南伸坊さんは、おにぎり顔で知られている。
たいそうエラの張った輪郭の持主で、
しかも頭は三分刈り。
三角のおむすびが人間に生まれ変わったに違いないお人である。
※
ツルツルに剃ってから二十日近く経ち、
私の頭髪も存在感を増してきた。
三分刈りくらいにはなっている。
刈ってこの状態になったのではなく、
伸びてこの状態になったのだから、
三分刈りというのはおかしい気がする。
三分伸び?
なんだか語感がだらしない。
※
四月一日だけでは飽き足らないので、
毎月一日に法螺を書いている。
世の中の慣習なんか知ったこっちゃないのである。
昨日から12月。
世間は忙しい忙しいと言う中、
私はああでもないこうでもないと
伸坊さんに似せるために試行錯誤していた。
※
南伸坊さんは、顔まねをする。
メイクして鬘をかぶって衣装を着て、「本人」になりきる。
歴史人物だけを集めた『歴史上の本人』では、
実際にそんな姿だったか定かではない人物も具現化している。
好き放題じゃないか。
例えば、仏像などの彫刻で有名な運慶になりきって、
「運慶は私だ」なんて言いきっている。
彫ってみろ。彫って証明しろ。
肖像の残っていない人物ならなんでもアリか!?
※
ふざけているのである。
※
細い顔の人物に扮するとき、伸坊さんは
自分のエラを塗りつぶす。
そこはもう、キャンバスではないのである。
キャンバスでないのなら、何か。
額縁だろう。
洋画家の中川一政氏は、額縁も自作して、
テキトーな模様を描いたり、
「いろはにほへとちりぬるを」とかなんとか落書きみたいに
書いたりして、楽しんでいた。
伸坊さんも、額縁であるところのエラ部分は
落書きでもしたらどうだろう。(提案)
※
2012年発行の作品集に『本人伝説 The Legend of Honnin』が有る。
あとがきの中で、その手法の一つを明かしている。
顔にしっかりと陰影を描くのだ。
本来は、本人の骨格と照明の角度によって映し出されるはずの陰影である。
しかし、骨格が違うのだから、どうライティングしたって同じ陰影にはならない。
だったら描きゃいいんである。
写真に撮って、印刷すると、
なんの違和感も無くなる。
※
伸坊さんの手法で、伸坊さんになりきってみた。
骨格の違いを乗り越えようたって、
あたしにゃあんたのような立派なエラが無い。
伸坊さんのエラは、大きなキャンバスだ。
大は小を兼ねる。
大きいエラを塗りつぶして削ることはできるが、
無いエラは塗れない。
伸坊さんのエラは、キャンバスとしての才能なのだと
つくづく思った。
※
伸坊さんには目の下の涙袋が有る。
私には無い。
これを、描き込む。
ついでに、笑った時の目尻の皺や、
額の少しの皺や、頬骨のラインを描き込んでみた。
すると、
全体に黒ずんでしまい、なんだかかえって似なくなってしまった。
伸坊さんの白っぽさは、私の地肌の白っぽさそのままでいったほうが
似る気がする。
※
昨年、特別養護老人ホームに入居した老母の箪笥を片付けていたら、
パスポートが出てきた。
伸坊さんの『本人伝説』は、帯を外すとカバーにパスポート風の印刷がしてある。
白いカバー紙に、文字だけが印刷してある。
両方をスキャンし、丁寧過ぎない程度に合成し、
私の伸坊さん本人の写真をはめこんだ。
これをプリントアウトして、老母のパスポートのページに重ねる。
できやがり。
パスポートを持って、撮影。
顎がカメラに寄って頭がカメラから遠ざかるように、
ちょいと上を向く。
こうすると、ちょっとエラが強調される。かな?
たいそうエラの張った輪郭の持主で、
しかも頭は三分刈り。
三角のおむすびが人間に生まれ変わったに違いないお人である。
※
ツルツルに剃ってから二十日近く経ち、
私の頭髪も存在感を増してきた。
三分刈りくらいにはなっている。
刈ってこの状態になったのではなく、
伸びてこの状態になったのだから、
三分刈りというのはおかしい気がする。
三分伸び?
なんだか語感がだらしない。
※
四月一日だけでは飽き足らないので、
毎月一日に法螺を書いている。
世の中の慣習なんか知ったこっちゃないのである。
昨日から12月。
世間は忙しい忙しいと言う中、
私はああでもないこうでもないと
伸坊さんに似せるために試行錯誤していた。
※
南伸坊さんは、顔まねをする。
メイクして鬘をかぶって衣装を着て、「本人」になりきる。
歴史人物だけを集めた『歴史上の本人』では、
実際にそんな姿だったか定かではない人物も具現化している。
好き放題じゃないか。
例えば、仏像などの彫刻で有名な運慶になりきって、
「運慶は私だ」なんて言いきっている。
彫ってみろ。彫って証明しろ。
肖像の残っていない人物ならなんでもアリか!?
※
ふざけているのである。
※
細い顔の人物に扮するとき、伸坊さんは
自分のエラを塗りつぶす。
そこはもう、キャンバスではないのである。
キャンバスでないのなら、何か。
額縁だろう。
洋画家の中川一政氏は、額縁も自作して、
テキトーな模様を描いたり、
「いろはにほへとちりぬるを」とかなんとか落書きみたいに
書いたりして、楽しんでいた。
伸坊さんも、額縁であるところのエラ部分は
落書きでもしたらどうだろう。(提案)
※
2012年発行の作品集に『本人伝説 The Legend of Honnin』が有る。
あとがきの中で、その手法の一つを明かしている。
顔にしっかりと陰影を描くのだ。
本来は、本人の骨格と照明の角度によって映し出されるはずの陰影である。
しかし、骨格が違うのだから、どうライティングしたって同じ陰影にはならない。
だったら描きゃいいんである。
写真に撮って、印刷すると、
なんの違和感も無くなる。
※
伸坊さんの手法で、伸坊さんになりきってみた。
骨格の違いを乗り越えようたって、
あたしにゃあんたのような立派なエラが無い。
伸坊さんのエラは、大きなキャンバスだ。
大は小を兼ねる。
大きいエラを塗りつぶして削ることはできるが、
無いエラは塗れない。
伸坊さんのエラは、キャンバスとしての才能なのだと
つくづく思った。
※
伸坊さんには目の下の涙袋が有る。
私には無い。
これを、描き込む。
ついでに、笑った時の目尻の皺や、
額の少しの皺や、頬骨のラインを描き込んでみた。
すると、
全体に黒ずんでしまい、なんだかかえって似なくなってしまった。
伸坊さんの白っぽさは、私の地肌の白っぽさそのままでいったほうが
似る気がする。
※
昨年、特別養護老人ホームに入居した老母の箪笥を片付けていたら、
パスポートが出てきた。
伸坊さんの『本人伝説』は、帯を外すとカバーにパスポート風の印刷がしてある。
白いカバー紙に、文字だけが印刷してある。
両方をスキャンし、丁寧過ぎない程度に合成し、
私の伸坊さん本人の写真をはめこんだ。
これをプリントアウトして、老母のパスポートのページに重ねる。
できやがり。
パスポートを持って、撮影。
顎がカメラに寄って頭がカメラから遠ざかるように、
ちょいと上を向く。
こうすると、ちょっとエラが強調される。かな?
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