2015年12月30日 滋賀県
石山寺
滋賀県大津市石山寺
西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。
東大門 重要文化財
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立だが、本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。
▼大黒天
▼毘沙門堂 重要文化財
滋賀県指定有形文化財 安永二年(一七七三) 正面三間(しょうめんさんげん)、側面二間(そくめんにけん)、一重(いちじゅう)、宝形造(ほうぎょうづくり)、桟瓦葺(さんかわらふき)、背面閼伽棚(はいめんあかだな)を含む。 毘沙門堂は、堂内に兜跋(とばつ)毘沙門天(重要文化財)・吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三体を祀っています。
▼観音堂
西国33ヵ所の全ての尊像を安置
▲手前観音堂 奥毘沙門堂
▼御影堂 重要文化財
室町期創建の御影堂は、慶長期に洗練された外観に整備された。三十八所権現社本殿は慶長7年(1602)の建築で、華麗な彫刻や彩色で装飾され、その拝殿として同時に建てられた蓮如堂とともに、寺院における鎮守社の構成を伝える遺構として貴重である。
▼蓮如堂 重要文化財
本堂の東方にあるこの御影堂は、桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)四間、一重、宝形造(ほうぎょうづくり、方形屋根をもつ建物)、桧皮葺(ひわだぶき)の持仏堂(じぶつどう)風の親しみのある建物です。お堂の中には、石山寺に関係の深い良弁(ろうべん)、空海(くうかい)、淳祐(じゅんゆう)の遺影(御影)を安置しています。このお堂の蔀戸(しとみど)や簡素な軒(のき)まわりは、住宅建築を思わせます。建物の外まわりには後世の手がかなり加わっていますが、内部の須弥壇(しゅみだん)(仏像、厨子(ずし)を安置する台)など室町時代初期の特色をよく示しています。
▼本堂 国宝
石山寺本堂は、桁行(けたゆき)七間、梁間(はりま)四間、寄棟造(よせむねつくり)の本堂と桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(かけづくり)(舞台造)の礼堂(れいどう)と、その両棟を結ぶ相の間(あいのま)によって構成される総檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。石山寺の建立は古く、本堂は天平宝字五~六(六七一~二)にかけて造東大寺司(ぞうとうだいじし)によって拡張されたことが正倉院文書(しょうそういんぶんしょ)に見えます。その後、承暦二年(一〇七八)に焼失し、永長元年(一〇九六)に再建されたのが、現在の本堂で、天平宝字項のものとほぼゝ規模をもつ滋賀県で最も古い建物です。礼道と相の間は、慶長(けいちょう)七年(一六〇二)に淀君(よどぎみ)によって建て替えられました。
紫式部:紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。
▼経蔵
経蔵は、本堂北東の一段高くなったところ、三十八所権現社本殿の背後に建つ高床の校倉で、かつては国宝淳祐内供筆聖教(しゅんにゅうないぐひつしょうぎょう)や重要文化財石山寺一切経(いっさいきょう)・校倉聖教(あぜくらしょうぎょう)等を収蔵した建物である。
▼腰掛石
昔からこの岩に座ると安産すると言い伝えられている。
▼多宝塔 国宝
建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。
▲大日如来坐像
現存最古で国宝に指定されている多宝塔の本尊。「アン(梵字)阿弥陀」などの墨書が面部裏面にあり、快慶無位時代の作として知られている。高く装飾的な髻を結い上げ端正な表情に造り、そして頭部から髻の頂上に至る、安定した三角形の空間構成が仏師の技量が抜群であることがわかる。
▼めかくし石
多宝塔の西側に立つ、高さ約3.4メートルの単純で素朴なかたちの石造宝塔。鎌倉時代の作と言われ、「めかくし石」と呼ばれています。
目をかくして、この石を完全に抱けば、諸願成就と云う
▼心経堂
▼月見亭
▼鐘楼 重要文化財
石山寺の鐘楼は鎌倉時代の建立、鐘は平安時代の作であり共に重要文化財に指定されています。
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