忍ケ丘の駅を超え、曲がりくねつた旧道を進むと、この辺りが旧正法寺
跡と言われるところだ。
説明板によると旧正法寺は白鳳時代から江戸初期の頃までこの地に有っ
た寺院らしく、発掘された遺物などから、東西に二つの塔を持つ、薬師寺
式の伽藍配置を誇る大寺と推定されている。
白鳳時代には持統天皇が幼少期を過ごしたのが、この正法寺であったと
伝えられているとか。東高野街道と清滝街道の通るこの四条畷は、原始時
代の遺跡や貝塚なども残され、このほかにも古寺・古社の多い北河内でも
特異な地域で有ったらしい。
ところでこの四条畷の「畷」は、難読漢字の一つで有ると同時に、正確に
書くには中々難しい字でもある。
この字は「道」と言う意味を持っているらしいから、古代農地を区画整理した
条里制の「四条にある道」とでもなるのか、なかなか面白い、興味深い地名
でも有る。
中野で国道163号を潜る。
その先は住宅地の中の道となり、右手からJR片町線が近付いてくると、
そこに四条畷市の歴史民俗資料館が有った。
入口付近に大きな楠が植えられ、傍らに「この道は京都の東寺より高野山
に至る街道であり・・」と書かれた石柱が建てられている。
一般に「東高野街道」は京都府の八幡市が起点とされているが、この道
はお大師信仰の聖地への道であることから、起点をお大師に馴染みのあ
る東寺とし、「鳥羽街道」からここに至る一本の巡礼道として考えられてい
るようだ。(続)
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