簾 満月「バスの助手席」

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草津川(東海道歩き旅・近江の国)

2024-04-08 | Weblog
 街道筋には、アパートやマンションも増え、草津市に入ってきた。
余り広くはない旧道には行き交う車が増え、はや前方には中心市街地
の高層ビルも見えている。左手は、廃川となった旧草津川の堤防だ。



 草津市を流れる草津川は、大津市南東部の鶏冠山(標高491m)西麓
を源流として、琵琶湖に流れ下る淀川水系の一級河川である。

 江戸時代中期の頃より天井川が形成され始めたらしく、明治には川底
に国道のトンネルが通されていることから、短期間の内に一気に形成さ
れたものと考えられている。



 これまで見てきた天井川は、都で社寺の造営が急速に進み、大量の樹
木を伐採したため、土砂の流出が進み、天井川化したとの説明を目にし
てきた。
しかし、草津川流域は元々風化した花崗岩地で、大雨の度に多量に土砂
が流出したらしく、若干事情は異なるようだ。



 とは言え堤内地盤から河床までの高さが約5mもある危険な天井川は、
大雨ともなると、川筋の田畑に多大な洪水被害をもたらす。
その為川を平地化し、琵琶湖までの5.5kmに新たな放水路を整備する治
水事業が行われる事になった。



 金勝川と合流する同市青地町~御倉町の間、7.2 kmを掘削し、その間
の小規模な天井川を統合或は廃川していく計画だ。
これが「草津川放水路事業」で、昭和57(1982)年から始まった。

 工事は順調に進み、平成14(2002)年には、新たな放水路の開削工事
が終了し通水試験が行なわれ、旧草津川は廃川となった。



 工事完了の7年後に新川の管理が滋賀県に移され、「草津川放水路」は
完成を見た。 廃川により生まれた広大な空間は、延焼阻止の緩衝緑地や、
市街地に残存する貴重な緑地として公園化や観光農園化が進み、市民の憩
いの場となっているという。(続)





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