街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
蝉丸神社
蝉丸神社は市内に3社あり、逢坂(おうさか)一丁目の国道1号沿いに上社(かみしゃ)、国道161号沿いに下社(しもしゃ)(関蝉丸神社)、大谷町に分社(蝉丸神社)が立っています。蝉丸は平安時代の琵琶の名手で、今昔物語や謡曲「蝉丸」によると、目が不自由であったにもかかわらず、音曲の神として崇められました。彼が詠んだ「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という和歌はあまりにも有名です。神社の入口に「せきのしみず」という石標があり、拝殿の横には時雨灯籠(しぐれとうろう)と呼ばれる六角形の灯籠があって、風情に満ちています。また、本殿裏の細い山道の入ロに、絶世の美女といわれた小野小町塚があります。滋賀県観光情報より
幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み僧形にして逢坂山にお捨てになった。この世で前世の罪業の償いをすることが未来への助けになると諦めた宮も孤独の身の上を琵琶で慰めていた。一方、延喜帝第三皇女逆髪(さかがみ)の宮も前世の業因強く遠くの果てまで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に惹かれて偶然にも弟の宮蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れていく。という今昔物語を出典とした名曲が謡曲蝉丸である。蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かではないが、冷泉天皇の頃、日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。 謡曲史跡保存会
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