旧杉田劇場で何度も公演をしていた市川門三郎一座。昭和22年8月24日から28日までの5日間、「壺坂霊験記」全通しをやっていた。
これは明治時代に作られた浄瑠璃の演目で、盲人とその妻の夫婦愛を描いており、のちに歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなって人気を集めた。旧杉田劇場に登場した「壺坂霊験記」では、浄瑠璃にはない雁九郎という悪者が登場する。それを演じるのは門三郎で、盲人の沢市役との早替わりも見ものだったようだ。
女房のお里役は市川女猿。独立行政法人日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーによると、女猿は昭和12年から39年まで活躍した役者のようである。その女猿のブロマイドが磯子区民文化センター杉田劇場に残っていた。
女猿という役者名から想像したとおり、この人は女形だったことが写真から分かった。最近、インターネットで調べたら、こんな解説がヒットした。
昭和12年「弓矢太郎」の老女方、待女渚役で名題に昇進したというのだ。独立行政法人日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーによると、女猿は昭和12年から39年まで活躍したとある。この人で間違いないだろう。
写真はもう1枚残されていた。「日高川渡し場」と書かれた木柱の横に佇むのが市川女猿だ。背景には川のような絵が描かれている。
浄瑠璃の「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」を基に演じられた歌舞伎で、日本大百科全書(ニッポニカ)「日高川入相花王」の解説によると、日高川の場だけが歌舞伎に伝わり、これだけが演じられてきたそうだ。
残されていた昭和22年の写真と現代のインターネットから、こういったことが判明したのである。
byうめちゃん
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