空を舞う鴎(千葉県鋸南町)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
私はとりたてて仏教の信者というわけではありませんが、
思い付いたままに綴ってみます。
☆ ☆ ☆
ガラの悪い顔。
満面の笑顔。
皆さん、両方作れますか!?
せめて、心の中で笑顔を作ったり…は出来ますか!?!?
このことを踏まえて。
私達人間は、悲しいほど利己的な生き物です。
しかし、四六時中ずっと利己的で手に負えない存在かと言うと、
そうでもなかったりする部分もまた、あることはあるハズです。
「純粋に、無私の精神で人のためによいことをしたい」と思って、
自ら率先して気持ち良い行動をしていること、
誰しもあると思うんですね。
こういうわけで、
利己的な時も、純粋に思慮深い時もあるのなら、
「人間の中には悪魔も天使も、鬼も仏様も、どちらも住んでいるのではないか」と考えることが出来るのではないかと思うのです。
冒頭の突拍子もない話は、これを言いたかったから。
つまり、笑顔が作れるということは、心に仏様がいるということ、
悪態をついた顔にもなりえるということは、心に鬼も住んでいるということです。
ちなみになんでこんな発想に至ったか種明かしをすると、
「仏頂面」も「菩薩顔」も、
どちらも「仏様」に関係する言葉だからです。
一度は経験しているものだと思いますが、
ついつい、自分の性格について思い悩んだりするのが、
私達というものです。
しかし、性格なんてあってないようなもの。
たとえば「ありがとう」と挨拶をされても、
なぜかムッとする日と素直になれる日、
その時の展開を勘定に入れても、極端に感じ方が違っていること、あると思うんですよ。
このように、同じ人に同じ状況を与えたとしても、
それに対する感覚や反応は、
精神状態のいかんで、どうにでも変わってしまうものです。
つまり、自分の中にいる「仏様」の部分が顔を出しているか、「鬼」の部分が顔を出しているか、
これによって、どんな気持ちでどんな言動になるかが変わってくるのです。
心に鬼も悪魔も、そして仏様も住んでいるのなら、
どちらに気持ち良く住んでもらいたいかは、
もう言うまでもないと思うんです。
自分の性格が悪いからといって、自分を全否定するのは間違えです。
良心的な行動を取って、それが少しでも気持ち良く感じるなら、
心の中にきちんと仏様がいる証拠です。
自分の性格に酔うのも間違えです。
「自分の性格」というから自分のものだと思ってしまいがちですが、
人間なら誰しも持っているもの、つまりは「命がある以上、良心もセットで付いている」ものです。
自分一人だけで獲得するものではないのです。
もっと言うと、良心的な行動をすると心から気持ち良い思いが出来ると知るのは、
つまりは自分の周りに、良心を発揮させてくれる人達がいるからです。
なんだか宗教じみた説法みたいで申し訳ないのですが、
理解していただけると嬉しいです。
自分の中にある良心、あるいは純粋な気持ち。
これらを頂き物と思って育てることで、
幸せな気持ちでもって、人にも幸せになってもらえる、
そんな理想が実現できたら、ステキだと思いませんか!?
こんにちは。
今日もありがとうございます。
私はとりたてて仏教の信者というわけではありませんが、
思い付いたままに綴ってみます。
☆ ☆ ☆
ガラの悪い顔。
満面の笑顔。
皆さん、両方作れますか!?
せめて、心の中で笑顔を作ったり…は出来ますか!?!?
このことを踏まえて。
私達人間は、悲しいほど利己的な生き物です。
しかし、四六時中ずっと利己的で手に負えない存在かと言うと、
そうでもなかったりする部分もまた、あることはあるハズです。
「純粋に、無私の精神で人のためによいことをしたい」と思って、
自ら率先して気持ち良い行動をしていること、
誰しもあると思うんですね。
こういうわけで、
利己的な時も、純粋に思慮深い時もあるのなら、
「人間の中には悪魔も天使も、鬼も仏様も、どちらも住んでいるのではないか」と考えることが出来るのではないかと思うのです。
冒頭の突拍子もない話は、これを言いたかったから。
つまり、笑顔が作れるということは、心に仏様がいるということ、
悪態をついた顔にもなりえるということは、心に鬼も住んでいるということです。
ちなみになんでこんな発想に至ったか種明かしをすると、
「仏頂面」も「菩薩顔」も、
どちらも「仏様」に関係する言葉だからです。
一度は経験しているものだと思いますが、
ついつい、自分の性格について思い悩んだりするのが、
私達というものです。
しかし、性格なんてあってないようなもの。
たとえば「ありがとう」と挨拶をされても、
なぜかムッとする日と素直になれる日、
その時の展開を勘定に入れても、極端に感じ方が違っていること、あると思うんですよ。
このように、同じ人に同じ状況を与えたとしても、
それに対する感覚や反応は、
精神状態のいかんで、どうにでも変わってしまうものです。
つまり、自分の中にいる「仏様」の部分が顔を出しているか、「鬼」の部分が顔を出しているか、
これによって、どんな気持ちでどんな言動になるかが変わってくるのです。
心に鬼も悪魔も、そして仏様も住んでいるのなら、
どちらに気持ち良く住んでもらいたいかは、
もう言うまでもないと思うんです。
自分の性格が悪いからといって、自分を全否定するのは間違えです。
良心的な行動を取って、それが少しでも気持ち良く感じるなら、
心の中にきちんと仏様がいる証拠です。
自分の性格に酔うのも間違えです。
「自分の性格」というから自分のものだと思ってしまいがちですが、
人間なら誰しも持っているもの、つまりは「命がある以上、良心もセットで付いている」ものです。
自分一人だけで獲得するものではないのです。
もっと言うと、良心的な行動をすると心から気持ち良い思いが出来ると知るのは、
つまりは自分の周りに、良心を発揮させてくれる人達がいるからです。
なんだか宗教じみた説法みたいで申し訳ないのですが、
理解していただけると嬉しいです。
自分の中にある良心、あるいは純粋な気持ち。
これらを頂き物と思って育てることで、
幸せな気持ちでもって、人にも幸せになってもらえる、
そんな理想が実現できたら、ステキだと思いませんか!?