私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

唯識について

2014年06月27日 11時07分53秒 | 個人的なこと
◇唯識について◇

ついさっき、頭の中に「唯識」というキーワードが浮かんできたので、それをネットで検索したら、それについてウィキサイトに詳しく書かれていました。

正直、驚きました。
自我や真我について私が体験と直感により理解したものが、大凡そっくりそのまま書かれてましたから。
それと過去この地球に生まれてきた数多くの存在の中で、自我や真我の本質についてそれらが何たるかを理解している存在は極めて少数なんではないかと思ってましたから(これぞ井の中の蛙です、大いに笑ってやって下さい、(^o^))。

自我は考え(認識)そのものであるということも、真我は考えである自我を誘起させる種であるとともに、自我が抱え込んだ考え(執着)を溜め込むタンクであるということも書かれてました。
また、真我が自我に強く関与する部分と、それ以外の部分の二重構造を有しているということも書かれてました(正直、これには本当に驚きました)。
しかもそれが、ネットサイトに実に簡便に書かれていることにも大変驚きました。

そのような驚きと、私の理解はそれで合っているだという確信と、自分でもよく分からない戸惑いとともに、この記事を書いています。
わざわざ私が自我や真我について伝えようとする必要はないのかも知れないなあとか、いやいやそれを頭ではなく実体験として理解しているものが伝える意義があるのかもとか、いろいろ考えたりして(笑)
それと、私は過去世で仏教経典を学んだことがあるのかもなどというたわいのない空想もしたりして(笑)。

何か分かったらまた書きますね。(^^)

<補足です>
唯識論には、すべてが考え(識)ではなく、根幹部には考えではない実体があるという立場があるようですが、私の理解は、そうではなくすべて考えであるというものです。


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個人的なこと(入眠時の夢の観察)

2014年06月10日 10時28分35秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(入眠時の夢の観察)◇

この話題は悟りにはまったく関係ないことなので、この点ご了承ください。

最近、自我の意識がある程度目覚めたまま入眠状態に移行してしまうことがよく起こるようになっています。
過去にその逆のパターンである、夢の中で自我の意識がある程度目覚めたまま夢から目が覚めるということはたまにあったのですが、このような現象をハッキリと自覚するようになったのは1ヶ月ほど前からなのです。

どんな感じかといいますと。
布団で目を閉じて横になっているとき、自我の意識が目覚めたまま夢を見始めるのです。
そのとき、自我の意識は目覚めてますから、それが夢であることは認識していてるのです。
自分が目を開けて肉眼で何かを見ているのではないかと思う程、リアルな映像が見えるのです。
ですが、意識がもうろうとしてますので、夢と現実の区別がハッキリできずやや混乱してしまい、「アレ、アレ?」と不思議に思いながら夢を観察するという感じです。
あまりあれこれと意識を使っていると、目が覚めてしまいます。
面白いので毎晩、入眠時の夢の観察をやっています。

それでこんなことも考えています。
眠りと死は類似した現象だと思いますので、死ぬときに自我の意識が目覚めたまま死んでいけないかと思っています。
面白そうでしょ。(^o^)

また何か分かったら書きますね。(^^)


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近況など

2014年06月06日 09時13分58秒 | 個人的なこと
近況などを書かせていただきます。

ここのところ記事の更新が滞り気味になっててすみません。
書きたい内容が思い浮かばないのと、何もやる気がせず、一日中ぼーっと過ごしています。
唯一やっていることと言えば、最近知った海外の無料アニメ動画サイト(著作権に関する違法動画です、苦笑)で過去のアニメを延々と観てます。

それでも、仕事(私一人の個人事業です)は、今年8月を目処に終わらせるべく、少しずつ作業を進めています。
本当にゆっくりとしたナメクジが進むよりも遅い速度です。(^o^)
仕事を終わらせた後は、当分は(おそらく、私の貯蓄が無くなるまでは)何もせず家にいることになるのだろうと思っています(貯蓄はそう長くは持ちません、笑)。
家内は普通の感覚を持った普通の人ですから、いろいろ大変だろうと思っています。

でも例え何があっても大丈夫なのです。
すべてはなるようになっていきますから。

もちろん、私も苦しみや苛立ち等の感情は起こってきます。
正直に言いまして、いまの私を取り巻く状況は常識的な感覚からして困難で苦しい状況ですので。
でも私はもう何も考えを掴みませんので、苦しみについてもそれに囚われることなく流れていきます。
ですから、苦しみがそれ程大きく増大することはありません。
状況が変わりませんから苦しみも繰り返し起こってくるのですが、それが起こってきても比較的直ぐに流れていき、その後はまた平穏の中に入ります。

いまの私は、苦しみに限らず、起こってくる喜びや他の考え、出来事なども、それらを掴むことなく、それらの流れの中に、流れのままに生きているという感じです。


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思い出ばなし(宇宙と虚無)(2)

2014年05月29日 16時54分34秒 | 個人的なこと
◇思い出ばなし(宇宙と虚無)(2)◇

前回の記事からの続きです。

宇宙やそれに含まれる事象の根本原因等について思索を巡らせ、その根本原因等には我々人間は到達不可能であるという理解を得たときには、私は受験勉強を含めたいろいろなことに対してすっかりやる気を無くし、どっぷりと虚無の中に浸っていました。
ひょっとすると、事象の根本に対する思索を巡らせ始めたときには、既に虚無の中にどっぷりと浸っていたのかもしれません。

そうして、私は高校3年からその翌年の自宅で浪人した年の暮れにかけて、自宅にほぼ閉じこもり、まるで鬱病者のような生活をしていました。
その間、受験勉強は全くと言っていいほど手に着きませんでした。

虚無感が深まるに連れ、引き寄せられるようにして死を意識するようになっていきました。
すべてのことについて意味が無いことはもう理解してましたから、生きることの意味を見出すこともできず、死に憧れるというか、死を求めるようになっていきました。

そして、それは浪人した年の暮れにピークを迎えました。

(どうも書きにくいし、書いてて気分も悪いし、自分でどうしてこれをここに書くのかが分からず、何度も中断しながら書いています、苦笑)

死ねるかどうか試してみようとして、よく研いだ包丁を首筋に押し当ててみたんです。

首筋に押し当てた包丁をぐっと引こうとしたのですが(引こうとしてみたと言った方が正確か)、引けませんでした。
引けそうにありませんでした。
奥底からこみ上げてくる恐怖心と、よく分からない抑制本能のような壁があり、私にはその壁を越えられそうにありませんでした。
数日くらいの間に、2度か3度やってみましたが、ほぼ同じような結果でした。

しかし、自分の首に包丁を押し当てるというその愚行は、私の心に転機をもたらせました。
その愚行により、人間、少なくとも私自身は簡単には死ねないんだと強く納得したのです。

「死ねない」ということは、「生きるしかない」ということを意味していました。
そしてそれは、生きていくしかないんだという覚悟に繋がりました。

私はこのとき生まれて初めて、生きることに対して積極的になれたのでした。
それはまるでボールが地面で跳ね返るような感じでした。
死を求めていた自分が嘘だったかのように、私の視線が生きること、自分の人生を展開していくことに移ったのでした。

そして、私は取りあえず大学へ行こうと思い、自分が受かりそうないくつかの大学を慌ててピックアップし、受験しました。
運よくある大学に合格することができ、その大学に入学しました。


当時の私の状態について、一時はいわゆる思春期鬱の一種かと思ったりもしていたのですが、いまは、そうではないのだろうと思っています。
青春時代のあの出来事は、その後に悟りを得るための途中の過程だったのだろうと思っています。
なぜなら、いまの私は、今回の自分の人生のテーマはいい大学に入ることやいい仕事に就くことではなく、私の内面を見つめ、悟ることだと知っているからです。


<補足>
極論というか、深い悟りの視点で観たとき、生きることに意味などありません。
意味は私たちの自我が考えている考えであり、幻です。
しかし、多くの方々は意味がないことを例え頭で理解したとしても、その幻である「意味」を握りしめ、追い求めてしまいます。
中途半端で無理に納得しようとせず、あたなに見える「意味」を、あなたが感じる「意味」をとことん追い求めてみて頂きたいと思います。


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思い出ばなし(宇宙と虚無)(1)

2014年05月28日 13時39分59秒 | 個人的なこと
◇思い出ばなし(宇宙と虚無)(1)◇

また一つ思い出ばなしを書いてみたいと思います。

私には、生来の特性として根本を追求するという強い衝動があります。
6歳のころには、不要となったネジ式の柱時計を分解したりしていました。
また小学校に入ると、真空管テレビを分解したりしていました。
根本を追求する衝動の他に、強い破壊衝動もあるようです。(^o^)

そうしているうち、私の興味は物理や宇宙に向かうようになりました。
そして、中学3年のころには、宇宙の仕組みや、宇宙がどうしてあるのか等について思考を巡らすようになっていました。
その方面の一般向け啓蒙書を読んだりしながら、時間、空間、物質とは何なのかとか、宇宙がどうしてあるのか等について、延々と考えていました。
なお、私のその疑問は余りに根本的なものであり、私の疑問に答えてくれる書物はありませんでした。

そしてあるとき、確か高校2年から3年にかけてのころ、私は自分の疑問に対する一つの解答を得たのです。
その解答とは、私はこの宇宙の構成要素そのものなのだから、その私がこの宇宙の根本を知り得るはずがないというものでした。
時間、空間、物質等の宇宙の構成要素の根本が何であるのかという疑問はもちろん、宇宙がどうしてあるのかという疑問も、その理解を私たち人間が得ることは根本的に不可能であることを確信したのです。
つまり、私たち人間にとって、宇宙発生の根本原因を知り得ない以上、その根本原因は存在しないも同然なのです。

このことは私にとって衝撃でした。
なぜなら、宇宙の根本原因が存在しないも同然ということは、宇宙があることの意義(意味)も存在しないも同然だということだからです。
そしてそれは、宇宙そのものや宇宙に含まれる各事象の存在意義(意味)も存在しないも同然だということだからです。
そして、その衝撃は直ぐに虚無感に変化していきました。

いまから思うと、そのときの感覚には衝撃の他に、やっぱりだとか、思った通りだという感覚もあったように思います。
なぜなら、私の中には幼少の頃から、何もかも意味なんて無いんだ、すべてはどうだっていいことなんだという漠然とした虚無感のようなものがありましたから。

高校3年からその翌年の自宅で受験浪人した年にかけて、私はどっぷりと虚無感に浸って生きていました。


上の文章を読まれて、宇宙の根本については興味を持ったのに、私という自意識(自我)については興味を持たなかったのかと問われそうですが、自意識については余り興味を感じなかったのです。
私は2012年の暮れに明け渡しが起こるまでは、ガチガチの現実主義といいますか、唯物論者だったので、神や霊魂のような非現実的な事柄については完全に否定的な考え方を持っていました。
それで、私という自意識ついても、頭の中の信号の何らかの関係性による生じる物理現象だと思い込んでいました。
このため、私という自意識についてはそれほど興味はなく、人工知能等の進展に伴っていずれ自意識についてもその原理が解明されるだろうと思っていました。
例外的に、「気」だけは何故かそれを感じるし、目でも見えるので、その存在を認めていました。
しかし、それも電磁波の一種に違いないと思い込んでいました。(^o^)


(続きは、またたぶん書きます^^)

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個人的なこと(一切皆苦)

2014年05月21日 08時46分34秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(一切皆苦)◇

私の意識変化ももう終わったんだろうと思っていたのですが、今朝通勤途中に(ついさっき)、一切皆苦を改めて実感したというか、体得が深まったというか、そんなことがありました。

実は今朝も、「ほんま、しんどいなあ」と電車の中で思っていたのです。
私の仕事はめちゃくちゃな状態だし、お金は減っていくばかりだし、長男(重度の自閉くん)の調子が悪く(情緒不安定、問題行動)、その相手をするのが大変だし、家内も弱ってるし、家内は相変わらず感情的だし、私の内面の変化に対してちっとも理解も許容もないし、...。(^o^)

それでいつものように、「しんどいけど、どうしようもないし、しょうがないなあ」と思っていたそのとき、ふっと「一切皆苦」という言葉が頭に浮かび、「そうか、どんな状況であっても、何をやっても同じなんだ」と改めて附に落ちたのです。

どんな状況であっても、何をやっていても、その根っ子には「苦」があるのです。
幸せなとき、あるいは幸せに向かうときには、「苦」が裏側に隠れていて認識しづらいだけなのです。
なぜなら、幸せを求めることそのものが「苦」を掴んでることですから。

私はより深く平穏さの中に入った感じです。(^^)


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思い出ばなし(瞑想と呼吸)

2014年05月20日 10時37分33秒 | 個人的なこと
◇思い出ばなし(瞑想と呼吸)◇

瞑想と呼吸に関連して思い出したことがあるので、また私の思い出ばなしを書いてみたいと思います。
内容的には何も無いので、気が向かれた方だけご笑読ください。


まず瞑想との出会いですが、私が瞑想と最初に出会ったのは結構古いのです。
確か小学3、4年生のころ、亡き父からのほんの初歩の初歩の瞑想を少しだけ教わりました。
じっと静かに座り、心を落ち着かせ、無心になること等を教わりました。
父は過去に少林寺拳法の経験があり、その練習の中で瞑想をしていたようでした。

どうして父が私に瞑想の話をしたのか、また私がどうして瞑想に興味を感じたのか、今となっては分かりませんが、なぜか私は瞑想に興味を感じ、暫くの間、遊び感覚でときどき瞑想をしていました。
私が父に思考が収まらないと言うと、父は親指と人指し指の間に微かな隙間を空けて、その隙間に意識を持っていくんだなどの助言をしてくれたりもしました。
そうしたら、今度は指の間の隙間のことばかりに気が行ってしまい、困ったのを覚えています。(^o^)

それでも、暫くの間、不定期ながら時折瞑想をやっていて、自分なりに無心になれたような気がしたことがあったのです。
本当に無心になれたのかどうかは少し怪しいところですが、当時の私はそんな気がしたんです。
それで、父に無心になれたと言うと、父はそんなはずはない、お前が無心になれるはずがないと言って相手にしてくれませんでした。(^o^)
頭の中にほんまに何も無くなったんだってば、ほんまにそうなんだってば、などと父にしつこく訴えていた様子を覚えています。(^o^)

そうしているうち、私の瞑想ブームが終わり、殆ど瞑想はやらなくなっていきました。
それでも、ごくたまに思い出したように、瞑想をしていました。

いま思うと、私の意識変化の下地はこういうところにもあったのかも知れないと思ったりもしています。


それで呼吸の話になります。^^

なぜ呼吸の話かと言うと、先週ここに書いた記事「受け入れの瞑想」で、三十歳過ぎのころ、気功教室に通って気功を習いながら、毎晩瞑想をしていたと書きましたが、それに関連して思い出したことがあったのです。

瞑想をやっていると、知らない間に呼吸が止まってしまうことがよくあったのです。
数を数えながら瞑想をする数息観をやっているときも、それはよく起こっていました。
それを思い出したのです。

どうやら、私は三十過ぎのころに既に、瞑想で無心に入ることができていたのだということが分かったのです。
(瞑想中に呼吸が止まるのは、深い瞑想に入ったときによく起こる現象のようです。)


だからなんだと言われそうな記事になり、ごめんなさい。(^o^)

なお、瞑想で無心になること自体に意味はありません(誤解しないでください)。
あくまでも、悟りとは自分を知っていくことであり、無心になることは関係ないです。
ただ、無心になれるということは、思考の量の少なさや、思考のコントロール能力のある程度の指針になるのかもしれないと思います。


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少し休憩中です

2014年05月12日 15時34分31秒 | 個人的なこと
ここ数日、ここに書きたいものが出て来ません。

いま、仕事(私一人の個人事業です)を終わらせるための残務処理をしようとしているのですが、それもままならず、ぼーっとしています。

今日は、知り合いに本を書いたらどうかと言われて、自分ならどんな本を書くかなぁと思いを巡らせていました。(^o^)
でも、私が本を書くのは現実的じゃないと思っています。
困難はいろいろありますが、何より最後まで書き通すだけの意思を持続できそうにないです。(^o^)

余談ついでに余談をもう一つ。(^o^)
我が家には小学4年と2年の二人の息子がいるのですが、彼らは、いま私という自我をつくっていっている真っ最中なんですね。
一方の私(慧空)は、自我を放棄してしまった訳なんですが、一緒に生活している以上、息子たちの自我の形成のための経験は一緒にやることになるんです。
このブログでは、自由な感覚で好き勝手書いてますが、息子たちに対しては、ちゃんとご飯を食べて、歯磨きもして、学校に行き、それなりの経験をさせるべく、イライラもつくりながら(笑)、息子たちの相手をやっています。
正直なところ、かなり煩わしいと思うところもあるのですが、一応やっております。(^o^)


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個人的なこと(変化の兆し)

2014年04月24日 10時00分58秒 | 個人的なこと
今日は簡単に近況などを書きたいと思います。
少し身辺がバタバタしてきそうなのもありまして。
久し振りに、身体を動かして何かをするのかも知れないという感じです。

もう直ぐ私の48歳の誕生日なのですが、私にとって、47歳から48歳にかけての時期は人生の節目になっているようで、いろいろ大きな変化が起きています。
精神面はもちろん、家族や仕事も含めてです。
おまけに、この現実世界もいろいろな面で転換期になっているみたいで、世界でもいろいろなことが起きています。

いま私に起きようとしている変化は、些細なものです。
ここまでけじめを付けずにずるずると引き延ばしてきた私の仕事(私一人の自営業です)に、そろそろ終止符を打つべきタイミングに来ているようなのです。
もう4ヶ月くらい前からほぼ全く仕事はしていないのですが、仕事を完全にやめてしまうためには、お客さんや取引先との間に残った残務処理をしないといけないのです。
その残務処理をやるべき時期が来たのかもしれないと思っています。

私としては、その時期を待っていたような感じでして、やっと来たかという感じです。
理由は分かりませんが、私の場合、仕事との縁を一旦は完全に切ってしまう必要があるようなのです。
必要があるというより、そう成らざるを得ないと言った方がいいのだと思いますが、そんな感じなのです。

まだ何らかの展開があるとしたら、その後に訪れるのかも知れないと思っています。

できるだけ、その変化や展開を楽しみたいと思っています。


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近況報告など

2014年03月24日 12時50分34秒 | 個人的なこと

ここ数日、花粉症の影響による体調悪化もあって、自我が薄くなっています。
何も考えず、殆どなにもせず、ボーッとしています。
思考が展開できないので、記事も書けませんし、書く気も起こりません。


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個人的なこと(一段落か)

2014年01月31日 10時15分16秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(一段落か)◇

昨年暮れから昨日にかけて、毎日のように記事を書きながら、悟りや解脱に関する理解も同時進行で進んできた感じですが、どうやら一段落したようです。
私自身としても、一応の納得が得られた感じです。
これで「知りたい」という執着が大分大人しくなった感じです(笑)。

また、「伝えたい」という執着についても、私の理解をそれなりにここに記載できたことで、一旦納得という感じです(インターネット、最高ーー!!、笑)。

気分は大分スッキリした感じです。
身体も軽いです(素晴らしい!、笑)。
四十肩が(いや五十肩か、笑)ちょっと痛いですが(笑)。

ちなみに、仕事はさらにやらなくなってしまってて、そろそろ本当に店じまいかという感じです(笑)。
でも、問題ないです。
私自身、それを心配する気持ちがまったくないのです(笑)。

残るは「家族をやりたい」という執着ですが、いまはそれを味わっている感じです。
これはおそらく死ぬまで味わっていきます。

でも、新たな課題が無くもないのです(笑)。

どうやら、私の時間と活動エネルギーに余裕が生じてきそうなのです。
でも、次の展開がまったく見えないのです(笑)。
私自身としては、特にこれをしたいというものがないので何でもいいのですが、見えないのでそこが気分的に少しスッキリしません(笑)。

いまは、次の展開を待っているというか、探っているというか、そういう感じです。

個人的な予感としては、今年4月で48歳になるのですが、その付近でまた何かありそうな感じはしています。

近況などはまた書きたいと思います。


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2014年01月31日 09時10分48秒 | 個人的なこと
◇師◇

私には、師と呼べる人がいます。


今日はただそれだけを書きたいと思いました。


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個人的なこと(正直な感覚や疑問など)

2014年01月07日 15時34分59秒 | 個人的なこと
◇個人的なこと(正直な感覚や疑問など)◇

今日は、最近の私が感じていることや、思っていること、特に疑問などについて正直に書いてみますね。

私という存在が思考の連鎖、あるいは思考そのものであり、すべてが幻だということを理解しても、特に何が変わったかと言われれば困ります(笑)。
仕事はますますやらなくなってきてますが(笑)。

家では、重い知的障害のある長男の世話が大変なのと、通常の感覚の中で生きる家内との関係(ギャップ)が大変で、日常生活でのストレスはそれなりにあり、まだイライラすることも多いですし(笑)。
それに加え、片付けなければならない仕事がまだ残っているのに、それが手に着かず気分が重いですし(笑)。
普通の意味でパッとしない日常を送っています(笑)。

それでも、感情も考えも、良い悪いにかかわらず、流れるように一時的なものになってきてはいます。
それと、執着は根っ子の部分では殆ど(ひょっとするとすべてか?)、無くなってる感じです。
私にとっての最後の執着は、いまのところ(笑)、家族のことと、こうして悟りに関する情報を伝えることのようなのですが、それらについても、いまこうして一応やってはいますが、根っ子のところではどうでもよくなってしまっています。
私自身を含めてすべて、幻のまま流れるままに遷ろっていけばいいんだと思っています。

ただ正直なところ、疑問に思うこともないではないのです。

それは、私という思考の連鎖の終わりについてです。
そもそもが幻なもので、終わりがあるのかないのかさえよく分からないのです。

そんなこんなでいろいろ思う訳なのです(笑)。
「このまますれべては幻なんだ~って思いながら延々と幻を続けるのか?」とか(笑)。
「それでもいいんだけど、それも面倒くさいな~、勘弁してほしいな~」とか(笑)。
「できれば消えてしまいたいよ」とか(笑)。

などと言いながら実は、「私はこの肉体が滅ぶのと共に消えるんだ」という、理由のない確信もあったりして、なんせ微妙な感じなのです(笑)。

この煮え切らない状況は、もう暫くは続きそうな感じです。
また書きますね(笑)。


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近況(仕事のことなど)

2013年12月25日 17時04分57秒 | 個人的なこと
◇近況(仕事のことなど)◇

相変わらずと申しますか、仕事は殆どしていません。
先日ここにも書きましたように、仕事を手放していくというか、そういう流れを選択してからは、一段と仕事をしなくなってしまいました(笑)。
笑いごとじゃなく、仕事がさらに滞ってしまって困っている部分も結構あるのですが(笑)。
でも笑っております(笑)。

なぜ自分がこれほどまでに仕事をしないのか、自分でも理解できないのですが、仕事をしない自分や、仕事と毎日向き合っています。
何がやりたいのか、何を目指しているのかさっぱり分からないのですが、毎日、ジリジリとするようなじれったさやもどかしさを感じながら、自分や仕事を向き合っています。

もどかしい状況を自分でつくって修行しているのだろかとか、そういう状況でも自分はダメだとかの否定的な考えをつくらない訓練をしているのだろかとか、仕事とは何なのかを学んぶためにやっているのだろかとか、いろいろな考えをつくりながら向き合っています。

ひょっとすると、いまの私のような状況の人は、私以外にも結構おられるのも知れませんね。
今日、何となくそう思いました。

大丈夫です。
あなただけではありません。
私もいますよ~。(^o^)

今日はこれが書きたくて記事を書きました。(^o^)


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近況など(仕事等)

2013年12月11日 10時20分50秒 | 個人的なこと
◇近況など(仕事等)◇

ここのところあまり記事を更新してないのにご訪問下さる方が意外に多くあり、ちょっと恐縮しております。
相変わらずいまのところ、特に書きたいと思うことはないのですが、私のことで少し変化がありましたのでそれを書きます。

その変化というのは仕事のことです。
私は自営業をしているのですが、昨年暮れの明け渡し以来、仕事が手に着かないというか、仕事をやる気が起きないというか、努力ができないというか、そういう状況が続いています。
重要な仕事の期限を何度も徒過してしまいそうになりながら、なんとかここまでやってきたのですが、そろそろ限界のようなのです。

今年4月に見性を得たころは、自覚により自分の心身のコントロールが上手にできるようになれば仕事もうまくできるようになるのではないかと思ったりしてたのですが、どうもそうはならないようなのです(笑)。
自覚によって心に余裕ができたり、否定的な考えをつくらない力が付くにしたがって、あたかも自分を試すかのように、さらに仕事をしなくなってしまうのです(笑)。
この微妙な状況は、私と同じような経験をしておらる方じゃないと簡単にはご理解頂けないでしょうが(笑)。

それで、やっと仕事を手放していく決心というか、行動を始めたのです。
具体的には、まずは一部の仕事についてお客さんに仕事を手放すことについて相談しました。
その結果、その方向で調整していくことで話しがまとまりました。
現在、いくつかの仕事の重要な期限が迫っている状況でして、その期限を徒過してしまう前にお客さんに相談できてよかったと思っています。

迷惑をかけるお客さんには申し訳ないのですが、いまは少しホッとしているといいますか、スッキリした気分です。
暫くは仕事を減らしてゆっくりしたいと思っています。


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