甲子園は誰のため?
今さらやめられない。
二次大戦の時と一緒やん。
いや、たとえば非合理性の権化のようにみなされる陸軍すら、兵力差を認識して夜襲や奇襲を選択する程度の戦略性があったことからすれば、それ以下である。
消費する人々。おそらく日向にあえて立つ~と同じ。炎天下で頑張る球児をハラハラしながら応援する。そこに同調の快楽とカタルシスを覚えている。もしそうでないのなら、自分が応援しているはずの人たちの今はもちろん将来すら危険にさらす甲子園窮状での大会をどうして批判もせずに受け入れているのか私には皆目理解できないのだ。よって私には、応援者達が悪意なき偽善者の集まりにしか見えない。ちなみにとにかく成果より頑張っている姿に感動を覚える、というのならそれはブラック企業的精神と同根だ。
朝目新聞てのがウケる。まあ連中のリベラルな発言など半ばマーケティングと思えば別に不思議ではないが、偽善ここに極まれり、というものだ(まあマスメディア全般を通じて、そのスタンスをリテラルに捉えるのはそもそもリテラシーがない、てのも確かだが)。
不思議なのは、消費者はそれ意識してねーの?てこと。たとえば今の話を受けて、「うるせー俺は感動したいんだ。それがポルノだろうが、監獄だろうが俺の勝手だろ。パンとサーカスを求める権利が俺にはある」と言うのならまだわかる(賛成はしないけど)。
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