犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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症状と原因

2016年07月07日 | からだ
[あらすじ] 肩こりに鍼をしていると、一ヶ所良くなったら次の箇所次の箇所へと、
まるで痛みが移動するかのような現象が見られる。
全体が凝って痛んでいるのだが、一番痛いところだけが意識にのぼるような仕組みに
なっている、という説明ができる。


治療と痛みは追いかけっこのようだ。
この部分の痛みを治めたらあっちが痛い、あっちを治めたら今度はこっち、
というのをしらみつぶしになんてやっていたら、キリが無いようだ。
どこかが解決すると、どこかがひょいと現れる。

まるで、常にどこかに痛みを感じている必要があるようだ。

どこかに痛みがあって、また別のどこかに痛みがある。
こちらをかばっていたからこっちにも痛みが出たのではないか、
というふうに、因果関係でとらえる人が多いように思う。

それよりも、どちらもが、同じもっと深い原因から出ている結果だ
というふうに見るほうが妥当である場合が多そうだ。

ちょいと話題の中身はずれるのだが、
統計の見方にも、そういった読み間違いはよく見られる。
「朝食抜きの子は成績が悪い」なんてのが、"統計的裏づけ"をもって言われることがある。
だから朝食をしっかり食べなさい。ということにしたい、
結論ありきのものの見方をしているように思う。
私は、何か他の事情があって、朝食が抜けたり、成績がふるわなかったりするのではないかと思う。
何か他の事情と言っている何かが原因で、たぶん他にも何かの現象が並んで起きているかもしれない。
何か他の事情のところを見ないと、朝食を食べたところで成績は上がらないということも起きるし、
そもそも朝食をとりたくてもとれないというところで無理が出てくるだろう。

こういう問題は、
相関関係であるものを因果関係であるかのように言う、
情報操作と言えると思う。
もっともらしいので、気をつけたい。

これと似て、身体の症状も、
こっちが悪いからここにも影響が出た、という因果関係ではなく、
共通の見えない原因が深いところにある、という相関関係であることが多い。
そこを見間違えると、本当の原因にアプローチすることができず、
治せない。治らない。

中学生のころから肩がこる。
何気ない動きでぎっくり腰になった。
大人になってから咳喘息が出た。
こんなにいろんな身体の悩みが出てきたのは40歳過ぎてからだ。

原因から治したい。
さまざまな症状が出ているなら、ひとつひとつに対処することよりも、
深く見えない原因を探り当てたい。

つづく

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