やっと新米にありつけた。
古米が終了したのは10月の始めだった。
新米はうまい。どうしてこんなにうまいのか。
旨い。美味い。
美味いは可愛いとイコールか。
可愛い赤ちゃんは、食べてしまいたいくらい‥という。
さて、そうなると煮ても焼いても食えないのが老害の爺さんだ。
いや婆さんもそうかもしれないが。
婆さんの場合、何かと家事一般をこなしているので、煮ても焼いてもではなく
煮たり焼いたりしているので少し違う気がする。
老害の人は、空気が読めない。
相手の話を聞かない。聞いてもすぐに忘れる。
おまけに、自分の考えがすべて一番よいと思っている。
何回も自分の栄光を語る。
その語る栄光は、世の中に出すと全く目立たない代物である。
人のことを言っている場合ではないかもしれない。
老害の一番厄介なのは、あんな老人になりたくないと思い、自分はまだましだと思い込んでいることだという。
そうなると、自身をけなしていることになる。
恐ろしや。
恐ロシヤといえば、怖いのは、ロシアだけではない。
あっちもこっちも戦争で、負けるなということは殺せなのでは?
とにかく休戦してください。と、言いたい。
決着はつけないで、どちらも休んでください。
SDGsだ、リサイクルだ、エネルギーの消費を抑えようというが、戦争でボカボカやっていたら、この小さな節約など、針の先ほどの効果もない。
何はともあれ、新米を美味しいと言える境遇にあることに感謝して、食べ過ぎないよう注意しなくてはならない。
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