「まるで極楽のような。」と、家の周りに、花が咲いて美しい眺めを見て母はいう。それでは、天国は花盛りで美しいのだろうと思うが、そこには何があるのだろう。いわゆる「娑婆」は、いろいろ厄介なことが多いので、美しいものを見ると癒されるのである。
美しいものばかりで囲まれているとどうなのだろう。
美人は3日で飽きるという。小百合であるわたしを毎日見ていた殿は、飽きた様子がない。と、いうことは美しくないということか。「毎日、笑わせてくれる。おもしろい。」とは、殿がわたしに言う褒め言葉だった。
日曜のラジオで、三宅裕司が「今日のマコさま」を、読んでいると、どうもわたしと重なるらしい。そんなに面白くはないと思うが、何でも真面目に取り組みながら失敗をしでかすからだろうか。
それにしても、天国は退屈ではなかろうか。例えば、天国で弓道三昧で中たりばかりだとしたらどうだろう。結果を競ったり、挑戦してダメだったりするから楽しいということもある。何でもうまくいき、美味しいご馳走があり、美しい花と音楽があるとするとどうだろう。
天国はお釈迦様が池の周りを散歩すると、静かで蓮の花がポンと咲く音がするらしい。では、おならもできないよね。静かすぎて。殿、大丈夫か。絶対、わたしがいなくて寂しいに違いないと思うよ。
娑婆には地獄のようなニュースも聞くし、厄介な人付き合いもあるし、仕事はストレスがあるし、なんだかいろんな厄介ごとを気前よく引き受けてしまうし、時々「だちかんわ」と、言いいたくなるようなことがある。でも、まだその静かな天国には行けそうもない。去年の今頃は憧れていたけどね。わたしも行きたいよーと。
とにかく忙しくして、くたくたになって布団に入った瞬間、天国だ―と思うよ。時々、そちらに飽きたらわたしの夢の中に遊びにきたらいいのに。
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