以前 柏駅西口~北花崎という柏03系統の途中折返しの路線があって、
かつて乗ったことがある、というお話をいたしました。
そのさい、
「北花崎には折り返しできそうなスペースがあった記憶が無いから船戸木戸まで回送で行って折り返したのだろう」
とテキトーな当て推量を申しました。
現在柏市内にはわたくしの弟の妻の家族、
端的に言えば「血のつながらない親戚」が住んでいるのですが、
先日その方々と親しく昔の柏市内のバスの話をしていたところ
「昔、北花崎のあたりにバスが止まる変なトコあったよ」と言われまして調べましたらありました。
皆様には慎んで訂正するとともに、さっそく現在どうなっているのか見に行ってきました。
柏駅から柏03に乗ります。
高校行きのバスに高校を何十年も前に卒業したような年齢の人々が列をなしています。
わたくしも含めて。
北花崎に着きました。
郵便局は昔は白っちゃけた質素な建物に見えましたが、現在は随分立派になっています。
わたくしの小学生当時は『ヤマザキの中華まん 80円』などと書かれたのぼり旗を掲げた個人商店が
バス停前にありましたが現在はセブンイレブンになっています。
昭和62年の地図によるとここから100Mほど道なりに北上したところになっています。
今をさかのぼること昭和の御世、バスから見てたら怪しげに煙をモクモクさせてたエスレン化学という工場が
北花崎バス停の先にありましたが、
現在は工場閉鎖してしまったようです。
また昭和が遠くなりました。
地図からするとココだ。「サタケ」さんなる会社さんの敷地。
バス転回場の痕跡らしきものは何もありません。
バス路線上にあるとはいえ北花崎からは随分離れています。
関東鉄道バスの『勘助』の先にあった単なる折返の待機場のようなものだったのでしょう。
ふーむ、ここは「北花崎」と次の「大室」というバス停の間に位置していますが、
困ったことに幼時にバスから眺めた車窓の記憶にはバス折返場所としての記憶が全くございません。
この会社さんの裏手は、郊外住宅地の地価が下落してる好例として某新聞社WEBに晒された、
もとい、出ていた「柏ビレジ」がダァーと広がっています。
このブログをお借りして後代に伝わり地域交通研究の資料となれば幸いです。サタケさんありがとうございました。
かつて乗ったことがある、というお話をいたしました。
そのさい、
「北花崎には折り返しできそうなスペースがあった記憶が無いから船戸木戸まで回送で行って折り返したのだろう」
とテキトーな当て推量を申しました。
現在柏市内にはわたくしの弟の妻の家族、
端的に言えば「血のつながらない親戚」が住んでいるのですが、
先日その方々と親しく昔の柏市内のバスの話をしていたところ
「昔、北花崎のあたりにバスが止まる変なトコあったよ」と言われまして調べましたらありました。
皆様には慎んで訂正するとともに、さっそく現在どうなっているのか見に行ってきました。
柏駅から柏03に乗ります。
高校行きのバスに高校を何十年も前に卒業したような年齢の人々が列をなしています。
わたくしも含めて。
北花崎に着きました。
郵便局は昔は白っちゃけた質素な建物に見えましたが、現在は随分立派になっています。
わたくしの小学生当時は『ヤマザキの中華まん 80円』などと書かれたのぼり旗を掲げた個人商店が
バス停前にありましたが現在はセブンイレブンになっています。
昭和62年の地図によるとここから100Mほど道なりに北上したところになっています。
今をさかのぼること昭和の御世、バスから見てたら怪しげに煙をモクモクさせてたエスレン化学という工場が
北花崎バス停の先にありましたが、
現在は工場閉鎖してしまったようです。
また昭和が遠くなりました。
地図からするとココだ。「サタケ」さんなる会社さんの敷地。
バス転回場の痕跡らしきものは何もありません。
バス路線上にあるとはいえ北花崎からは随分離れています。
関東鉄道バスの『勘助』の先にあった単なる折返の待機場のようなものだったのでしょう。
ふーむ、ここは「北花崎」と次の「大室」というバス停の間に位置していますが、
困ったことに幼時にバスから眺めた車窓の記憶にはバス折返場所としての記憶が全くございません。
この会社さんの裏手は、郊外住宅地の地価が下落してる好例として某新聞社WEBに晒された、
もとい、出ていた「柏ビレジ」がダァーと広がっています。
このブログをお借りして後代に伝わり地域交通研究の資料となれば幸いです。サタケさんありがとうございました。
東武時刻表他によれば北花崎止まりはかつて阪東と東武と両社でなされていたようですが、わたくしの時代には東武すなわち野田営業所(出張所)の路線から柏駅西口~北花崎は消滅しており、また方向幕にも無かったと思います。
野田のバス路線全線乗りつぶしを標榜していた小学5~6年生当時の私には却ってこれが災いとなり、「どうせ野田のバスじゃないんだから乗んなくていいや」という姿勢でこの路線を捉えておったところです。
北花崎止まりのバス路線があったことを今こうして歴史の表面に浮かび上がらせたことは、当時の姿勢を大いに反省する念と、
郷土の正しい路線バスの歴史や姿を後の世に伝える責務を果たすことができた喜びとが入り混じったような気持ちになります。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1030787&isDetail=true
半円状の転回場が仰るとおり写り込んでおります
こちらの“北花崎折返場”情報を当方Googleマイマップに書込みしておきたいと思います
貴重なお話ありがとうございますm(_ _)m