私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

真我もまた幻

2014年01月18日 12時49分25秒 | 私の成り立ち
◇真我もまた幻◇

引き続き、内面世界の探索を続けておりまして、理解がまだ進むようです。
今日もそのことについて書かせていただきます。

昨晩、このブログにコメントを下さる「とろぞう」さんから、井上義衍老師が実相と生死に関連して話しておられる古い動画を教えて頂き、それを視聴しました。
お陰様で、まさにちょうどいいタイミングで理解のヒントを頂いたという感じです。
とろぞうさんと、そのご縁に感謝いたします。m(_ _)m

ここのところ、私という個の意識と真我との間をかなり自在に往き来できるようになってきておりまして、往ったり来たりしながら理解を深めている感じです。
もちろん、理解が生じるのは、私という個の意識が顕在化しているときのことです(ここがポイントなのですが、笑)。
では、本題に入っていきます。

私は、次の二つの点で誤解しかけてました。

一つは、真我(実相)が、全体意識や私という個の意識と別のものであるかのように考えてしまいそうになっていたのですが、これは間違いでした。
真我は、まさに全体意識のことでした。

もう一つは、全体意識(真我)と、私という個の意識の間で主従関係を考えてしまい、真我の方が主であるかのような考えになりかかけていましたが、これも間違いでした。
全体意識と個の意識は、対をなす対等な関係なのです。

私という個の意識が幻なのですから、全体意識もまた幻なのです。
幻である私という個の意識があるから、全体意識を認識して理解できるのです。
つまり、私という個の意識が存在するから、全体意識も存在するのです。
よって、私という個の意識が消えるのに伴い、全体意識も共に消えるのです。

私という存在を含めたこの世界は、まさに私という個の意識と全体意識の分離、すなわちそれらの起こりにより始まり、それら二つの意識が再度統合されるに伴って消える、瞬きのような一瞬の出来事だったのです。

それは、まさに一瞬の幻なのです。


付け足しのようで、心苦しいですが、

私に自覚を教えて下さったマスターゲートさんに改めて感謝したいと思います。m(_ _)m


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読んで頂いてありがとうございました。

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6 コメント

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Unknown (ヒロ)
2014-01-18 18:31:45
今回のは悟ってない私には難しいです。

>私という個の意識が消えるのに伴い、全体意識も共に消えるのです。

それなら、死んだらなにもなくなり自覚、存在感などもなくなるのでしょうか?死んで個の意識がもし消えたらです。執着あったら無理でしょうか?
返信する
Re: (慧空)
2014-01-18 20:50:42
>ヒロさんへ

そうです、肉体の死に伴って個の意識が消えたなら、少なくとも私たちが認知しているこの考えの世界からは消えて何もなくなるのだと思います。

執着の件も、仰るようにそうです。
すべての執着の源泉は、私という個の意識が消えることに対するおそれからきています。
返信する
Unknown (ヒロ)
2014-01-19 09:22:29
お返事ありがとうございます。
だからインドのニセルガダッダ・マハラジは「I am that」って言ったんですね。ラマナの弟子で、プンジャジと同じですよ。世界意識ってのが消えても、存在意識のようなのが
ただあるんでしょうね(笑)。
そして何かに執着してたら、その世界が表出するんですね。
恐れが、全体性に壁を作り、そこのその人の世界ってのが現れるんですね。怖れたとおりの世界が・・。
ああ・・怖い怖い(笑)。
また来ますね。
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Re: (慧空)
2014-01-19 21:59:31
>ヒロさんへ
冷たい言い方ですみませんが、頭で理解されようとしても無理なのです。
ヒロさんも、内面を見つめられ、私という存在の姿をご自分の意識でご確認ください。
それしかありません。
熾烈なまでに激しく、そして厳しく、ご自分を見つめてみてください。
きっと、ヒロさんという存在の姿をとらえることができると思います。
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Unknown (ヒロ)
2014-01-20 09:59:34
アドバイスありがとうございます。

この激しく、厳しく
ができる最大のことでしょうか?
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Re: (慧空)
2014-01-20 11:01:56
>ヒロさんへ
そうですね、自覚により意図して覚醒を目指されるのでしたら、「激しく、厳しく」自分に意識を向けられるのが、出来る最大のことなのだろうと思います。

プンジャン(パパジ)さんも、炎のような視線で私という存在やカルマを焼き尽くせというようなこと言っています。
また私も、見性の直前の1、2週間くらいと、私という存在が考えであることを実感することができたその直前の2週間くらいは、まさに炎のような激しさで自分の内面を観ていました。
ただ、人によっては、内面に向けた一瞬の視線により、覚醒を得られる方もおられるのだと思います。
ここは人それぞれでしょうね。
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