◇根本苦に対する衝動と気づき◇
今晩は、最終的な悟りに至らんとするまさにその瞬間に生じる気づきについて、改めて書いてみたいと思います。
私という存在の根っ子には、常に苦があります。
その苦は、常にあるものであり、どうしようもないもないものです。
その苦はどうしようもないものなのに、私という存在は、その苦を何とかしようしていつも駆けずり回っています。
私という存在には、その苦をなんとかしようする衝動が常に起こり続けています。
その苦をなんとかしようとして、走りだそうしている自分自身の意識の衝動に気づいてください。
どうにもならない苦をどうにかしようとして、闇雲に走りだそうとしている自分自身の愚かさに気づいてください。
どこに向けて、何を求めて、走りだそうというのでしょうか。
一度立ち止まり、冷静な目で、自分が何を求め、何処にいこうとしているのかをしっかりと観てください。
どこかにいい逃げ場はありそうですか?
どこにも逃げ場などないのではないですか?
仮にどこにも逃げ場がないことが分かっていても、それでもまだあなたの意識は苦をなんとかしようとして走りだそうとするでしょう。
その走りだそうとしている自分自身の姿を自覚の目で逃さないよう捉えてください。
そうすれば、延々と続いていたあなたの意識の衝動がスッと停止します。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
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私という存在の根っ子には、常に苦があります。
その苦は、常にあるものであり、どうしようもないもないものです。
その苦はどうしようもないものなのに、私という存在は、その苦を何とかしようしていつも駆けずり回っています。
私という存在には、その苦をなんとかしようする衝動が常に起こり続けています。
その苦をなんとかしようとして、走りだそうしている自分自身の意識の衝動に気づいてください。
どうにもならない苦をどうにかしようとして、闇雲に走りだそうとしている自分自身の愚かさに気づいてください。
どこに向けて、何を求めて、走りだそうというのでしょうか。
一度立ち止まり、冷静な目で、自分が何を求め、何処にいこうとしているのかをしっかりと観てください。
どこかにいい逃げ場はありそうですか?
どこにも逃げ場などないのではないですか?
仮にどこにも逃げ場がないことが分かっていても、それでもまだあなたの意識は苦をなんとかしようとして走りだそうとするでしょう。
その走りだそうとしている自分自身の姿を自覚の目で逃さないよう捉えてください。
そうすれば、延々と続いていたあなたの意識の衝動がスッと停止します。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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とても面白いです。
そうですね、自分でもどうしてなのかと思うほど、めずらしく連投してます。(^o^)
何ヶ月か前までは5連投くらいはざらにあったのですが。
今日もヒマなので記事を書こうとしていたのですが、さっきトイレに行ってスッキリとしてしまったら、書きかけていた記事まで流れてしまいました。(^o^)
でも、かぐや姫さんのように楽しんでくれる方もおられるようなので、もうちょっと頑張ってみましょうかね。
期待なさらず、お待ちください(^^)/