[あらすじ] 頭痛肩こり腰痛など、悩ましい痛みの種類は多い。
これが、消せる。
首の筋肉がコッているから、頭痛がする。
肩の筋肉がコッているから、不快。
背中の筋肉がコッているから、痛い。
椎間板が飛び出ているから、痛い。
神経が圧迫されているから、痛い。
こういった痛みが、思いがけないほどあっさり消える。
というのも、これは、筋肉の緊張などの、身体的・物理的なことが原因のように見えるが、
そうではなく、脳が創り出した実体の無い痛みだからだ。
それがニセモノの痛みであるということを知るだけで、痛みは消えてゆく。
騙されていたことに気付けば、もうそんなものは信じなくなるのだ。
※
なぜそんな痛みを脳が創り出すのか。
身体の痛みというのは、つらい。
どこかが痛いと、つらくて他のことが手につかない。
これが脳のもくろみなのだ。
子どもの頃、親の言葉に傷付いたけれども、
相手が親なので、離れるわけにいかない。
だから、そのできごとに封印をする。
意識の上では忘れてしまったように見える、そういう事柄から逸らすために、
当座の大問題となるように体の痛みを脳は創り出す。
子どもを育てるためにお金を稼がなければならない。
つらい仕事も休めない。腰が痛いけれど辞めるわけにいかない。
つらいけれど、親の責任として当たり前のことだから、
特に誰がほめてくれるわけでもない。
考えてもどうにもならない事について考えるくらいなら、
体の痛みが第一の悩みなほうがマシだから、脳は痛みを創り出す。
※
でも、
子どもの頃に傷付いた心や、
大人としての責任を果たす困難さの上に、
体まで痛いんじゃ、たまったもんじゃない。
つらいことを増やしてどうする。
その痛みは、脳みそが創った虚像ですよ。
ほんとは痛がらなくていいものを、脳がリアルに創って見せているんです。
でもほんとに痛いんだ、と思うだろう。
いや、脳が創るものほど、明瞭なのだ。
向こうの人が何を言っているのか聞き取れないことは有るけれど、
幻聴は、相手の姿が無くても言葉はハッキリと伝わってくる。
音という実体に寄らず、脳の創り出した声だから、かえって明確なのだ。
幻覚もそうだ。
視力が悪かろうが、ちょっと薄暗かろうが、幻覚はハッキリ見える。
脳の中で映像を創り出しているからだ。
多くの痛みも、これと同じなのだ。
※
という話を、股関節の痛みに悩むKさんに話していたら、
横からJさんが来て、「坐骨神経痛なんだけど」と言う。
ああ、それもイケますよ。騙されないでください。
と、言っておいた。
※
数日後、Jさんに会った。
「あれ、いけましたよ。痛くないです。」
わあ。
単純な野郎だな!
と言ったら悪いけれど、
確かに、人の話を一旦そのままに受け止める力というのは
必要だとは思う。
「でも~」「だってさー」などと言って、
現状の痛みを抱えた自分の状態というものに縛られ、
痛みに注目し続けていると、なかなか呪縛を解くことはできないだろう。
※
そんなこと言っても、ヘルニアが有ったら痛いだろう、と思う人もいるだろう。
ところがどっこい
ヘルニアが有っても痛くない人は実際にいる。
友人Bは、二十歳になるかならないかの頃に、腰椎ヘルニアで入院した。
そしてまた、四十代でも入院した。
その時、整形外科の医師は、手術を勧めなかったという。
椎間板の突出が有っても痛みの出ない人はいる、
手術して一旦痛みがおさまっても再発しがち、
手術の負担と、痛みの実態と、再発の可能性とを考え合わせたら、
手術は勧めない、という説明だったそうだ。
かなり本当のことを話してくれる先生ではないか。
※
筋肉が緊張しているとか、脱髄しているとか、神経が圧迫されているとか、
そういうふうに、認識しやすい現象の有る箇所を、脳は舞台に選ぶ。
そのほうが、うまく騙せるからだ。
自分自身を巧妙に騙す方法を、自分自身である脳はよく知っている。
どうか、騙されないで欲しい。
慢性痛が有ったら、脳の詐欺を疑って欲しい。
痛みの無い、楽な生活をして欲しい。
長く続くつらい痛みは、脳のつくりものだ。
無くていいものだ。
これが、消せる。
首の筋肉がコッているから、頭痛がする。
肩の筋肉がコッているから、不快。
背中の筋肉がコッているから、痛い。
椎間板が飛び出ているから、痛い。
神経が圧迫されているから、痛い。
こういった痛みが、思いがけないほどあっさり消える。
というのも、これは、筋肉の緊張などの、身体的・物理的なことが原因のように見えるが、
そうではなく、脳が創り出した実体の無い痛みだからだ。
それがニセモノの痛みであるということを知るだけで、痛みは消えてゆく。
騙されていたことに気付けば、もうそんなものは信じなくなるのだ。
※
なぜそんな痛みを脳が創り出すのか。
身体の痛みというのは、つらい。
どこかが痛いと、つらくて他のことが手につかない。
これが脳のもくろみなのだ。
子どもの頃、親の言葉に傷付いたけれども、
相手が親なので、離れるわけにいかない。
だから、そのできごとに封印をする。
意識の上では忘れてしまったように見える、そういう事柄から逸らすために、
当座の大問題となるように体の痛みを脳は創り出す。
子どもを育てるためにお金を稼がなければならない。
つらい仕事も休めない。腰が痛いけれど辞めるわけにいかない。
つらいけれど、親の責任として当たり前のことだから、
特に誰がほめてくれるわけでもない。
考えてもどうにもならない事について考えるくらいなら、
体の痛みが第一の悩みなほうがマシだから、脳は痛みを創り出す。
※
でも、
子どもの頃に傷付いた心や、
大人としての責任を果たす困難さの上に、
体まで痛いんじゃ、たまったもんじゃない。
つらいことを増やしてどうする。
その痛みは、脳みそが創った虚像ですよ。
ほんとは痛がらなくていいものを、脳がリアルに創って見せているんです。
でもほんとに痛いんだ、と思うだろう。
いや、脳が創るものほど、明瞭なのだ。
向こうの人が何を言っているのか聞き取れないことは有るけれど、
幻聴は、相手の姿が無くても言葉はハッキリと伝わってくる。
音という実体に寄らず、脳の創り出した声だから、かえって明確なのだ。
幻覚もそうだ。
視力が悪かろうが、ちょっと薄暗かろうが、幻覚はハッキリ見える。
脳の中で映像を創り出しているからだ。
多くの痛みも、これと同じなのだ。
※
という話を、股関節の痛みに悩むKさんに話していたら、
横からJさんが来て、「坐骨神経痛なんだけど」と言う。
ああ、それもイケますよ。騙されないでください。
と、言っておいた。
※
数日後、Jさんに会った。
「あれ、いけましたよ。痛くないです。」
わあ。
単純な野郎だな!
と言ったら悪いけれど、
確かに、人の話を一旦そのままに受け止める力というのは
必要だとは思う。
「でも~」「だってさー」などと言って、
現状の痛みを抱えた自分の状態というものに縛られ、
痛みに注目し続けていると、なかなか呪縛を解くことはできないだろう。
※
そんなこと言っても、ヘルニアが有ったら痛いだろう、と思う人もいるだろう。
ところがどっこい
ヘルニアが有っても痛くない人は実際にいる。
友人Bは、二十歳になるかならないかの頃に、腰椎ヘルニアで入院した。
そしてまた、四十代でも入院した。
その時、整形外科の医師は、手術を勧めなかったという。
椎間板の突出が有っても痛みの出ない人はいる、
手術して一旦痛みがおさまっても再発しがち、
手術の負担と、痛みの実態と、再発の可能性とを考え合わせたら、
手術は勧めない、という説明だったそうだ。
かなり本当のことを話してくれる先生ではないか。
※
筋肉が緊張しているとか、脱髄しているとか、神経が圧迫されているとか、
そういうふうに、認識しやすい現象の有る箇所を、脳は舞台に選ぶ。
そのほうが、うまく騙せるからだ。
自分自身を巧妙に騙す方法を、自分自身である脳はよく知っている。
どうか、騙されないで欲しい。
慢性痛が有ったら、脳の詐欺を疑って欲しい。
痛みの無い、楽な生活をして欲しい。
長く続くつらい痛みは、脳のつくりものだ。
無くていいものだ。
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