下界の娘

【羊たちの沈黙】はサイコパススリラーではない

続編にあたる【ハンニバル】は観ていないですが
【羊たちの沈黙】について、タイトルに先に書いた通り
あの映画はサイコパススリラーではありません。

といってもあくまでも個人的な見解とするしかないですが。


様々なこの映画のレビューを見て、高得点を得ているにも関わらず
また、レクター博士に惹かれてるというかスポットライトがあたっているのに
本当のあの映画の意味にたどり着いた同じ意見の人がほぼいなかったので
なんとなく書いてみようと思った。(何度も言うが、たどり着いたと言ってもあくまでも個人的な見解です)


一見
犯罪、サイコパススリラー映画になっていますが
それはただのエンターテイメントとしての表向きであって
あの映画の根本は(映画というかおそらく原作者の意図)
結論から先に言うと
☆「普通に暮らしてる人間そのものの方が残酷で傲慢である」ということを伝えたい。

☆「自分たちは気付いてないけれど自分たち人間が食べるために、動物の悲鳴なんて聞こえてても聞こえないふり、もしくは聞こえない、ぐらい食べるために動物をはいで食べているじゃないか」
主にこれをレクたー博士というサイコパス(人間を食う)を使って表していると思う。

その結論になったのは
レクター博士が、ジョディフォスターに対して、過去の事を聞くシーンで
ジョディフォスターが子羊の悲鳴を聞いてなにをしているか見てショックを受け助けようと思った。
このことでレクター博士が彼女に対して、もちろん真実を話したということで距離が縮まるというか彼女には敵意を向けない。
それは真実を話したという正直さだけではなく、内容そのものに共感したと思った。

そしてもう一人出てくる犯罪者、自分の身体にあった人間の皮を求めて犯罪を繰り返す男、は
映画としてはサイコパスで、もちろん立派な犯罪者であるけれど
人間だって動物に対して同じ事をしているようなものだという警鐘。




映画内ではそこまでわかるひとがいるかどうかわからないけれど
原作者であるトマス・ハリスが、
自然動物愛好者であることと、
「わたしはこう答えるんだ、自分は特別何かを創り出しているわけじゃない。周囲を眺めてみたまえ。何もかも現実に起きているじゃないか、とね」
(ネットでもはや犬でも猫でもない動物を抱えて映っている原作者のインタビュー記事に書いていた事です。猟奇的なアイデアはどうやって生み出されたのかという質問に対しての答えです。興味がある方はみてみて下さい)

と答えていることに全てが出ていて
自分たちの見解が間違っていないと確信した。(主人のほうがとてもすばやくとてもすらすらとこの映画の本当の意味にたどり着いた。恋愛ものはきれいさっぱり分析できないのに。。。。)

つまりレクター博士は、その警鐘を訴えるための、
代弁者というか象徴というかうまい言葉が見つからない(そこが大事!!)が
あからさまに人間が悪だという表現にしないための、大事な役。
だからなんだかはわからないけれど皆がレクター博士というダークな役柄に
惹かれていく。

今まさに、原作者の言う、
猟奇的で、狂った、人間不信になるような出来事が多く、
人間こそがとても貪欲で利己的だという絶望を感じてしまうようなそんな

何もかも現実に起きているじゃないか、
その意味が今なら皆わかるのではないか。。。。。






毒母持ち。パニック障害。人や世の中の闇・真理までわかる。心の闇を・・吐き出してみる。【闇ブログ専用】

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