早苗=S、玲子=R
S
さぁ始まるザマス
R
行くでガンス
S
とネタもそこそこにして、今回は日本人の中で自分を無宗教と認識する人が大半になった背景について考えていくぜよ。
R
つかこの題名は何?
S
あれこれ考えてると長くなるので、独断と偏見で言い切っていくスタイルを採用しますってこと。
R
こないだは統計データも参照してたのに・・・
S
8月以降劇的に忙しくなるんで、詰将棋やってると放置プレイになる公算が高いんだわ。よって今までに見えた全体像を出しておこうと思ってね。そしたら、次に書く時はこれを踏み台にできるからな。
R
うーん、むしろ今は旅行記事を書きたくてしょうがないんだけどね(・∀・)
S
なんてことやってると、いつまでも終わらんって寸法ですわ。それはともかく、アプローチとしては比較宗教学を採用します。って言うと大げさだけど、まあ日本の宗教について言われることを、他国の状況と重ね合わせて検証し、もって日本のことをよりよく理解したり、より深く考えてみましょうぜって話。
R
ああ、「島国だから宗教的に特殊→フィリピンやセイロン島、ブリテン島を見るとそれは不成立」とか「シンクレティズムこそ日本の特殊性→韓国やインドを見るとそんなことは言えなくね?」、「アメリカ的物質至上主義が原因→じゃあ何でアメリカは日本みたくならないの?」、「神道は宗教ではない→じゃあヒンドゥー教とかも宗教じゃないってことでOK?」ってふうに考えてくスタイルね。
S
そうそう。これは突っ込みというか茶々をいれてるように感じる人がいるかもしれんけど、そもそも自国のことを自国の要素だけで説明しようとするのって、自分の身体のことを記述しようとするのに似てるって思うんだわ。
R
内臓とかのこともあるため、自分のことは自分が一番わかってると思い込んでる。でも自分の唇や背中ってそもそも見えないしね。自分の声も相手が聞くのと自分が聞くのとでは違った風に聞こえてるわけだし。
S
だから、意識的に他国や他文化を鏡として自己を検証することで、自分の身体を眺めまわしてるだけじゃ気づかない凡庸さや特異点に気づくことができる。
R
エドマンド=バークの保守主義に則って、日本における戦前の超国家主義と戦後の非武装中立・世界連邦主義のアナロジーを考えるアプローチとかもそうだよな。
S
もちろん、マルクス主義に限らず、他国だけの物差しで全て説明しきれると思うのは大間違いだけどね。普遍性と特殊性の両方を見ていかなければならんわけですわ。
R
具体的には次回以降やるとして、今の話の具体例はどんなのが挙げられる?
S
たとえば、漢字・片仮名・平仮名みたいな三つの表記方法を同一言語で併用してる国というか文化圏なんて他にないでしょ。これがどうして生じたかの説明はともかく、なぜ今もそれが続いてて、その合理性はどこにあるかを他者に説明するのってとても困難なことではないか。
R
昔からずっと続いてるんで惰性でそうした、というのは?
S
その見解はかなり厳しい。たとえば三つの表記法が確立した平安時代は、そもそもこれらは使い分けられていた。漢字というか漢文は公的領域、平仮名は私的領域といった具合に。
R
でも、明治政府=近代国家の成立による「国語」確立の動き以降で考えるとどうよ?共通語の設定とかもあるわけだし。
S
それでも、戦前は公文書は漢字+片仮名で今とは違うじゃん。ついでに言えば、戦前は横書きの場合「右から左」だったし(アラビア語に驚いてる場合じゃない!)。ことほどさように、「今の日本語表記体系は歴史的なもので・・・」とついつい言いたくなる気持ちはわかるが、ちょっと過去のことを知ってると、むしろそんな簡単には言えないということがわかる。じゃあ改めて、「慣習による惰性」という逃げ道すら使えない中で、三つの表記法が確立した過程とその合理性を異文化の人間にどう説明するのかって話。一応別の可能性の話もしておくと、中国みたいに漢字で音写してもよかったわけやん。前にネタで書いた似非漢文みたいな感じでw
R
今みたいなことを、宗教でもやろうってわけね。
S
その通りでございます。
R
その点で言うと、「日本はそうじゃないんだ」というか、やたら日本特殊論に落とし込もうとする人たちがいるじゃん?まあ日本の特殊性はもちろんありえることなんだけど、でもそれがアイデンティティと結びついてるとめんどくさいのよねえ。
S
「アイドルはウンコしない」
R
ハァ?
S
って言ってるヤツがいたら、その人ってアイドルを理解しようとしてるって思う?
R
いや思わねーし。まあ「アイドル」って言葉の意味からすると偶像崇拝乙wって笑いたくなるけど、少なくとも理解じゃないよね。ただ自分とは違う存在として「神棚に祀ってしまう」のと同じ。
S
やろ~?戦前の簑田胸喜的なメンタリティが、日本の経済的衰退と近隣諸国の経済的成長と相まって前景化しているように思われるわ。日本の長所と短所、あるいは他国のポテンシャルを正しく認識して対策を打つことをすべきで、「日本スゴイ」論は、戦前の精神主義と同じく、ただの現実逃避でしかないって意味でむしろ有害なんだよね。
R
とはいえ、そういったメンタリティをただ批判してても、「根底に不安・不満があるから、むしろ意固地になるだけ」、てのはよく指摘される話だよね。
S
まさしく、「信仰は儚き人間のために」ってわけだ。無宗教でも日本の経済力や道徳性という「信仰の対象」があれば問題ナシ!的なね(・∀・)ともあれ、今回の無宗教に関する放談は、そういった点も踏まえながら、異文化の比較と歴史的変化という点に留意しつつやってみたいと思う訳であります。・・・後半に続く!
R
って本題に入らんのかい!
S
肩が痛くなってきたんで、曹先生の顰に倣って鍼灸に逝ってきます・・・
R
ひゃなえひゃん(´;ω;`)!ではまた近いうちに・・・
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