(三好市のケーブル・TVにて18日~24日まで文字放送にて
お知らせが放送されています)
小島峠(おしま・とうげ)で菅生みれば
あいも変らぬ、とくしまよ~さ~あ~よいよいよ~
そばを挽きながら歌われている東祖谷に伝わるの祖谷の里歌の中に
あるフレーズの一つですが、その昔、小島峠から菅生集落
(菅生陰・今のいやしの温泉郷周辺)
を見て土地がなだらかな場所でもあり、田畑が広く広がって
いた様子を見て、徳島平野に広がる農村部と変わらない
様子を見て、このような表現がされたと
つい、先日集落の方から、この話を伺った次第でもありました。
そんな、小島峠は古くから旧一宇村と東祖谷の人との交流の場でもあり
今では林道も抜けて便利な一面もありますが、年に1度 旧小島峠でも
遠い山道をお互いに登って来てお酒を酌み交わしたり、持ち寄りの
お弁当などで、お互いの近況報告などを行っていたそうです
しかし、昭和30年代頃までは行われたいた交流を始めた文化もすたれてしましい
このような、交流は無くなっていましたが。今から30年ほど前に
菅生~白井に林道が抜けて20年を経過する中
一宇~東祖谷の有志の方々の話し合いにより再び交流会を兼ねたお祭りを
再開しようでは無いかと言う運びとなり30年以上続くお祭りとなっています。
また、ここ数年はコロナ渦と言う事もありお祭りの中止が続いていましたが
このままでは、せっかくの交流の場の日が亡くなってしまうと言う事もあり
昨年から復活をとげた地蔵祭り・・・内容は上記のお知らせを
見ていただけたらと思います。
たくさんの方のご参加お待ちしております。
追記・旧小島峠には天明の時代のお地蔵さまがあります。
会場となる林道の広場から約500mほど上がった場所に
旧小島峠があります。当日はお護摩を行う前の時間に
お世話人さんを始め、希望者の方は旧小島峠でも
祈願をおこなっています。
このような形で旧小島峠には古いお地蔵さまがあります。
誰が、このお地蔵様を建立されたのかは、定かではありませんが
小島峠の名となったのは、この事からでは無いのか!
と、言う内容がある記述の中にありました。
その昔、徳島城下に住んでいた、お島さんと言う女の人がいました。
そんな、お島さんを見初めた菅生名主が呼び寄せたとか・・・
しかし、徳島の城下を離れ見知らぬ祖谷の地へ
向かう事となり、悲しみが堪え切れなかった、お島さん・・・
口にした言葉が・・・
小島峠で菅生(すげおい)見れば
あいも変わらぬとくしまよ~と・・・・
この事は祖谷の里歌の中にも盛り込まれ、今に歌い継がれています・
なお、小島峠の名の由来は、いうまでも無くお島さんの名前から来た
のでは無いかと思える峠の名前の由来でもあります。