文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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中国に媚びへつらう政権が支持を得られるはずもなく、すでに永田町の関心は「岸田後」に移ってきた。

2022年10月30日 14時56分44秒 | 全般

以下は26日に発売された(我が家に配達されたのは28日の夕刻だったが)月刊誌WiLLの巻頭を飾る門田隆将氏の連載コラムからである。
見出し以外の文中強調は私。
"史上最悪の外相"と共に沈む岸田政権
「岸田さんは林さんと共に沈むのか」
そんな声が永田町のあちこちから聞こえてくる。
「史上最悪の外務大臣」―そう言って憚らない自民党議員もいる
信頼される"対面方式”の時事通信の調査(十月七日~十日)でも、岸田文雄内閣の支持率が初めて三〇%を切り、ついに二七・四%となった。
下落原因のひとつに林芳正外務大臣を挙げる党関係者は多い。
理由は常識外れの「媚中」である。 
親子二代の日中友好議連会長である林氏は、頻繁に訪中をくり返してきたことで知られる。
その人物が外務大臣という要職に抜擢されたため、「中国の露骨な要求がますます強くなる」「台湾との関係はどうなるんだ」との懸念が高まっていた。
9月27日におこなわれた安倍晋三元首相の国葬儀での林外相の指示による露骨な“台湾外し”は酷かった。
故人と特に親しかった台湾を指名献花から外すわけにはいかなかった林外相は、どんな方法で台湾を冷遇したのか。
政治部デスクの解説によれば、「簡単にいえば、林さんは中国の意向通り台湾を”地域扱い“にしました。指名献花には入れたものの、事前に蔡英文総統、頼清徳副総統の来日は避けるよう要請。台湾は立法院長(国会議長)や行政院長(首相)経験者の蘇嘉全、王金平、謝長廷といった”大物”を参列させましたが、国名のあと献花する人の肩書を読み上げる対象を林外相が、“現職”と限定したため、彼らの肩書は読み上げられなかったのです」 
冷遇はそれだけにとどまらなかった。 
「武道館での国葬儀のあと、岸田首相は迎賓館で各国の参列者から弔意の挨拶を受けました。しかし、林外相はここにも規準を設け、“大統領や首脳級は現職と元職、議長や閣僚級は現職のみに限定”として、わざわざ台湾を排除しました。そのせいで国葬儀に参加した半分以上の地域や組織の代表がこれに該当し、迎賓館での挨拶に赴くことができなくなったのです」 
貴重な弔問外交の場が当の外務大臣によって“奪われた”のである。
しかも、政治協商会議副主席という低い地位の代表しか参列しなかった中国もこれに該当したのに、こちらは迎賓館に「招かれた」のである。
だがこの異常事態にマスコミは沈黙。
週刊文春と新潮だけがこれを取り上げ、特に文春は官邸や外務省が共有した「㊙台湾からの国葬儀参列者の待遇について」と題された内部文書に「台湾(蘇嘉全前立法院長)は招待しない」と記されていたことをスッパ抜いた。
中国が“一つの中国”政策を各国に強制しているのは周知の通りだ。
台湾はあくまで中国の一部であり、そこに政府などなく、そのため総統も副総統も「存在しない」との論理である。
台湾の頼清徳副総統が増上寺での安倍家の通夜と告別式に参加した際も、「なぜ弔問を認めたのか」と外務省にねじ込んできた。
林外相は記者から頼清徳氏の弔問について質問を受けた時、「頼清徳」とも「副総統」とも呼ばず「ご指摘の人物」と表現して物議を醸した。
台湾という存在をそこまで"消したい"のが林外相なのだ。
林事務所は新潮、文春発売の翌9月30日の定例会見では、台湾に関する質問をしないよう複数のメディアに要請し、問題を大きくしないために腐心。
そのため新聞・テレビでは殆どこの問題が取り上げられることもなかった。
一方、国葬儀翌々日の日中国交正常化50周年の祝いの席では、林外相は「日本と中国は建設的かつ安定的な関係を構築するという共通の目標に向けて率直な対話を重ねつつ、共に進んでいく必要があります」と挨拶し、満面に笑みを浮かべた。
いうまでもないが、林外相の口からジェノサイドに苦しむウイグル人や徹底した弾圧の中にいるチベット人、香港人などに対する人道上の懸念が語られたことはない。
中国共産党の支配の下、そういう苦しみの中にいる人々への思いは全く「ない」のである。 
林氏への批判は地元山口からも噴出。
安倍氏死去の直後から、安倍地盤の選挙区で「新三区(定数減に伴う新区割り)は、林が出ますのでよろしく」との陣営の挨拶まわりが始まり、「亡くなった直後に何だ」との批判が巻き起こった。そのため2004年に林夫妻が乗った車が起こしたタクシーヘの“当て逃げ事件”も蒸し返され、非難の対象となっている。 
名門の政治家一家に生まれ、東大法学部を卒業し、“下々の者”とは無関係な人生を歩んできた林氏。
中国に操られるこの御仁をよりによって外相という要職につけ、国民の反発に哂される岸田首相。
中国に媚びへつらう政権が支持を得られるはずもなく、すでに永田町の関心は「岸田後」に移ってきた。

 

 



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