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カーリダーサ

2018年03月05日 | 国語真偽会
カーリダーサなんて、高校のときに世界史の授業で出てきた記憶がある。
なんだと思ったら、詩人の名前なのだな。

サンスクリットで、詩人をkaviと言う。
詩人と言って現代日本人がイメージするものと、ずいぶん違いそうだ。
ひらめきによって言葉を得るらしい。
それは霊感とか天啓みたいなものに近い。
だから、詩人はただの文学者ではなく、聖者のような意味を持っていたようだ。

詩の全体が韻律によっている。
韻と言ってわたしたちがイメージするものは、
句の最後の母音が同じにしてあるとか、そんなものだろう。
ラッパーがやっているこの脚韻は、英語向きだ。
日本語では頭韻と言って、言葉のはじめの子音を揃えて響かせるということもする。

サンスクリットの韻律は、これとまた違う。
サンスクリットの母音には、短いものと長いものがある。
この組みあわせのリズムを、句の中で反復させるのだ。
と、文章で説明するのって難しい。



今年度、東大仏教青年会のサンスクリット初級講座を受講した。
先日、最後の授業が終わった。
若い先生が言う。
「一年経って、何が自分の糧になったか分からない方もあるかもしれませんが、
何かが潜在的にのこっているはずですから、
できれば継続して学んでいっていただければ、私としては嬉しい限りです。」

初級文法の最後の最後で、複合語について勉強した。
最初にやりたいくらい重要な部分である、と先生は言う。
しかも、複合語というものを理解して読み解けないと、中級に進めないと言う。
複合語についてだけで半年くらいかけられる、とも言う。

すると、あと半年くらいじっくりと複合語を勉強しないと、
中級講座なんか受講して文献購読しようと思っても、無理があるのか。

年度の変わり目にあって、これから一年どうやって学んで行くか、
迷うところだ。
自分で取り組んでいる初級文法のテキストが、あと半年かかる分くらいまだ残っている。
購読できるテキストも、いくらか入手している。
それを個人的に勉強していくか、隔週ペースの中級講座を受講するか。

今後一年がどのような過ごし方になるのか。
分離不安ぎみの飼い犬を独り残してあんまり外出したくない気持ちもあるが、
そんなこと言ってたら再来年度には犬もますます老いてなおさら受講できない。
さてどうしよう。



毎回、宿題が出た。
8つばかりのサンスクリット文を、文法的に分析し、和訳する。
複合語の回の例文は、ほんとうに複合語がてんこもりだった。
「めちゃめちゃ詰め込まれてますね。集大成感ありますね。」
と、文を集めた先生も、満足げである。

sadyo vasantasamayena samāciteyaṃ raktāṃśukā navavadhūr iva bhāti bhūmiḥ//
この大地は突如として春という季節に覆われて、赤い衣を身にまとった新妻のように見目麗しい。

サンスクリット文は、語順にあまりこだわらない。
修飾語が被修飾語から離れていることもある。
修飾語は被修飾語の性・数・格と揃えるので、語末の形を見れば、離れていても関係が分かる。
だから離してしまっても良い、ということなのかもしれない。

上のサンスクリット文のままの語順に和訳を並べ変えると、こんなことになる。
突如として 春という季節に 覆われて この 赤い衣を身にまとった 新妻の ように 見目麗しい 大地

「この」の位置がものすごいことになっている。
ただ、性・数・格からして、「この赤い衣」とか「この…新妻」ではないことが分かる仕組みになっている。
それにしても「大地」と遠い!
私は、宿題として解いている時には、この「この」の正体は分からなかった。
「覆われてんの」と妙ちくりんな形になって意味不明、と思うのが精一杯であった。

「カーリダーサの詩『リトゥサンハーラ』の一節ですね。
美しいんですけどー、むちゃくちゃ難しいんですよ。」と先生。
インドの季節は四季ではなく6つなのだそうで、それを歌った詩なのだという。
後で調べたら、カーリダーサの作であるかどうかは、疑問とされているようだ。

「サッドゥヨーヴァサンタサマイェーナサマーチテーヤム ラクターンシュカーナヴァヴァドゥールイヴァバーティブーミヒ
いや美しい文ですねー。」
なんだろう。何がどう美しいのだろうか。
春の自然の美しさを若い女性に喩えたことが美しいのだろうか。

性・数・格が揃っているから、離れていてもどの語を修飾しているか分かると言ったって、
わざわざこんなに離すことも無い。
いや、
必要が有るから離しているのか。

あっ!韻律か。
「サマーチタ(覆われた)」の直後に「イヤム(この)」を移動させてくると、
連声(れんじょう)といって発音が繋がる法則がはたらき、「サマーチテーヤム」となる。

音の長さを書き出してみた。
・-・-・・・-・・-・-・ ・-・-・・・-・・-・-・
なるほど!
・-・-・・・-・・-・-・ の繰り返しになっているのだ。
「この大地」の「この」をぐっと前の位置にずらすことによって、韻律を整えていたのだ。

とは言え、「この」の位置だけの問題ではない。
他の言葉も、春の美しさを歌いながら、このリズムを構成している。
数多ある言葉の中からこの言葉の組み合わせを見つけ出し、こんな詩を編み上げているのだ。
なんという完成度だろう。
美しい。



授業の後、先生のもとに行って質問した。
最後の授業になって、私は初めて先生に質問した。
「この」の位置がこっちに来ているのは、韻律のためですか?
「そうですそうです!」
こことここで繰り返しになっているんですか?
「そうですそうです!」
先生は珍しく嬉しそうな表情を見せた。
あー、美しいですね。
「美しいですよね!」
今後勉強を続ける楽しみができました。ありがとうございました。

かなり難しいけれど、とてつもなく面白いものに出会ったようだ。

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