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富士よゆるせ今宵は何の故もなう涙はてなし汝を仰ぎて
―― 若山牧水
写真は、何日か前の富士山。
むらさきがかった空と
たなびく雲が
美しくて
富士山も淡く霞んでいて
どこか幻想的な美しさだった。
それで珍しく
富士山を撮ってみたけれど
やっぱり本物の、あの美しさは写せない。
富士山は
目で見た姿、
心に写しとった姿が
あまりに美しく、あまりに厳かで
自分の撮った写真を見るといつだって、
ぜんぜん違ーう!って思う。
季節や天気や時間帯で
いつも違う雰囲気を漂わせながら
それでも、
いつでも神々しく、
いつもそこにある富士山。
わりと頻繁に
無意識に
手を合わせてしまう富士山。
曇っていて姿が見えなくても、
白くかすんだ空を眺めて
ああきょうは富士山が見えない、と必ず思う。
見えなくても、
そこにあることを感じている。
もしかすると
見えない日の方が、
その存在を感じているかもしれない。
外国や
国内でも富士山が見えない土地へ出かけると、
戻ってきて
富士山が見えたときに
ああ帰ってきた、と ほっとする。
飛行機や新幹線や車のなかで
富士山に向かって「ただいま」と話しかけている。
富士山は
わたしにとってそういう存在です。
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