赤崎はかつて武左衛門が、味野と共に開発した塩田が広がる土地であった。
塩田王とまで言われた武左衛門は、開発した地名から一文字ずつを取ってこの地
を野崎浜と呼び、自らは名字帯刀を許され野崎武左衛門と名乗るようになった。
そんな備前赤崎駅の手前辺りから沿線の標高は少しずつ高くなる。
この先で車の往来の激しい国道430号を横切るが、ここでは緑の風の道も中断
されているので迂回路を行くことになる。
再び廃線跡道に戻り暫くして「阿津駅跡」だがこの駅間は僅かに500m程である。
町内会なのかボランティアなのか良く解らないが、沿道は花の会により植えられ
た沢山の草花で彩られていて気持ちがいい。
「この先で水仙が見ごろだ」と散歩中の男性が教えてくれた通り、足元には帯状
に植えられた水仙が満開を向かえていた。
左手の天祥禅寺辺りで右に大きくカーブすると、左手にはJR瀬戸大橋線の高
架が近づいて来て、その先で高架を潜ると視界が開け、児島ボートレース場の喧
騒が聞こえてくる。
更に視線を先に送れば瀬戸内の青い海がキラキラと輝いて見える。
右手は神道山(144m)の山肌が迫っていて、緑の中を歩くようで、ここまで来る
と標高も20mほどまで上っている。
「旧琴海駅跡」付近は、公園の広場のようによく整備され、周囲には何本も
の河津桜が植えられていて、それが見ごろを迎えていた。
地元の人々の散歩コースになっているのか、これまでに比べると俄然人が多く
なってきた。駅跡では孫を連れた老夫婦も散歩途中なのか休んでいる。(続)
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