羽田空港第一ターミナル(東京都大田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
今回は自分にお説教させて下さい。
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このブログでは、ことある毎に「優しさ」についてお話しさせていただいています。
「優しさ」はそれぐらい大切なものだからです。
私は無私の優しさなど存在しないと思うんです。
たとえ「自分が嫌われても構わない」に代表される「厳しさ」の皮をかぶった優しさでも、
「自分が役に立ちたい」という欲が1mmでもないとは言い切れないハズです。
だから、どんな「優しさ」にもエゴが混じる以上、
「優しくなり切る」って本当は難しいんです。
優しくなろうと思えば思うほど無私になり切れないことに気づく。
だから、「優しさ」ってある意味では切ないものなんですね。
…であるにもかかわらず、
「優しさ」をあからさまに手段に使う人がいます。
親切心を装って人のプライバシーを知りたがるとか、
なんとか連絡先を聞いたり遊びに誘うとか、
どこまで勘違いしてるんだと思うんです。
私だって男だからたまに(間違って)好意を持たれたりするんですが、
優しさを利用して近づいてこようとする人がいると、
怒りを通り越して悲しくなります。
そもそも、作った優しさなんてすぐ見抜かれるだけです。
皆さんは英語を習ったコトがあると思うんですが、
あれは普段から勉強してはじめて、
とっさのトキに通じるようになるんです。
私は大学で英語(の発音)をやっていたので、
いきなり英語をぶつけられても、ごく簡単な対応が許されるならなんとか出たりするんです。
この「普段から」というのがキーで、
普段から英語をやっていなければぎこちなくなるのは当たり前ですよね。
話が長くなりましたが、
「優しさ」もそれと同じなんです。
普段から人に優しくしていれば、
「無私に」というのはムリでも、
少なくともより自然な形で優しくできます。
「優しさ」が自分の人格になるのです。
そういう自然な優しさであれば、
受けとってくれる人も増えるというものです。
そういう意味では「自分磨き」も一緒で、
「優しさ」に限らず性格を「即座に作る」のは本当は自分磨きでもなんでもなくて、
自分がそうありたい思う性格や人格が染み込んで、
それが「自然と」滲み出るようになるまで少しずつ自分を成長させる、
これこそが本物の自分磨きではないでしょうか。
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本物の優しさを人に与えたいと必死になっている人がいるんです。
それなのに「優しさ」を手段に使うなんて、
本気の人からすればとてもじゃないけど比較対象にはなりえないし、
そればかりか「優しさ」というものを貶めているとすら言えるのではないでしょうか。
皆さんも一度、「優しさ」というものはなんなのか、
よく考えてみませんか。