犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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夢を見る

2021年12月28日 | からだ

先週、夢=潜在意識=自分の中のコドモ、であり、
ということは自由な夢を見るのはコドモ部分がのびのびとして生きている証なのではないか、
また空を飛ぶ夢をみたいなあ
と書いた。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/a11c5e52a0a4370ee6c7227bc0830e48

この頃、夢をあまり見ない。
この1年で数回しか夢を憶えていない。
自由な夢を見ていないどころの騒ぎじゃない。
夢自体を見ていないのだ。

コドモのように生きてみよう、というふうに思い決めてみた。
これで夢が見られるんじゃないか。
すると途端に、予定をすっぽかしたり遅刻したりを連発した。
これでは社会生活がたちゆかない。

むしろ、オトナの部分はきちんと沈着にオトナとして営み、
コドモの部分はその中で護ってやれば良いのではないか、
というふうに考え直した。
すると早速、夢を見た。

まだ、良い夢とまではいかないが、
以前見ていたのと似たパターンの夢を見ることが続いた。

これならいけるかもしれない。



目が覚めたら、見た夢を克明に記す。
この方法で、夢の内容が良くなったりコントロールできるようになったりする。

私は以前、
夢の中でぼやいてぼやいてぼやいた末に怒鳴ってグーでパンチして目が覚める、
ということを時々やっていた。
あーらお気の毒。病んでるぅ。

これはけっこうしんどい。
なので、ノートを枕元に用意して寝るようにした。

夢のストーリーのみならず、
登場人物、ストーリーには関わらないけれどそこにいる人たち、その数、
風景、景色の広さ、明るさ、色彩、
空気感、肌感覚、触覚や味覚や嗅覚などは有ったか、
などなど、微に入り細を穿ってねちねちと記す。

しばらくしたら、苦しい夢は見なくなった。
夢には好きな人が出てきて、ハッピーなストーリーで、
心地よい感覚と幸福な余韻が残るようになった。

効果絶大である。



野沢直子『笑うお葬式』について書いた。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/f244a0df70349ccbdbfd5d4f809f660e

作中、野沢は両親から生き貫く力を教わったと書いている。
私は、そういう感覚を持っていないので、
とてもうらやましく、感じ入り、ちょっとお裾分けを貰ったように感じた。

感想文の中には、私の子どもとしての立場しか書いていない。
私が親として子どもに対してどうなのか、という視点で書いた部分は無い。
私がXジェンダーとして、生まれつき女性であり恋愛対象が女性である中、
親という立場を得るためにはどのようなことをしてきたのか、
といった辺りの説明をしなければならない。
それは話が長くなるから、避けたのだ。



18歳の子を持つ友人が言う。
「とにかく子どものことは護れ。」と。

詳細をばっさり省いて言えば、
私は、出遇った子どものことを護りきることはできなかったと思っている。

せめて自分の中のコドモの部分くらい護ってやるとするか。
子どもを護れなかったと思っているということも、
自分の中のコドモを傷付けているような感じもする。



子どもがのびのびと過ごせますように。

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