犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

直樹賞

2015年07月17日 | 日々
私も、中学生の頃は太宰が好きだった。

たぶん、中学生時分の自意識過剰ぶりと、太宰の描く心象が
うまく重なったのだろう。

自分の心を通して物事を見つめ、そこにこだわり抜くことが
文学だと思っている。
自分の心を通してしか物事を見ず、そこにこだわっていると
病気になると思っている。
文学なんて病気だ。

今はそういった純文学をほとんど読まなくなった。
よく、本を読むことで追体験ができる、と言う。
そう思う。
そこは良い。
が、純文学的な表現である必要は、今の私は求めていない。

私の父は、過去の経験に、死ぬまでこだわった。
現在の家庭の幸福を中心に生活しないので、
子としては苦しいものだった。
父は不幸にこだわり、それを書き続けた。
私はすっかり文学が嫌いになった。

現在を見て得難いものを得ていることを知ること、
過去よりも今後をいかに生きるかということを見ること、
心身一如であること。
そういうことが、私の中心になった。

まあ、文学のすべてが不健康とは言わない。
何にこだわるか、そこが人柄と結びついていると思う。

ピース又吉は、ある雑誌のインタビューで、
「おもろいひとはやさしい」ということを語った。
私の持論で言うと、そんなことを言うおもろい又吉がやさしい。

『火花』作中にも、いろんなひとへのやさしい目線が随所に見られる。
オチに向けて、マイノリティへの配慮を見せる。
性的マイノリティなんて、笑いにしやすい。
そこを扱っている点でも、この作品と、ピース又吉という芸人が、
気になる。

ピースには、「タモツと兄貴」というコントがある。
このコントを作った頃と、『火花』を書いた中で、
どんなふうに思いが変わったり変わらなかったりしているのだろう。
誰か、そんな視点でインタビューをしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=gLXjDPmA_0s

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