(ミラー投稿 from なますちゃん|https://note.com/a_go_go/)
八村塁氏が日本代表のヘッドコーチはプロ経験者に限るみたいなことを言っていたけど、アメリカンメジャースポーツの最高峰であるNFL(アメフト)の歴史の中にはプロ経験のないヘッドコーチは珍しくもない。
中でも名将ビル・ベルチックなんぞは実に6度のスーパーボウル制覇を果たしている。レッドスキンズの黄金時代をきづき殿堂入りもしたジョー・ギブスはNASCARのプレミアシリーズのチームオーナーとしても160勝以上しトヨタの初優勝にも貢献しモータースポーツ界でもザ・コーチと呼ばれているがフットボール選手としてのプロ経験はない。。
2017年に史上最年少でロサンゼルス・ラムズのヘッドコーチに就任したショーン・マクベイはそれまで10年以上負け越していたチームをいきなりの1年目から立て直し地区優勝まで果たし、スーパーボウルにも2度進出し2021年には優勝ほ果たしている。
攻撃と守備のコーディネーターがHCの直下にいるアメフトとはわけがちがうよとかいうのならダグ・ブレイビン氏の成功はどうだろう?彼は脳性麻痺で生まれてからただの一度もボールを蹴ったことがないにもかかわらず車椅子のキッキングコーチとして6シーズンにもわたりマイアミ・ドルフィンズで指導した。
いま「守備」「攻撃」というワードが出てきたがアメフトは守備チーム、攻撃チーム、そしてスペシャルチームという3チームの分業だ。フィールド・ゴールとパントをといういわゆるキッキングゲーム担当するスペシャルチームは地味だが決勝点にからむことがある重要な存在。「バッファロー66」という映画では4年連続スーパーボウルに進出しながら4連敗したバッファロービルズのキッカー、スコット・ノーウッドがキーワードになっている。キッカーはふだんは注目度が低いのに負けると戦犯として歴史にまで名を刻んでしまうという因果な商売だ。つまりキッカーはプレッシャーも半端ないのだが彼はその後指導したイーストテネシー州立大ではメンタルコーチも兼任し、いくつもの大会記録を達成するキッカーを育てた。(惜しくも今年3月に他界されたらしい。合掌)。
八村塁がマイアミにいたらボールを一度も蹴ったことのないやつが指導などできるはずねーだろと一蹴するかもしれない。キッカーだけに…
実は日本のプロ野球にもプロ経験のない監督がいた。
岸一郎/阪神タイガース(1955年)
砂押邦信/サンケイスワローズ(1961~62、65年)
これは余談だけど、最近、googleの検索結果の最上段にAIのアンサーが表示されるようになった。さっき砂押さんがいたときのスワローズがサンケイだったか国鉄だったか調べようとしたら「高津臣吾さんはプロ経験のないプロ野球監督です」と小学生でもわかるような鮮やかなデマが表示されていた。こないだはイエスの「ロンリーハート」は3つの教会旋法によって作られていると出ていたが、多分、それも嘘情報だろう。表示時間をくうだけの迷惑なシステムだ。みなさんも要注意を。
よく日本でも「名選手は名伯楽にあらず」などといわれてきたが、実際にはスター選手ばかりが監督になってきた。一方でアメリカはカレッジスポーツのレベルから人材育成システム面で成熟しているといえる。コーチングだけでなくトレイナーなどの裏方的職種も含めカレッジで修行してプロスポーツにのぼりつめるというパターンがよくある。もちろん監督(HC)もだ。NCAAは日本とちがって一定のレベルの学業成績を維持していないと試合に出られないというところも視野の広いアスリートが育つ要因かもしれない。カレッジスポーツに脳ミソ筋肉はありえないのだ。
「アメリカンドリーム」は完全自己責任の無慈悲な地獄のシステムといえるが一方では、利をもたらすとなったらその相手が障害者だろうとアマチュアだろうと小学生だうと教えを請う貪欲な、ある意味平等で謙虚なシステムでもある。
八村君はNBAという高みにいて自分は最先端の景色を見ていると思ったのかもしれないが、監督はプロじゃなきゃいやとか、こっちから連絡しろとは何事だとか、まるで昭和のおじさんのメンタリティだ。
逆に真の意味で最先端の景色を見れているのはダルヴィッシュ有氏かもしれない。
彼は人生の殆どの時間、変化球のことを考えていると日本テレビGoingの取材で明かしていたが彼はゲームを通じて知った日本の選手の変化球を実際の映像で見直して研究したりしているそうだ。お股ニキというSNS上で知り合った野球マニアとの交流もちょっとした話題になった。ニキ氏は八村くん的な視点でいえば単なるシロウトで相手にもしないのだろうが、ダルヴッシュ的には聞くに値する意見だと思えたのだろう。
「名選手は名伯楽にあらず」というのはコーチ(監督)というのは競技を俯瞰的に見つめ、一般化し、言語化する能力が必要だということだ。長嶋茂雄氏がバッとかガっとか擬音だらけの表現をするというエピソードは逆説的にそれを体現しているかもしれない。松井秀喜には通じたらしいが…。
そもそも外国人が日本のチームを束ねるとなったら国民性など文化の違いも把握して挑まなければならない。シンクロのスペイン代表のコーチをつとめた藤木麻祐子さんは文化の違いという入口のところで苦労したと語っていた。そもそも時間を守らない…などなど。その点日本時は勤勉で従順だからラクなのではないかと「日本すごい教」に洗脳された人々は考えるかもしれないが、かつてサッカーの次期日本代表監督を誰にするのかというタイミングでフジテレビのスポーツ番組がかのアーセン・ベンゲル氏にインタビューしたときには「日本代表の監督になりたいと思っている外国人はいない」とリップサービスゼロの身もふたもないことを言い放った。名門アーセナルを20年以上率い名古屋グランパスの監督もつとめた名伯楽の言葉は重い。日本人は意識しないだろうがそもそも英語が通じないというだけで相当なストレスに違いないので家族をひきつれて日本に移住しなければならない日本代表のコーチを探すこと自体が難問なのだ。
いまから八村くんの所望する元プロとやらが就任したところで結局は「ふりだし」から、いやスタートラインより後ろからのスタートになってしまう。
とりあえず「元プロじゃなきゃいやだ」という発言を会見という場でしてしまうのは稚拙だし、ぶちこわすのが目的でないのなら「逃げ場」や「出口」を設定せずに喧嘩を売ってしまうのは大人としていかがなものか?
そしてビッグネームの方々は自分の発言の影響力を考えてほしいものだ。いまや彼は歩くだけで町が粉々になるゴジラのような存在なのだ。
ロンドンブーツ1号2号がホストを務めていたフジテレビの深夜トーク番組「赤ちゃん金ちゃんしゃべる部屋」にサッカー界のレジェンド釜本邦茂氏がゲストとして出演したことがあった。その中で田村淳が「ボクも(サッカーの)監督やれますか?」と尋ねると、釜本氏は「できるかもしれないけど選手がついてこないだろう」と答えた。頭ごなしにムリにきまってんだろバーカといわないところは、さすが八村君よりはモノが見えていると思った。そもそも淳氏はサッカーマニアですらないのでフツーにムリだろうけど。
ちなみに、ホーバスさんがいうところの塁くんのほうから連絡してこいというのは八村サイドは代理人によるガチガチ管理でこちらからはアクセスしにくい環境下にあるということらしい。
もうひとつ。文中に「見れる」というらぬき言葉を使ったけど、この用法は「受け身」と「可能」を区別できるというメリットもあると専門家が言っていた。なのであと10年くらい後には認められた用法として辞書にのりますようにとの願い意をこめて広めていくことにする。
時代は常に前へ前へ
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