[あらすじ] 異論を排除すると腐敗するが、異論と接触すると発展する。
それは一人の人の中でも起こり、やがては救いをもたらす。
ある人とまた他の人との間で意見がぶつかる。
これはわかりやすい異文化の接触だけれど、
実はこういうことは個人の中でもしばしば起きている。
ひとつの考えにすっかり染まっていて、疑問や迷いが無いとか
選択や決断を迫られる場面の無い人なんて、いないんじゃないだろうか。
そういう機会が無かったとしたら、よほど無菌状態で育てられ、
思考力判断力を奪われていると思える。
どうしよう、どう考えたら妥当なんだろう、どっちを選んだらマシな世の中になるだろう、
なんていう迷いは日常茶飯事だ。
決めかねる、どっちつかず、一長一短、そう思うことも多い。
これは、誰にでも経験のあることだろう。
相反する考えを持つこともある。
それでいいのだと思う。
まるで一方に寄ったなら、もう考える必要が無い。
停滞したらダメになる。
自分の中の矛盾に気付かないのはいけない。
それは矛盾が無いのとほぼ等しく、
相反するものが無いとどうなるかは今まで書いてきたとおりだ。
自分の中の矛盾を見つけ、矛盾があることを認めた上で、
やっぱり葛藤し、なぜそんな矛盾が共存しているのか、
わけを考えてみる。
きっと、そこには尊い意味が見付かる。
つづく
それは一人の人の中でも起こり、やがては救いをもたらす。
ある人とまた他の人との間で意見がぶつかる。
これはわかりやすい異文化の接触だけれど、
実はこういうことは個人の中でもしばしば起きている。
ひとつの考えにすっかり染まっていて、疑問や迷いが無いとか
選択や決断を迫られる場面の無い人なんて、いないんじゃないだろうか。
そういう機会が無かったとしたら、よほど無菌状態で育てられ、
思考力判断力を奪われていると思える。
どうしよう、どう考えたら妥当なんだろう、どっちを選んだらマシな世の中になるだろう、
なんていう迷いは日常茶飯事だ。
決めかねる、どっちつかず、一長一短、そう思うことも多い。
これは、誰にでも経験のあることだろう。
相反する考えを持つこともある。
それでいいのだと思う。
まるで一方に寄ったなら、もう考える必要が無い。
停滞したらダメになる。
自分の中の矛盾に気付かないのはいけない。
それは矛盾が無いのとほぼ等しく、
相反するものが無いとどうなるかは今まで書いてきたとおりだ。
自分の中の矛盾を見つけ、矛盾があることを認めた上で、
やっぱり葛藤し、なぜそんな矛盾が共存しているのか、
わけを考えてみる。
きっと、そこには尊い意味が見付かる。
つづく
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