なんだこの鄙びた景色は、たまげたなあ・・・
おっ、そうだよ(開き直り)
てな茶番はさておき、ここは隠岐の島町のへそ=銚子ダムから少し南に位置する御客神社でございます。
おわかりいただけただろうか・・・そう、ここも山中で見た大山神社・岩倉神社と同様に、社殿がない。その代わりに、巨岩に締め縄をつけてご神体としている。
つまり、ここにもまた古神道の信仰形態が見て取れるわけやね。
なお、周辺の構造を見るに、鳥居はだいぶ後に建てられたもので、おそらく巨木が鳥居の役割を果たしていたものと思われる。
さて、古神道というと遥か昔のことのようだが、前にも指摘したように御嶽信仰やら富士講(富士参拝をサポートするための互助集団)といった山岳信仰やそこで活動した修験などは江戸時代にも相当盛んだったわけで、それが国家神道による一元管理という側面と、近代化のため迷信を否定を企図する明治政府の施策もあって民間信仰が抑制されただけであり、自然崇拝的な信仰形態の歴史は長く、そこまで遠い世界の話ではなかったりするんだよなあ。
あとは宗像の沖ノ島のように、島自体が神域となっている場所もあり、特別な許可がなければ、今でもそもそも上陸すらできないようになっていたりするわけで、これなどは今日もなお古い信仰の様態(の一部)が残存している事例と言えるだろう(大学時代に考古学をやっていた先輩と二人で上陸したのは良き思い出である。そしてテレビの撮影なのか、当時なぜか吉村作治もいたことを覚えているw)。
しかし、ですよ。
すごく、カントリーです・・・神社と鄙びた集落とのギャップが凄まじいw
まあ海沿いでもなく観光地化されてないだろうし、神社は鳥居+αを除いて昔あった信仰の形態をそのまま残しただけだろうから、これがありのままの姿ってことなんだろうな(ちなみに典型的な日本の農村集落ではあるが、なぜか強烈な既視感があり、一体どこの記憶と結びついたんだろうか・・・などと不思議に思った)。
ワイの姿は、その「自然」の様子に、今は亡き「伝統」を見出して感銘を受けている異邦人そのものってわけだ(・∀・)
そう考えながら、この少し寂れた神社の近くと小休憩を取り、次の目的地へと向かうのであった。
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