目黒川は我々にとってなじみ深い川で、小中学校両方の校歌にも歌われるほどです。世田谷区池尻で北沢川と烏山川が合流し目黒川になります。この二つの支流もすこやか歩こう会ではなじみのあるウォーキングコースなのですが、通常その源流まで行くことはありません。「とことん」シリーズは、それぞれの川の終点ともいうべき池尻の合流点から、源流へと遡ってゆく企画です。昨年北沢川は二回に分けて踏破し、今年度は烏山川をさかのぼっています。一回目は池尻から世田谷線宮の坂にある世田谷八幡宮まで、途中世田谷区郷土資料館などに寄りながら歩きました。二回目となる今回は、世田谷八幡宮から蘆花公園までの予定でスタートしました。
写真:世田谷線車内
写真:世田谷線の軌道
三軒茶屋から世田谷線に乗りました。元が路面電車なので今でも車両のサイズは路面電車サイズです。軌道を見ると、東横線やJR各線で使用されている「狭軌(1,067mm)」よりも広いように思います。まさか「標準狭(1,435mm)?」と思って調べてみると、「馬車軌間(1,374mm)」と呼ばれる狭軌でした。路面電車は馬車軌間が多く採用され、都営荒川線の軌道もこの幅です。そのほか京王本線が馬車軌間を採用しているのは、初めの計画で新宿から先、路面電車に乗り入れる予定だったため私鉄では唯一この軌道幅を採用しているそうで、相互乗り入れをする都営新宿線も1,374mmとなっています。京王電鉄井の頭線が1,067mmなのは、開業時は京王ではなく小田急の系列だったため。
写真:東急デハ80形電車
こちらの車両についてはWikipediaから引用します。
下高井戸方面行ホームに隣接して、世田谷区の宮坂区民センターがある。かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄で使用された車両が展示されている。この車両は一般公開され、日中は中に入ることが出来る。
写真:世田谷八幡宮
こちらの神社についてもWikipediaから引用してみましょう。
寛治5年(1091年)後三年の役(1083-87)の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請し祀った。後に世田谷城主七代目の吉良頼康が天文15年(1546年)社殿を再興させて発展させた。この天文15年が実質的な創建の時と考えられる。
明治5年(1872年)郷社に列し、社号を宇佐神社と改めたが、第二次大戦後、世田谷八幡宮の名に復した。
かつては奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石がある。今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。
最寄駅の東急世田谷線宮の坂駅の駅名はこの神社の脇にある宮の坂に由来している。
文化10年(1813年)建立の旧本殿が、昭和39年(1964年)に建てられた現在の社殿内に納められている。
写真:境内の土俵
大相撲の土俵のように固めていないので、蝉が穴をあけています。土俵のまわりでストレッチをして出発です。
写真:緑道のキバナコスモス
写真:鴎友学園
写真:ムラサキシキブ
写真:緑道の運動器具
写真:緑道の桜
写真:緑道の看板
宮の坂駅のすぐわきにある烏山川緑道を上流へ向かってゆきます。結構蛇行しており、大きな道を渡ると緑道の先がどこなのか、わからない場所もあります。ムラサキシキブなど、徐々に秋の景色になってきますね。
写真:石仏公園
写真:ムクゲ
写真:森繁通り
小田急線のガードを超えると石仏公園です。どこかに石仏が飾られているのですが、見つけられませんでした。森繁通りについては、Wikipediaの森繁久彌さんのページから引用します。
2010年11月の一周忌に当たり、東京都世田谷区が小田急電鉄千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける世田谷区道を『森繁通り』と命名することを決定し、11月13日に命名式典が世田谷区長・熊本哲之と森繁建(次男)を始めとする関係者列席の下に執り行われた。2014年(平成26年)11月22日、千歳船橋駅前に森繁が『屋根の上のバイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」の除幕式が行われた。
写真:ススキ
写真:砧公園管理事務所
写真:希望丘小学校
世田谷区の公園管理事務所は五つに分かれているようで、この日歩き始めの緑道を管理するのは世田谷公園管理事務所、途中で砧公園管理事務所の管轄を経て、ゴール付近は烏山公園管理事務所の管理となります。広さは目黒区の4倍ですから、行政組織も目黒区とはケタ違いです。「希望ヶ丘」は地名ではなく、土地区画整理事業の名称のようで、この名を冠する小中学校、団地、公園があります。
写真:公団前の公園
公園がゆったり取ってあり、烏山川をイメージしたであろう水を使ったオブジェが見られます。
写真:ヒガンバナ
写真:希望丘区民集会所前のフクロウ
写真:水際の散策路
住所が船橋から八幡山に代わるあたりで、北沢川の主な水源であった将軍池も近くにあります。もう二週間もするとお彼岸です。
写真:大学運動部の寮
写真:八幡山遺跡
運動部の寮の洗濯物は、「いかにも」という感じですね。遺跡は縄文時代からこの土地に人の暮らしがあったという証です。
写真:徳富蘆花夫妻の墓所
蘆花公園内にあります。
写真:名もなき支流の跡
都営八幡山アパートの中を流れる川の跡で、烏山川の支流か、古い烏山川と思われるのですが、情報が見つかりません。世田谷区は調べてみてもよくわからないということがしばしばあります。目黒区だとたいがい答えにたどり着くのですが、これも大きさの違いでしょうか。
アパート敷地内の公園をお借りしてストレッチをしてこの日のウォーキングは終了です。
この日有志は男性だけ。渋谷に出て24時間営業の焼き鳥屋、山家でビールを飲んで焼き鳥食べて。暑かったのでビールがおいしかったです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:世田谷線車内
写真:世田谷線の軌道
三軒茶屋から世田谷線に乗りました。元が路面電車なので今でも車両のサイズは路面電車サイズです。軌道を見ると、東横線やJR各線で使用されている「狭軌(1,067mm)」よりも広いように思います。まさか「標準狭(1,435mm)?」と思って調べてみると、「馬車軌間(1,374mm)」と呼ばれる狭軌でした。路面電車は馬車軌間が多く採用され、都営荒川線の軌道もこの幅です。そのほか京王本線が馬車軌間を採用しているのは、初めの計画で新宿から先、路面電車に乗り入れる予定だったため私鉄では唯一この軌道幅を採用しているそうで、相互乗り入れをする都営新宿線も1,374mmとなっています。京王電鉄井の頭線が1,067mmなのは、開業時は京王ではなく小田急の系列だったため。
写真:東急デハ80形電車
こちらの車両についてはWikipediaから引用します。
下高井戸方面行ホームに隣接して、世田谷区の宮坂区民センターがある。かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄で使用された車両が展示されている。この車両は一般公開され、日中は中に入ることが出来る。
写真:世田谷八幡宮
こちらの神社についてもWikipediaから引用してみましょう。
寛治5年(1091年)後三年の役(1083-87)の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請し祀った。後に世田谷城主七代目の吉良頼康が天文15年(1546年)社殿を再興させて発展させた。この天文15年が実質的な創建の時と考えられる。
明治5年(1872年)郷社に列し、社号を宇佐神社と改めたが、第二次大戦後、世田谷八幡宮の名に復した。
かつては奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石がある。今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われている。
最寄駅の東急世田谷線宮の坂駅の駅名はこの神社の脇にある宮の坂に由来している。
文化10年(1813年)建立の旧本殿が、昭和39年(1964年)に建てられた現在の社殿内に納められている。
写真:境内の土俵
大相撲の土俵のように固めていないので、蝉が穴をあけています。土俵のまわりでストレッチをして出発です。
写真:緑道のキバナコスモス
写真:鴎友学園
写真:ムラサキシキブ
写真:緑道の運動器具
写真:緑道の桜
写真:緑道の看板
宮の坂駅のすぐわきにある烏山川緑道を上流へ向かってゆきます。結構蛇行しており、大きな道を渡ると緑道の先がどこなのか、わからない場所もあります。ムラサキシキブなど、徐々に秋の景色になってきますね。
写真:石仏公園
写真:ムクゲ
写真:森繁通り
小田急線のガードを超えると石仏公園です。どこかに石仏が飾られているのですが、見つけられませんでした。森繁通りについては、Wikipediaの森繁久彌さんのページから引用します。
2010年11月の一周忌に当たり、東京都世田谷区が小田急電鉄千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける世田谷区道を『森繁通り』と命名することを決定し、11月13日に命名式典が世田谷区長・熊本哲之と森繁建(次男)を始めとする関係者列席の下に執り行われた。2014年(平成26年)11月22日、千歳船橋駅前に森繁が『屋根の上のバイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」の除幕式が行われた。
写真:ススキ
写真:砧公園管理事務所
写真:希望丘小学校
世田谷区の公園管理事務所は五つに分かれているようで、この日歩き始めの緑道を管理するのは世田谷公園管理事務所、途中で砧公園管理事務所の管轄を経て、ゴール付近は烏山公園管理事務所の管理となります。広さは目黒区の4倍ですから、行政組織も目黒区とはケタ違いです。「希望ヶ丘」は地名ではなく、土地区画整理事業の名称のようで、この名を冠する小中学校、団地、公園があります。
写真:公団前の公園
公園がゆったり取ってあり、烏山川をイメージしたであろう水を使ったオブジェが見られます。
写真:ヒガンバナ
写真:希望丘区民集会所前のフクロウ
写真:水際の散策路
住所が船橋から八幡山に代わるあたりで、北沢川の主な水源であった将軍池も近くにあります。もう二週間もするとお彼岸です。
写真:大学運動部の寮
写真:八幡山遺跡
運動部の寮の洗濯物は、「いかにも」という感じですね。遺跡は縄文時代からこの土地に人の暮らしがあったという証です。
写真:徳富蘆花夫妻の墓所
蘆花公園内にあります。
写真:名もなき支流の跡
都営八幡山アパートの中を流れる川の跡で、烏山川の支流か、古い烏山川と思われるのですが、情報が見つかりません。世田谷区は調べてみてもよくわからないということがしばしばあります。目黒区だとたいがい答えにたどり着くのですが、これも大きさの違いでしょうか。
アパート敷地内の公園をお借りしてストレッチをしてこの日のウォーキングは終了です。
この日有志は男性だけ。渋谷に出て24時間営業の焼き鳥屋、山家でビールを飲んで焼き鳥食べて。暑かったのでビールがおいしかったです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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