犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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墓参り

2014年07月11日 | 日々
昨日で父が他界して3年経った。

父の最初の妻は息子を遺して癌で死んだ。
その息子も二十歳の時に車の事故を起こして死んだ。
それ以来、父は不幸な人になり切ってしまった。
毎晩泥酔するまで酒を飲み、もうおしまいだ、と繰り返した。
私は子どもの頃に、人生なんて長く生きていても希望のあるものじゃない
と思うようになった。
死にたいけれど死ねない。というようなことで生きているのだから
健康に配慮するでもない。
自分の健康に配慮しないことは、他者をも大事にしない。
特に身近な関係である家族はそこでも巻き込まれる。
早い話が煙害である。
健康に配慮しないし、生きていたくもないのだけれど、
痛いのや苦しいのはいやだし、死ぬのも怖い。
毎日好きなだけ酒煙草を飲み、薬もまたたくさん飲む。
もともとの体力が強いのだろう、それでも85歳まで生きた。

ひとのせいになどしたくはないが、
死にたい人が家庭の中にいるというのは重たい影響のあるものだ。
命日のたびに、父の知人が何かを言ってきてくださる。
「お嬢さんの喪失感も大きかったことでしょう」などと
すばらしい言葉にあたって、甚だ無礼な話だが、
違和感に反吐が出そうになる。
与えられた幸せよりも失ったものにのみ目を向けて
不幸でありながら死なずにとどまった人。
私が四十歳近くなって、なにかの拍子に母がふと言った。
あなたに父親というものは無い。
なんだ、やっぱりそうだったのか、と、むしろホッとした。
あれでも父と慕わねばならないよりは、無いのなら納得できる。

3年前から実家に戻り、軽いパーキンソン病の母と二人暮らし。
緑多い庭のある家に住み、小鳥の声を毎朝聞き、時に老母に苛立ったり、
大きな病気もなく、少しの仕事があって、音楽が続けていられる。
私はそれで、幸せを感じている。
幸せだと言えることが幸せだと思う。
そういう言葉を使えるようになった自分に驚いている。
それだけでも充分な上に、自分の健康管理ができ、体を鍛え、
いつの間にか打たれ強くなっている心をもて、多くの友人があり、
一時は自分の家族と暮らすことができ、
いまは真摯に理解しようとしてくれる思いがけぬ恋人まで得て、
なんの不足があろうか。

こんなに立派な子を得て、幸せを感じて欲しかった。
というのは、残るのかもしれないなあ。

私はしゃんと生きて、プリッと死んでいくよ。

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