ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

それでいい

2015年04月10日 | 🐤 日記

風になりたい件はひとまず棚上げ、人として行けるところまで行ってみようと

決意も新たなハナウタです。

 

ところで私は日常生活で切羽詰まると どうやら寝言を言うようです。

言うようです・・・って、どこか無責任な表現ですね。

ええ、私は知っています、自分自身のこと。

間違いなく言いますね、寝言。

夢の中で既に気づいてて「これ、寝言を言っちゃってるパターンだな」と思う事すらあります。

つわもの、でしょう

自分の寝言で起きるのが5割、誰かに起こされるのが5割。

と言っても、タイミングはまあほぼ同時くらいですかね。

 

大体は現実の不安やストレスを 別のドラマ仕立てにして再現するパターンです。

後の分析によれば、ですけど。

例えば ギャングに追われるとか 洞窟の中で出口を見つけて彷徨うとか、

何度やっても電話番号を押し間違えるとか 試験会場にたどり着けないとか。

もう寝言のキャリアは長くて、ストレスのバロメーターとしているくらいです。

 

夢には大抵自分自身として登場するか、どこか違う場所から(大抵は上から)

状況を俯瞰して見ている感じで登場、進行するのですが、いよいよネタが尽きたのか

去年はとうとう虎になってしまいました。

 

薄暗く蒸し暑い、植物の密生したジャングルの木の上で

虎の私(巨体です)は息をひそめています。

普段は敵なしで 自分より弱い動物しかいない世界で威張ってきたのですが 

今、絶体絶命のピンチに直面しています!

汗ダラダラで心臓バクバクの虎。

そうです、獰猛な雄ライオンが 静かに静かにこちらに近づいてきているのです・・・。

 

虎なのは見かけだけで 本当は自分がすごく弱いのを知っている虎の私。

 

まだ虎に気づかないライオン。

逃げ切れるのか、私は。

どうかこのまま気づかないで行き過ぎてくれ。

緊張の時間が流れていきます・・・。

 

その時 静寂の中に 「ミシッ・・・・」という微かな音が響いて・・・・

ゆっくりと振り向くライオン。

目が合う2匹。

 

私は渾身の力を振り絞って「ガ・・・ガオォォォ~~~」と言いました。

 

そこで目覚めです。

かろうじて家族に指摘される前に自力で目覚めましたが、時間差で飛び起きた他の2人に

「い、いや何、・・・今さ、虎になっちゃって。へへ、わかってるから、もう大丈夫だからさ。」

通じたかどうかわかりませんが、とにかく布団をかぶって 

後は明日なんとかしようと ひとまず夜の闇に逃げ込む私なのでした。

 

それにしても何故、虎?

そりゃあ好きだけど・・・と思っていて 気づきました。

もしかしたら 昔流行った動物占いで 私がトラだったからではないか、と。

そして更に恐ろしいことを思い出しました。

我が家の殿で将軍様の男チームの大きい方の人はあの占いで確か「ライオン」だったな、と。

しかもライオンの中のライオンと呼ばれる「孤高の金のライオン」ではなかったか、と。

まさか・・・

そういう(どういう?)ことか・・・・

 

私のように分析能力の高い人間は本当に困りものです。

夢は潜在意識下に封印しているあれやこれやを

ちらっちらっと見せながら 私を弄んでいるのでしょうか。

イソップ童話みたいな話です。

人生の教訓とか戒めとか皮肉とか真実とか、入ってるんでしょうか。

・・・・わかりません。

わかるような気もしますが、わかりません。

 

世の中、ホントわからないことだらけで困りますが、それでいいかと思います。

はい、それでいいのです。

あの夢は 日本昔話のような くまのぷーさんの話のような

ほのぼのとした動物さんのお話なのです。

 

とりあえず今は虎の件も棚上げして 

冒頭の決意の通り、人としてやれるところまでやってみようと、

この時間で2度も決意したハナウタなのでした。

 

 

 

 

 


迷惑かけてもアレだから

2015年04月09日 | 🐤 日記

「生まれ変わったら貝になりたい」とか「風になりたい」とか現実離れしたことを

言っておりましたが、

昨日の『仁ーJIN-』の再放送での 花魁(おいらん)の野風(のかぜ)のセリフには

驚きました。

「あちきは雪になりとうございます。雪ならば、いつでも南方先生の肩に舞い降りることが

できますから」と。

いたーーー!ここに居ましたか、同志よ

 

野風は花魁、どんなに慕っても自分の意思での恋愛はご法度なのでありんす。

不本意な見受け話も断ることの許されない身の上。

それが廓の掟。

野風のどこまでも不自由で悲しい役どころは置いといて

私の心はすっかり野風にやられてしまいました。

華やかな野風の なんと控えめで切ない願いでしょう。ああ、雪とは!なんと美しい!

なりましょう。

なりましょうよ。

あなたは雪に 私は風に。

なりましょう、一緒に。

ふたりで自然現象になりましょう。

それもいいではないですか。

あなたは真白な雪になって仁先生の肩に舞い降りて、私は優しいそよ風になって

大地を駆けめぐるのです。

もしかしたら つむじ風になっちゃうかもだけど

そしていつの日かアラスカあたりでコラボしましょう。

雪と風の祭典。

吹きすさぶ雪と風の世界。

 

でも、よく考えると なんだかちょっと暗くて怖いです。

あんまりいい感じではありません。

つーか、狂気

やりすぎて、誰かに迷惑かけたらどうするの。

誰が責任とるの?

やっぱり風になるのは・・・・保留にします。

 

 

 

 


身代わりじんましん

2015年04月08日 | 🐤 日記

昨日の夜から決めていたので

朝、小雪交じりの雨を見た時は一瞬ひるんだけれど

いや、やっぱり決行だと 意を決して準備をする私。

なんの準備かというと、軽く2年は行ってない映画に行くための準備です。

 

でもあまりの雨音の大きさに 布団の中でどうしよう、やめようかな、いやいや行こう・・と

結局20分もロスしたことが足を引っ張る形となって

8:20分の開演ギリギリに滑り込みました。

 

朝ごはんは納豆でいいや。お昼ごはんは豚の生姜焼きにしちゃえ、と小さい方の人の

食事を用意して、洗濯とゴミ出しだけして、寝ている小さい方の人に

「じゃ、母さん行ってきます」

と声を掛ける。

「・・・・ってらしゃい・・・・」

と聞こえた様な聞こえない様な・・

まあいい、行くって決めたんだから行くのであります。

時刻は7:50。

決戦の7:50

 

段々雪の割合が増えてくる寒い私道を ガシガシ早歩きです。

気分が高揚しているので実は寒さもほとんど感じません、気の力ってすごいんですね。

今頃後ろは泥はねがいっぱいだろうな、でも気にするもんか。

 

『ジヌよさらば』っていう松尾スズキ監督作品をみました。

笑えるって口コミにあったから。

8:20分の早い回なのに結構人が入ってて 近くにすごくよく笑うおばさんがいて 

声が高くて笑う頻度も多いので も~気になっちゃって気になっちゃって 

だってぇ マジうるさいんだもん、

今日は自分のペースで笑いたいのに~~~(じゃ、DVD観ろよ!って話よね~~

 

 

ここ数日、夜になると体が痒くなってました。

じんましんです。

じんましんに苦しんでいたのです。

花粉の時期ってのもあるけど、やっぱり小さい方の人とのここ最近のあれこれを

とてもストレスに感じてる自分がいるんだろうな

でも泣いたり怒ったりできないから ぐっと飲み込んで→→→そしてじんましん

けなげな私。

小さい頃からいつもじんましんは、私の心の叫びの身代わりなのでした。

そして、寝言。

「母ちゃん、昨日何かしゃべってたよ。うるさくて起きちゃったよ」

って言われたんです。

とうとう心の声が現実のものになり初めている

ダブルパンチでした。

なんとかストレスケアをしなければ! と 慌てて映画を決めました。

 

このような気分転換の仕方は有効なのでしょうか?

でも直接手を下せない時には せめて別の角度からケアするしか思いつかないです。

ってことで、映画以外にも ロンTを1枚買ってみました。

仕事に使えそうなノートも2冊買いました。

関係ないけど ポンパドールのオレンジルイボスティーとトワイニングのアールグレイティーも

買いました。

おっ、つまみによさそうだ、と ブラックペッパー味のジャイアントコーンと

亀田の柿の種も買ってきました。

せっかくだからドーナツも4つ買おう・・・と

気づけばあれやこれや 傘さして歩けんのってほどの荷物を持って

家路に着きました。

 

別に自分の行動を正当化するわけじゃないけど、もう今日はじんましん出ないと思います。

 

 


人の金だといい気な私

2015年04月07日 | ❺ 追憶の日々

両親が共働きだったので 保育園を卒園した私は鍵っ子になりました。

40年も前のこと。

親は相当心配したようです。

 

でも当時は学童保育なんてありません。

なのでうちの親、仲間を集めて学童保育を作る運動をして(多分保育園在園中から始めていた)、

紆余曲折を経て 小1の途中か小2になった頃には本当に作ってくれました。

すごいや。

その名も「たけのこ学童保育」。

 

でも当時は学童保育を必要としている家庭が少なくて

いくつかの学区をまたいで中間地点くらいに作ることになったので

チビの私の足では60分もかかる場所に開設されたのです!

雨の日はほんと 延々 とぼとぼと歩いてたように思います。

 

なので、たまにサボりました。

同じ小学校からもう一人通ってたので その子と一緒にバックれました。

バックれた時の隠れ場所は我が家の物置です。

ゴミ屋敷かと思うほど乱雑に積み上げられたほこりまみれの不用品の中に

子ども2人分くらい座れるスペースをこじ開けて、

私たちは親にみつかるまでこっそり隠れているのでした。

学童では「休みます」の連絡もなしに姿を見せない私たちを心配して てんやわんやだった

ことでしょう。

こっぴどく叱られる2人。

それでも懲りずにまたサボる2人。

なんで子どもって(私って?)あんなにネジがユルいのでしょうか、どなたか教えてください。

 

 

クリスマスも近いある日、サボった私たちはあることに気づきました。

そう、その日は菜穂ちゃんが親から預かった「学童保育料」を持っていたのです。

当時保育料はお習字の月謝のように 毎月封筒に入れて手渡されていました。

なんだ、このお金?

あれれ、このお金でお菓子買えるんじゃない?

・・・いっぱい買えそうだよね。

よし、買おう。

 

なんと罪悪感の薄い小学2年生でしょう。

子どもってそんなもんなんでしょうか。

大人になった今となっては本当に理解不能です。

でも、私たち、すっごくいっぱい、普段買えないような大物を

しこたま手に入れたのでした!

 

その日近所の駄菓子屋には ささやかな店構えにしては大胆な値段のお菓子が置いてありまして

多分クリスマス前だったからでしょうけど

大・中・小のブーツにお菓子がいっぱい詰まったヤツを 

その中の「中」サイズのブーツを 私は菜穂ちゃんに買ってもらったのでした。

サンキュー、菜穂ちゃん。

いい人だ、菜穂ちゃん。

 

年が明けて翌月、12月分の保育料を請求された菜穂ちゃんの親によって

私たちの秘め事は白日のもとに晒されるわけですが、

あの日のドキドキと幸福感は今でも忘れていません。

罪悪感を覚えとけって話なんでしょうけど、まあ、いいか・・・・と。

だってあの頃の我が家は お菓子や甘い飲み物禁止で、アメも禁止で、

赤いウインナーも禁止で・・・とにかく禁止だらけだったので、

あのクリスマスのブーツは、夢の宝石箱って感じの喜びだったのです

世の中のお菓子を全部手に入れた様な お菓子の家に住んでるような

なんとも幸せなブーツとの時間。

いや、マジありがとう、菜穂ちゃん。

 

その後学童で、子ども経由の保育料の受け渡しが全面取りやめになったのは

こうした私と菜穂ちゃんの過ちによる 大人たちの学習によるものですが、

今でも懐かしく思い出す子どもの頃の風景なのでした。

ああ、でもよかった、あの時味をしめなくて。

泥棒にも詐欺師にもならずに今日まで生きて来られたこと、本望です。

 

 

 

 

 

 


昔の私はピグレットだった

2015年04月06日 | ❺ 追憶の日々

小さい頃からい100%インドアな性格だったと思うけど、

生まれてすぐに保育園に入れられているので 否が応でも外遊びを強要された。

冬でも下着姿で裸足で走り回ってる子がよしとされていて

大人は子どもを 寒がらない生き物だと思っているらしく

「寒さで死ぬかもしれない」という子どもの私の叫びは聞き届けられなかった。

私は毎日寒さと戦った。

子どもにだって個人差があろうに・・・。

 

 

一番好きだった遊びは泥団子づくり 二番目は散歩中のどんぐり拾い。

竹馬や ポプラの落ち葉の茎でする「葉っぱ相撲」も好きだったな。

あとはレンゲやクローバーで冠(花環)作り。

 

 

逆に嫌いな遊びは「フルーツバスケット」です。

負けたら罰ゲームをさせられると思うと気が気じゃありませんでした。

怖くて怖くて、少しも楽しくなかったわ。

思い出すだけで 吐きそう

 

 

「椅子取りゲーム」も大嫌い。

音楽聞きながら 顔ひきつってたと思う。

人と競って 力ずくでイスを奪うなんて 嫌で嫌でたまらなかった。

いつも混乱の輪からはじき出されて 泣きそうになってた。

 

 

「はないちもんめ」も。

いつも名前を呼ばれなくて 

「今日も呼ばれなかったの私だけだ・・・」って心の中で思って悲しかったな。

 

 

公園での缶けりでは、鬼がなかなか探しに来ないので

勇気を出して鬼の陣地まで行ってみると とっくに遊びは終わってて

もう誰もいなかったり。

はっ!?  いつ終わったの!?  私聞いてませんが

 

 

「かくれんぼ」もたまに 探して貰えなかったな。

まだ隠れてるのに 「はい、みんな見つかったねー!おわりでーす」とか言われてさ

のびた(ドラえもんのね)かっつーの。

 

 

 

引っ込み思案で 影の薄い子どもだったのは間違いないけど

集団遊びって 苦手な子には残酷なものです。

 

 

思い出した。

落ち葉で焼き芋した時も、私には「芋」回ってこなかったな。

私が「芋」食べてないこと 誰も気づいてなかった・・・。

園で飼ってたヤギ🐐ですら貰ってたのに

 

「・・まだ食べてません・・。」

と消え入りそうな声で訴えた時には 芋はすっかりはけたあとでしたわ。

「え!?食べてないの? もう終わっちゃったよー ダメだよ早く言わなくちゃ」

と注意を受けましたっけ。

そんな勇気があればとっくにゲットしてます。

言えない性格なんです。

・・・でも知ってます。

むらたなおき君が2つ食べたから 私の芋が無かったこと。

 

 

今なら躊躇なく言えるんだけど、子どもの私はイライラするほど内弁慶。

 

「焼き芋」マジで食べたかったな。

あの時 みんなに隠れて ひとりで泣いた気がする。

迎えに来た母にも

「食べられなかったの 貰えなかったの」とずっとぐずってた気がする。

余程欲しかったのね~。

 

 

 

でも、こんな子でもちっとも心配いらなかったね。

時は過ぎ こんなに図々しく自己主張できるまでに成長したのだから。

小さい頃に損した分を すっかり取り返してるしね。

結局私は自分に足りないものを補いながらここまで生きてきたわけだ。

焼き芋をただ待っているだけの子どもじゃないよ。

もう自力でいつだって作れちゃうんだから、恐れ入ったか

 

 

大人ってすごいな

大人になってよかった

人生ってよくできてる