転売ヤーはフォード式の夢を見るか

2019-07-10 13:33:31 | 生活

 

なるほど転売ヤーとアンチ転売ヤーか・・・まあ「米騒動」的な視点で考えると、転売に反発する心の源泉は理解できる。とはいえ、基本的に今転売されているものは生活必需品などではなく、またそもそも価格というものは需要と供給の関係で決まる以上、後の希少化と価値上昇を見越して余分に購入しておくというのは合理的選択であると言える(ところで、アンチ転売ヤーの中では卸売とかインポートマートはどういう位置づけで認識されてんのかね?)。

 

要するに「転売ヤー」とレッテル貼りして一律に批判したり、あまつさえ妨害行動を取るというのは短絡的すぎるという話なのだが、これについて思うのは、そういう人間の発想が旧来のフォード式の頃で止まってるんじゃないか?ということだ。

 

つまり、「良いものは量産されてより安く消費者に届けられるべきだ」というものである。なるほど確かに、これは一時期まで資本主義の「国是」くらいの勢いで共有されていたマインドだが、もはや今では生活必需品が溢れかえった結果、そのようなエートスは時代遅れとなり、ポストフォード型の時代となっている(たとえば、「日本に資本主義は合わない」というのは明治期以来の日本の成長・成功を踏まえぬ愚昧な発想で、あくまで世界的な経済構造の転換に多くがついていけてない、ということである。そしてそれゆえに、人件費の安い途上国にどんどんその地位を脅かされるのは必然的なことだ)。しかし日本では、「世間」=漠然とした社会一般の希求するものを希求する、言い換えればみんなが使っているもの&安いは正義の発想が残っている(ここには周囲が正しいと思うものが正しいという日本的集団主義も背景にあるのでは?と思われる)。

 

そのため、フォード時代の意識だけがいまだに残り、それが転売ヤーへの批判的姿勢となって表れているのではないかと思う次第である(企業の活動実態はそこまで旧態依然としていないという意味では、ネットでやたらと正義感を振りまく傾向と類似しているのではないか)。

 

また、この動画に登場することとして、「情報の価値への無理解」というものがある。要するに、貴重な情報がタダで手に入ると思ってるわけだ(一体いつから、オープンソースなら正しいと錯覚していた?)。まあこれについては、戦前の日本政府もインテリジェンスがスライムベス級だったので、大衆に限らないと言ってしまえばそれまでだが(・∀・)実際のところ、重要なのは情報それ自体よりもむしろ、その質と選択が重要なのであり、その意味で価値ある情報は金を払って(でも)取りに行くという結論になる(だから、動画を掲載する時に付言するようにはしてるが、無料で興味の種を植えてくれたという意味で感謝すべきであっても、そこで結論=最終解を与えてもらったという発想をすべきではない。それは思考停止への一里塚というものだ)。

 

とはいえ、私が大学院の頃から利用していた漢文データベースもタダで、wikibooksで「ガリア戦記」などがタダで読めるご時世だ。こういったコモンズのことがあるから、まあ情報なんて無料でOKっしょ?という感覚が出てくるのもやむを得ない部分はあるが・・・

 

とはいえ、そういうマインドが根強く残っていて、かつ自己責任論マンセーの日本社会に、いくら年金だけじゃ2000万くらい足りねーっスよと官庁が大衆を脅してみたところで、(積み立てNISAレベルでも)投資が浸透するとは全く思えないのだがどうでしょうかね。

 

とまあこの問題が「一部のバカ」の話ではなく日本全体の問題に関わる可能性を指摘しつつ、この稿を終えたい。


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