単行本はずいぶん加筆されているそうだ。
まだ、読んでいない。
2017年に文藝春秋から出たムック本『文藝芸人』に掲載されたものを読んだ。
単行本の中で野沢は「エッセイ」と呼んでいるが、
30ページに及ぶそれはエッセイを超えた作品になっていると思う。
父の最期にあたる野沢の思いがしっかりと描かれている。
※
私の父は、不幸な人になってしまった。
恋女房を癌で亡くした。
その数年後、再婚し、1年後に生まれた子は2日で他界してしまったが、
その2年後に私が生まれた。
さらに8年後、先妻の忘れ形見である息子が
自動車の単独事故で死んでしまった。
毎日の晩酌が習慣であったが、
父は時々泣くようになった。
口癖は「もうおしまいだ」だった。
父は小説を書く人だった。
汽車の向いの席にいたはずの妻と息子がいなくなり、
代わりに見知らぬ女と子が座っている。
そういう表現をしているのを、私は十代後半頃に読んだ。
妻も息子も失って独りきりになったのではなく、
母や私という者が在ってもなお喜べないのであれば
私はなんなのか。
少なくとも、親子ではない。
そう感じた。
その父を受け入れている母にも疑問を抱いた。
しかしその後、母は私と父の関係が壊れていることに理解を寄せた。
私は少し、納得した。
私が三十代の半ばの頃だったか、あるとき母が言った。
「あなたに父親というものはいない。」
納得もいくけれど、ならばなぜその父のもとに私を引き留め続けたのか、
という思いも生じた。
「父親というものはいない。」と母が言うことで、
私は父と母と両方を失った。
※
野沢の父親は、文字通りの破天荒であったようだ。
あやしげな商品を開発したり会社を興したりしては失敗する。
事業がうまく行っている時には生活は豊かだが、
失敗すりゃ困窮する。
おまけに外に女を作って家に寄り付かない。
そんな夫のために翻弄されているはずの母親は、
しかし娘の前では、生活に困った様子も夫への怒りもまったく見せない。
「母は生来の明るさからか何があってもいつも笑っていて、
父の失踪事件が起きた時すら母は毎日明るく振舞っていた。
借金を抱えたまま夫が別の女と数ヶ月の間失踪すれば、
普通は離婚ということになってもおかしくはないのに、
母の明るさのお陰で我が家は崩壊することもなく、
そのせいか私も、この一件が悲惨だったとは決して思わないのだ。」
「あの状況下でも私は、笑って育てられた。
不幸な状況にあっても、「不幸」だと思わなければ、不幸ではない
ことを身体で覚えた。
私の中には、何があっても笑って乗り越えてきた母の明るさの、
その強さがある。
これは私の人生を幸福に導いてくれる最大の武器で、
母からの最高の贈り物だったと感謝してやまない。」
「父は私に、「女だってこれからはな、手に職の時代だ。
女だからって誰かに嫁にもらってもらえれば、
人生それでいいってもんじゃないんだぞ」と、
私が小学生の頃から繰り返し言っていた。」
「『手に職』は『テニショク』という単語として私の中に
残っていただけなのに、父は家にいることも少なくて、
十代の頃は私と父はほとんど話もしていなかったのに、
でもそれでも父の言葉はきちんと私の記憶に残っていて、
それが私の人生の指針になっているのだ。
そして私も、目に見えない力は信じない、
信じるのは自分だけだとどこかで思っている。
いつしか父と同じ考え方をしているのだ。」
※
人が、自分を信じて、生きていく、
生きていくこと自体に迷わない、
そういう力、生きる力。
親は、子を産む。
産む。つまり、命を与える。
次に、育てていく中で、生きる力、つまり命を与えることができる。
※
私は自分の親との関わりを思うと、
なんだか自分の存在意義が分からなくなるという
経験をしてしまった。
そういう私の心の奥の隙間を
この『笑うお葬式』は少し、
埋めてくれるような感じがするのだ。
まだ、読んでいない。
2017年に文藝春秋から出たムック本『文藝芸人』に掲載されたものを読んだ。
単行本の中で野沢は「エッセイ」と呼んでいるが、
30ページに及ぶそれはエッセイを超えた作品になっていると思う。
父の最期にあたる野沢の思いがしっかりと描かれている。
※
私の父は、不幸な人になってしまった。
恋女房を癌で亡くした。
その数年後、再婚し、1年後に生まれた子は2日で他界してしまったが、
その2年後に私が生まれた。
さらに8年後、先妻の忘れ形見である息子が
自動車の単独事故で死んでしまった。
毎日の晩酌が習慣であったが、
父は時々泣くようになった。
口癖は「もうおしまいだ」だった。
父は小説を書く人だった。
汽車の向いの席にいたはずの妻と息子がいなくなり、
代わりに見知らぬ女と子が座っている。
そういう表現をしているのを、私は十代後半頃に読んだ。
妻も息子も失って独りきりになったのではなく、
母や私という者が在ってもなお喜べないのであれば
私はなんなのか。
少なくとも、親子ではない。
そう感じた。
その父を受け入れている母にも疑問を抱いた。
しかしその後、母は私と父の関係が壊れていることに理解を寄せた。
私は少し、納得した。
私が三十代の半ばの頃だったか、あるとき母が言った。
「あなたに父親というものはいない。」
納得もいくけれど、ならばなぜその父のもとに私を引き留め続けたのか、
という思いも生じた。
「父親というものはいない。」と母が言うことで、
私は父と母と両方を失った。
※
野沢の父親は、文字通りの破天荒であったようだ。
あやしげな商品を開発したり会社を興したりしては失敗する。
事業がうまく行っている時には生活は豊かだが、
失敗すりゃ困窮する。
おまけに外に女を作って家に寄り付かない。
そんな夫のために翻弄されているはずの母親は、
しかし娘の前では、生活に困った様子も夫への怒りもまったく見せない。
「母は生来の明るさからか何があってもいつも笑っていて、
父の失踪事件が起きた時すら母は毎日明るく振舞っていた。
借金を抱えたまま夫が別の女と数ヶ月の間失踪すれば、
普通は離婚ということになってもおかしくはないのに、
母の明るさのお陰で我が家は崩壊することもなく、
そのせいか私も、この一件が悲惨だったとは決して思わないのだ。」
「あの状況下でも私は、笑って育てられた。
不幸な状況にあっても、「不幸」だと思わなければ、不幸ではない
ことを身体で覚えた。
私の中には、何があっても笑って乗り越えてきた母の明るさの、
その強さがある。
これは私の人生を幸福に導いてくれる最大の武器で、
母からの最高の贈り物だったと感謝してやまない。」
「父は私に、「女だってこれからはな、手に職の時代だ。
女だからって誰かに嫁にもらってもらえれば、
人生それでいいってもんじゃないんだぞ」と、
私が小学生の頃から繰り返し言っていた。」
「『手に職』は『テニショク』という単語として私の中に
残っていただけなのに、父は家にいることも少なくて、
十代の頃は私と父はほとんど話もしていなかったのに、
でもそれでも父の言葉はきちんと私の記憶に残っていて、
それが私の人生の指針になっているのだ。
そして私も、目に見えない力は信じない、
信じるのは自分だけだとどこかで思っている。
いつしか父と同じ考え方をしているのだ。」
※
人が、自分を信じて、生きていく、
生きていくこと自体に迷わない、
そういう力、生きる力。
親は、子を産む。
産む。つまり、命を与える。
次に、育てていく中で、生きる力、つまり命を与えることができる。
※
私は自分の親との関わりを思うと、
なんだか自分の存在意義が分からなくなるという
経験をしてしまった。
そういう私の心の奥の隙間を
この『笑うお葬式』は少し、
埋めてくれるような感じがするのだ。
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