よく知られているのは、年末の除夜の鐘である。
108回打つ鐘の音が煩いと苦情が寺に入り、取り止めになっている地域の寺院が増えつつ在る。
此れも時代の移り変わりなのだろうか。
日本には祭が各地に在る。
例えば馬追い等の祭は、馬に対する動物虐待だと騒ぎ立てるおかしな輩が声高に奇声を上げて叫ぶ。
「〇〇愛護団体」なる組織の輩共が騒ぎ立てる。
こう云う団体の輩は本当に独善的な精神構造なので當に厄介な生き物である。
此の連中がどれだけ愛護に努めているのかは疑わしい。
盆踊りも、煩いと云う理由で苦情が入るのだと云う。
愛知県では2009年から「無音盆踊り」が行われている。
盆踊りにかける曲を皆が其々イヤホンで聴き踊るのだと云う。
側から見ている者に聞こえるのは、踊り手の服が擦れる音、歩くステップの音である。
騒音の苦情に対する苦肉の策であろうが、側から見ている見物客は詰まらぬ。
櫓を囲んで地域の住民が踊る。
屋台が並ぶと子供達が金魚掬いやリンゴ飴、綿菓子等の定番を買い賑やかな歓声が上がる。
此れが夏の風物詩でもある。
此れ迄続いた癒しのイベントが無機質なものへと変わって行く。
保育園や幼稚園の近隣に住む住民が、子供の元気に遊ぶ声すら煩いと苦情を入れる輩もいる昨今である。
何処迄、神経質やねん。
其れ丈、異常な迄の神経質な人間が増える、普通の人が住み難い世になったと云う事である。
物が豊かになり、或る程度のカネが在れば何でも手に入る。
嘘や真実が混在した情報線が空間を飛び交い、現代人は情報線に絡め取られてしまっている。
まぁ、吾も其の一人である。
情報も、インターネットやスマホが無かった時代は、昔はアナログであった。
得られる手段は新聞かラジオとテレビ、雑誌からであった。
あと、他人からの又聞きである。
此の又聞き。
余り信憑性が無い様に思われるが、割と正解が多かった。
ネタ元は、実際目にして声に聞いた事を流しているので真実味が在った。
とまぁ、今は色んなものが無機質に変わってしまった。
風物詩は、其の時代、其の場所、其の季節を表すものだが、其れが消えつつ在るとすれば、我々は何を以って時代や場所、季節を感じれば良いのか。
我が国のカレンダーを見た時、祝日の名称がガラリと変えられてしまった。
一つ一つの説明は面倒臭いので省かせてもらう。
此れも風物詩が消えた最たるものである。
今、昭和レトロが持て囃されている。
昭和を知らぬ今の若者から見た昭和は斬新で真新しいのだろう。
どう云う理由であれ、こうして昭和をリスペクトしてくれているのは非常に嬉しい。
願わくば、現代の若者から消えつつ在る昔の風物詩を復活させて頂きたいと思う。
吾は、今のZ世代と称される若者は非常にスペックが高く、其れでいて繊細で細やかな気遣いが出来ると思っている。
他人への手助けも、さり気なく出来る人が多い。
昔の時代をリスペクトしてくれている若者に大いに期待したい。