみると、そんなに大変なことでもないから、
やりたいことは、他人迷惑にならない限りやらせておいていいことかもしれない、と、
そんなふうに考え直して、なにも言わずにみていることになる。
こちらが年をとりすぎたということかもしれない。
※
家人からは「七十歳がなんです。吉田首相をごらんなさい。ピカソを考えてごらんなさい」
と言われる。
吉田さんや、ピカソのように、八十歳になって子供をつくるような真似ができないからこそ、
家人は、安穏でいられるということをさとらないのだ。
※
ちょいと、私の聞いている五郎さんの目撃証言と、違うような気がする。
夫人か、あるいは世人の目もごまかすために、うまく嘘を書いているんじゃあるまいかと
疑いたくなったりする。
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