行船公園の紫陽花(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
誰かと疎遠になってしまったり、期待していたことをしてもらえなかった時、
つまり「失望感」が強いほど、「もっとしてもらいたかったこと」が多くわき上がってくるものです。
特に「幸せだったなぁ…」と、いい味を知った後であればなおさらです。
これ、底なし沼のようにはまってしまいやすい感情なんですね。
失ったものや逃したものが余計によく見えてしまうのが、人間の心理です。
本当は、いくら理想が実現したところで、
それで全てが幸せになったり、全く悩みの種がないバラ色の世界が待っているわけではないのです。
つまり、「もっとしてほしかったこと」をしてもらったとしても、
100%思った通りになることはないのです。
しかし。
そんなことをいくら言ってみたって、「惜しかった」とか「悔しかった」、
「やっぱりもう少しだけ欲しかった」などと、
未練や後悔が出てしまうものです。
心は理屈通りには動かないからです。
そんなとき、私はあえて「もっと欲しかったもの」を、心おきなくリストアップしてみることをオススメします。
実際にやって下さるとわかると思うのですが、
一心不乱に「もっとしてほしかったことリスト」を挙げて、そのあとでもう一度リストを見つめてみると、意識が変わるのです。
「もっとしてほしかったこと」は、実はすべてが「これまでにしてもらったこと」なんです。
人と疎遠になったりするということは、心の隙き間が顔を覗かせるということでもあります。
すると、一生懸命に隙き間を埋めよう埋めようとしてしまう。
でも、寂しさを紛らわす方法はいくらでもあるとは言えど、結局それらは一時的なもの。
ということは、どこかで考え方を変えない限り、
ずっと人にものを求め続けることになってしまいます。
求めて求めて、しまいには自分を擦り減らすだけになってしまうことすらあるのです。
でも、「もっと」と言う代わりに「こんな自分でも、よく思い返してみればたくさんのことを与えてもらったんだ」という目で見れるようになれば、
人に求めることしか考えられない、地獄のような悪循環から抜け出せます。
「こんなことをしてもらったんだ」と考えられれば、
感謝をしたくなったり、もしかしたら胸に温かいものがこみあげてくるかもしれません。
何を隠そう、私も同じ心境になった時はだいたいこうやって抜け出しています。
ひとつの考え方として、100人に1人くらいは参考にしてくれたらな、と思います。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
誰かと疎遠になってしまったり、期待していたことをしてもらえなかった時、
つまり「失望感」が強いほど、「もっとしてもらいたかったこと」が多くわき上がってくるものです。
特に「幸せだったなぁ…」と、いい味を知った後であればなおさらです。
これ、底なし沼のようにはまってしまいやすい感情なんですね。
失ったものや逃したものが余計によく見えてしまうのが、人間の心理です。
本当は、いくら理想が実現したところで、
それで全てが幸せになったり、全く悩みの種がないバラ色の世界が待っているわけではないのです。
つまり、「もっとしてほしかったこと」をしてもらったとしても、
100%思った通りになることはないのです。
しかし。
そんなことをいくら言ってみたって、「惜しかった」とか「悔しかった」、
「やっぱりもう少しだけ欲しかった」などと、
未練や後悔が出てしまうものです。
心は理屈通りには動かないからです。
そんなとき、私はあえて「もっと欲しかったもの」を、心おきなくリストアップしてみることをオススメします。
実際にやって下さるとわかると思うのですが、
一心不乱に「もっとしてほしかったことリスト」を挙げて、そのあとでもう一度リストを見つめてみると、意識が変わるのです。
「もっとしてほしかったこと」は、実はすべてが「これまでにしてもらったこと」なんです。
人と疎遠になったりするということは、心の隙き間が顔を覗かせるということでもあります。
すると、一生懸命に隙き間を埋めよう埋めようとしてしまう。
でも、寂しさを紛らわす方法はいくらでもあるとは言えど、結局それらは一時的なもの。
ということは、どこかで考え方を変えない限り、
ずっと人にものを求め続けることになってしまいます。
求めて求めて、しまいには自分を擦り減らすだけになってしまうことすらあるのです。
でも、「もっと」と言う代わりに「こんな自分でも、よく思い返してみればたくさんのことを与えてもらったんだ」という目で見れるようになれば、
人に求めることしか考えられない、地獄のような悪循環から抜け出せます。
「こんなことをしてもらったんだ」と考えられれば、
感謝をしたくなったり、もしかしたら胸に温かいものがこみあげてくるかもしれません。
何を隠そう、私も同じ心境になった時はだいたいこうやって抜け出しています。
ひとつの考え方として、100人に1人くらいは参考にしてくれたらな、と思います。