木場公園の梅の花(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
突然ですが、質問です。
あなたに対して、どれだけの人が「笑顔でいてほしい」と思っているか、考えたことはありますか!?
おおかたの人はないと思いますし、私とて、この話を書くまで、実は考えもしませんでした(笑)
友人や身内なら、お互い助け合っている同士ですから、
「気持ちを受け取る」とか「相手に元気を送る」などという理由で、「自分が笑っていれば気も楽だろうな」というのは、
特に深く考えなくても、簡単にわかると思うんですね。
しかし、「赤の他人」とか、「関わりの薄い人」も、本当は「笑顔でいてほしい」と思っているものなのです。
これは、不特定多数に向かって「あなたは素晴らしい人だから」などと、
根拠に乏しい励ましをするために言っているのではありません。
「笑顔でいること」は、実は想像している以上に大きな影響力があるのです。
たとえば仕事をしていて、ずっとブスッとした仏頂面の人がいたら、どんな気になるでしょうか!?
神経や集中力を使う仕事、根を詰めてやらなければいけない仕事なら、表情に乏しくなる理由も明確ですから、まだ安心できるかもしれません。
しかし、理由もなくブスッとされたら、気が気でしかたないでしょう。
「気に障ることをしたか?」
「細かい見落としがあったか?」
「陰でフォローしてもらってたのか?」
…など、いくら相手の都合があろうと、ブスッとされている内は悪い気分にはなれど、
いい気分にならないことは間違いありませんよね。
だから、余程の都合がない限り、空元気でも作り笑顔でもいいから、
いくら関係の薄い人であろうと、「少し口角を上げる」位の配慮は必要なのです。
もちろん、これは仕事に限った話ではないことは、
賢い皆さんならお分かりだと思います。
もっと簡単に言うと、
・「あなたのおかげでブスッとしています」
・「あなたのおかげで笑顔でいられます」
このどちらを言われたら気分がいいかを考えれば、もう答えを待つまでもないと思います。
だから、笑顔でいれば、周りの人の居心地を良くできるのです。
そもそも、いくら関係が薄かろうと、同じ場にいる以上、お互いに居心地を刺激し合っているというのは、紛れも無い事実なのです。
そういう意識があれば、自分の表情をコントロールする大切さも
幾分かはわかってくるのではないでしょうか!?
笑顔が難しい場面で、無理に笑うことはありません。
でも、「なんでもない場面」で位なら、たまにでも笑顔を見せてみませんか。
みんながあなたの笑顔を待っているのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
突然ですが、質問です。
あなたに対して、どれだけの人が「笑顔でいてほしい」と思っているか、考えたことはありますか!?
おおかたの人はないと思いますし、私とて、この話を書くまで、実は考えもしませんでした(笑)
友人や身内なら、お互い助け合っている同士ですから、
「気持ちを受け取る」とか「相手に元気を送る」などという理由で、「自分が笑っていれば気も楽だろうな」というのは、
特に深く考えなくても、簡単にわかると思うんですね。
しかし、「赤の他人」とか、「関わりの薄い人」も、本当は「笑顔でいてほしい」と思っているものなのです。
これは、不特定多数に向かって「あなたは素晴らしい人だから」などと、
根拠に乏しい励ましをするために言っているのではありません。
「笑顔でいること」は、実は想像している以上に大きな影響力があるのです。
たとえば仕事をしていて、ずっとブスッとした仏頂面の人がいたら、どんな気になるでしょうか!?
神経や集中力を使う仕事、根を詰めてやらなければいけない仕事なら、表情に乏しくなる理由も明確ですから、まだ安心できるかもしれません。
しかし、理由もなくブスッとされたら、気が気でしかたないでしょう。
「気に障ることをしたか?」
「細かい見落としがあったか?」
「陰でフォローしてもらってたのか?」
…など、いくら相手の都合があろうと、ブスッとされている内は悪い気分にはなれど、
いい気分にならないことは間違いありませんよね。
だから、余程の都合がない限り、空元気でも作り笑顔でもいいから、
いくら関係の薄い人であろうと、「少し口角を上げる」位の配慮は必要なのです。
もちろん、これは仕事に限った話ではないことは、
賢い皆さんならお分かりだと思います。
もっと簡単に言うと、
・「あなたのおかげでブスッとしています」
・「あなたのおかげで笑顔でいられます」
このどちらを言われたら気分がいいかを考えれば、もう答えを待つまでもないと思います。
だから、笑顔でいれば、周りの人の居心地を良くできるのです。
そもそも、いくら関係が薄かろうと、同じ場にいる以上、お互いに居心地を刺激し合っているというのは、紛れも無い事実なのです。
そういう意識があれば、自分の表情をコントロールする大切さも
幾分かはわかってくるのではないでしょうか!?
笑顔が難しい場面で、無理に笑うことはありません。
でも、「なんでもない場面」で位なら、たまにでも笑顔を見せてみませんか。
みんながあなたの笑顔を待っているのです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
今日は都内あちこちを散歩した結果、計10.6Kmも歩いていました。
人と一緒じゃなくてよかったー(笑)
流れをお話しすると、
・昼過ぎ、東京駅から皇居方面へ歩き、そのまま日比谷公園へ
↓
・日比谷公園から有楽町の交通会館に行き、新幹線を撮影
↓
・梅を見たいとの思いで湯島天満宮へ行くも、まだほとんど咲いていなかったという…
↓
・「じゃあ、河津桜なら咲いているかな!?」と、木場の大横川へ行くも、またしても蕾だけで期待を裏切られる
↓
・木場公園の近くは運河とそれに沿った緑道が多いので、もしかしたら梅が咲いているかも?!!と、近くの運河を目指す
↓
・見事、「福富川公園」という公園で咲いている様を見つけ、「これまでの苦労が報われた!」と感激
↓
・そのまま清澄白河まで歩いたが、その道中で「この近くの仙台堀川(という運河)で、梅が植えてあったじゃないか」と、
あくまでまだ梅を撮ることを考え、夕闇の寒い中ながら梅をたくさん撮る
↓
・梅に満足し、門前仲町に帰ろうとすると、イルミネーションがあったのでそれに惹かれるまま隅田川方面へ
↓
・永代橋のライトアップ復活に感動し、また、ここでも河津桜が咲いていないことがわかり、
飲食店を求めて茅場町へ
↓
・自分をねぎらうかのように、あったかいうどんを食べる。
↓
帰宅…
と、こんな感じ。
一日開いていると、たいていアクティブに写真を撮ってまわっていますが、
ここまで粘ったのは、自分の中では記録的なほう。
特に木場から清澄白河を経由して茅場町まで2時間歩いた時は、
寒さもあいまって、手が真っ赤になりました。
実に充実した一日でしたが、ダメージもハンパないです(笑)
今日は早めに寝ようと思います。
今日も皆様、ありがとうございます。
今日は都内あちこちを散歩した結果、計10.6Kmも歩いていました。
人と一緒じゃなくてよかったー(笑)
流れをお話しすると、
・昼過ぎ、東京駅から皇居方面へ歩き、そのまま日比谷公園へ
↓
・日比谷公園から有楽町の交通会館に行き、新幹線を撮影
↓
・梅を見たいとの思いで湯島天満宮へ行くも、まだほとんど咲いていなかったという…
↓
・「じゃあ、河津桜なら咲いているかな!?」と、木場の大横川へ行くも、またしても蕾だけで期待を裏切られる
↓
・木場公園の近くは運河とそれに沿った緑道が多いので、もしかしたら梅が咲いているかも?!!と、近くの運河を目指す
↓
・見事、「福富川公園」という公園で咲いている様を見つけ、「これまでの苦労が報われた!」と感激
↓
・そのまま清澄白河まで歩いたが、その道中で「この近くの仙台堀川(という運河)で、梅が植えてあったじゃないか」と、
あくまでまだ梅を撮ることを考え、夕闇の寒い中ながら梅をたくさん撮る
↓
・梅に満足し、門前仲町に帰ろうとすると、イルミネーションがあったのでそれに惹かれるまま隅田川方面へ
↓
・永代橋のライトアップ復活に感動し、また、ここでも河津桜が咲いていないことがわかり、
飲食店を求めて茅場町へ
↓
・自分をねぎらうかのように、あったかいうどんを食べる。
↓
帰宅…
と、こんな感じ。
一日開いていると、たいていアクティブに写真を撮ってまわっていますが、
ここまで粘ったのは、自分の中では記録的なほう。
特に木場から清澄白河を経由して茅場町まで2時間歩いた時は、
寒さもあいまって、手が真っ赤になりました。
実に充実した一日でしたが、ダメージもハンパないです(笑)
今日は早めに寝ようと思います。
木場公園の菜の花(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
誰しも、多かれ少なかれ、不満は抱えているものです。
…といっても、「多かれ少なかれ」ですから、細かいことは我慢するか、受け流せばいい。
もちろん不満は不満ですから、溜まってきたらストレスを解消するなら、やり方を変えるなりしなくてはなりませんが、
それは「細かいこと」だからいいのです。
問題は、「細かいこと」では済まない場合です。
「どう見てもアンフェアな振る舞いをしているのに、なかなか分かってもらえない」
「たくさん負担を飲んであげたのに、感謝してくれない」
「自発的に助けたことには違いがないが、立場を考えるとお礼を強いることはできない」
たとえばこういった「一方的に損をしている」という場合、
ストレスも大きく、我慢だけでは済まないもの。
抑え込めない気持ちを抱えたままでいると、必ず人間関係もいびつになります。
関わる中で、膨大な愚痴や問題行動、及び腰といった、屈折した関わり方になってしまうもの。
しかし、飲めないものを飲む道理はありませんから、
出来るならこれは伝えたほうがいいですよね。
さて、そこで。
「不満があるんです」と伝えたい場合、どのように言えばいいか?ということが問題になってきます。
不当な思いをしているほど、この不満の伝え方というのもきつくなる。
そしてまた、言い出すまでに溜め込んだ気持ちが重いほど、言い出すまでに時間がかかるので、伝える内容も重くなる。
これは皆さん、お分かりだと思うんですね。
でも、問題は「相手はこちらの不満に気づいていない」という点です。
誰でもとっさに怖いものを見たら驚くでしょうが、
「不満を伝える顔」というのは、まさにこの「怖い顔」になっている場合が多い。
そうすると、相手が取る行動は2つです。
防衛するか逃げるかです。
だから、伝わらない。
つまり、「不満があるからといって、いきなりその心情を爆発させても、なかなか上手く伝わりにくい」のです。
…そこで、「不満を軽く伝える」というスキルが役立つのです。
重く伝えても伝わらない。
しかも、言い出すまで溜め込み続けるのですから、こちらまで重くなり、誰も得をしないわけです。
だから、簡単に、あっさりと伝えるのがいい。
あわよくば、冗談半分に言ったっていいのです。
私達はつい「伝えるか伝えないか」ばかりを重視してしまいがちですが、
そうではなくて、問題なのは「伝わるか伝わらないか」なのです。
「言うか言わないか」と主観的に見るほど「言うこと」にしか意識がいきませんから、
「相手をいかに理解させ、こちらに気持ちにそれに応えさせるか」という本来の問題が霞んでしまうのです。
軽く言えば、相手の反応も先程の逆になります。
つまり、「逃げないし、防衛的にもならない」わけです。
そしてまた、スッと言えるから、ストレスも少ない。
だから、軽く言ったほうが、いいことも多いのです。
きつく言うにしても、重く言うにしても、
軽く言って、相手の反応が変わらなかったらにすればいい。
こういう相手の反応まで読むことが、人間関係の風通しをより良くするのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
誰しも、多かれ少なかれ、不満は抱えているものです。
…といっても、「多かれ少なかれ」ですから、細かいことは我慢するか、受け流せばいい。
もちろん不満は不満ですから、溜まってきたらストレスを解消するなら、やり方を変えるなりしなくてはなりませんが、
それは「細かいこと」だからいいのです。
問題は、「細かいこと」では済まない場合です。
「どう見てもアンフェアな振る舞いをしているのに、なかなか分かってもらえない」
「たくさん負担を飲んであげたのに、感謝してくれない」
「自発的に助けたことには違いがないが、立場を考えるとお礼を強いることはできない」
たとえばこういった「一方的に損をしている」という場合、
ストレスも大きく、我慢だけでは済まないもの。
抑え込めない気持ちを抱えたままでいると、必ず人間関係もいびつになります。
関わる中で、膨大な愚痴や問題行動、及び腰といった、屈折した関わり方になってしまうもの。
しかし、飲めないものを飲む道理はありませんから、
出来るならこれは伝えたほうがいいですよね。
さて、そこで。
「不満があるんです」と伝えたい場合、どのように言えばいいか?ということが問題になってきます。
不当な思いをしているほど、この不満の伝え方というのもきつくなる。
そしてまた、言い出すまでに溜め込んだ気持ちが重いほど、言い出すまでに時間がかかるので、伝える内容も重くなる。
これは皆さん、お分かりだと思うんですね。
でも、問題は「相手はこちらの不満に気づいていない」という点です。
誰でもとっさに怖いものを見たら驚くでしょうが、
「不満を伝える顔」というのは、まさにこの「怖い顔」になっている場合が多い。
そうすると、相手が取る行動は2つです。
防衛するか逃げるかです。
だから、伝わらない。
つまり、「不満があるからといって、いきなりその心情を爆発させても、なかなか上手く伝わりにくい」のです。
…そこで、「不満を軽く伝える」というスキルが役立つのです。
重く伝えても伝わらない。
しかも、言い出すまで溜め込み続けるのですから、こちらまで重くなり、誰も得をしないわけです。
だから、簡単に、あっさりと伝えるのがいい。
あわよくば、冗談半分に言ったっていいのです。
私達はつい「伝えるか伝えないか」ばかりを重視してしまいがちですが、
そうではなくて、問題なのは「伝わるか伝わらないか」なのです。
「言うか言わないか」と主観的に見るほど「言うこと」にしか意識がいきませんから、
「相手をいかに理解させ、こちらに気持ちにそれに応えさせるか」という本来の問題が霞んでしまうのです。
軽く言えば、相手の反応も先程の逆になります。
つまり、「逃げないし、防衛的にもならない」わけです。
そしてまた、スッと言えるから、ストレスも少ない。
だから、軽く言ったほうが、いいことも多いのです。
きつく言うにしても、重く言うにしても、
軽く言って、相手の反応が変わらなかったらにすればいい。
こういう相手の反応まで読むことが、人間関係の風通しをより良くするのです。
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こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
いやー、気持ちがいいですなー!!
今日は東京都心でお散歩をしているのですが、
陽射しが優しく、あったかいです。
こういう刺すような寒さの毎日だと、お日様のありがたみも倍増というものですね。
さーて、次はどこに行こうかな(*≧▽≦)
今日も皆様、ありがとうございます。
いやー、気持ちがいいですなー!!
今日は東京都心でお散歩をしているのですが、
陽射しが優しく、あったかいです。
こういう刺すような寒さの毎日だと、お日様のありがたみも倍増というものですね。
さーて、次はどこに行こうかな(*≧▽≦)
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
実はこの3日間、毛布も十分に掛けず、ウトウトして気がついたら朝の4時…と、
こんな悲惨なパターンが続いていたのですが、今日はきちんと毛布もかけて、ゆっくり眠れそうです。
やっぱり普通に眠るのが一番ですよね(笑)
おやすみなさい!
今日も皆様、ありがとうございます。
実はこの3日間、毛布も十分に掛けず、ウトウトして気がついたら朝の4時…と、
こんな悲惨なパターンが続いていたのですが、今日はきちんと毛布もかけて、ゆっくり眠れそうです。
やっぱり普通に眠るのが一番ですよね(笑)
おやすみなさい!
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
今日も寒かったですねー{{(v_v;)}}
あまりに寒いと、部屋の室温が低くても、風がないだけで幸せに思えます(笑)
暖房器具を使いつつ、ゆったりパソコンを。
いやー、こういう時が至福なんです、個人的に。
今日も皆様、ありがとうございます。
今日も寒かったですねー{{(v_v;)}}
あまりに寒いと、部屋の室温が低くても、風がないだけで幸せに思えます(笑)
暖房器具を使いつつ、ゆったりパソコンを。
いやー、こういう時が至福なんです、個人的に。
梅の花(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
自分を出来るだけ正しく評価するには、どうすればいいでしょうか!?
口で言うのは簡単です。
「私は〇〇な人間ですから」とか「私の実績はこれこれこうですから」と言えば、たしかにもっともらしく聞こえることもあるでしょう。
しかし、どんな人でも、自分を見る目は歪んでいるものです。
これは「人間は自分がかわいい生き物だから」というの理由もあるのですが、
他人とは違って、「自分がどんな条件や環境にあったか」がわかるので、
「こういう環境だったから、しかたないよね」とか「この条件でよくても仕方がない」など、
いくらでも情状酌量や補整が利くのです。
ところが、他人のこととなると、いくら相手の置かれた場を想像しても、完全に理解することはできません。
だからこそ、極端な話、たとえ自分と同じ環境で同じ心境であったとしても、
100%同じ評価を下すことはできないわけです。
さて。
「自己紹介」的に自分の能力を省みてもフェアさに疑問が残るで以上、
「どうすればより正しく自分を評価できるか」を考えなければいけません。
その「より正しく自分を評価する方法」とは、一体なんでしょうか!?
…答えは、「他人に何ができるか、してあげられるか」です。
たとえば、誰かに「100円貸してください」と言われたら、普通はそう難なく貸してあげられますよね。
でも、これが100円でなく100万円とか100億円だったら、
「それは無理…」となるのではないでしょうか。
つまり、無い袖が振れない以上、過大評価にはならないわけです。
どんなに「私はお金持ちなんです」と言っても、人のために使う以上、具体的な額も必要になってくる。
こういう筋道を通れば、「自分の力の上限」がわかりますよね。
残りは「過小評価」の番ですが、これは簡単です。
「最大限、人に貸してあげられる力」を実力と呼ぶのなら、
出し惜しみさえしなければ、つまり、「最大の部分」を探っていけば、
必ず「ここ!」という部分が見つかるハズです。
要は「正しく自己評価をする」のですから、最大限を出し切っていれば、振れ幅も小さくなるのではないでしょうか。
ゆえに。
「正しく自己評価ができる人」というのは、つまりは「他人のための力を惜しまない人」ということになります。
日頃から人のためにできていること、それが実力なのです。
自分の実力がわかれば、自信にも結び付き、それがまた人のためにということで、力も伸びるわけです、
出来る範囲で構いませんから、自分を出し切るようにしましょう。
それが、幸せへの近道なのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
自分を出来るだけ正しく評価するには、どうすればいいでしょうか!?
口で言うのは簡単です。
「私は〇〇な人間ですから」とか「私の実績はこれこれこうですから」と言えば、たしかにもっともらしく聞こえることもあるでしょう。
しかし、どんな人でも、自分を見る目は歪んでいるものです。
これは「人間は自分がかわいい生き物だから」というの理由もあるのですが、
他人とは違って、「自分がどんな条件や環境にあったか」がわかるので、
「こういう環境だったから、しかたないよね」とか「この条件でよくても仕方がない」など、
いくらでも情状酌量や補整が利くのです。
ところが、他人のこととなると、いくら相手の置かれた場を想像しても、完全に理解することはできません。
だからこそ、極端な話、たとえ自分と同じ環境で同じ心境であったとしても、
100%同じ評価を下すことはできないわけです。
さて。
「自己紹介」的に自分の能力を省みてもフェアさに疑問が残るで以上、
「どうすればより正しく自分を評価できるか」を考えなければいけません。
その「より正しく自分を評価する方法」とは、一体なんでしょうか!?
…答えは、「他人に何ができるか、してあげられるか」です。
たとえば、誰かに「100円貸してください」と言われたら、普通はそう難なく貸してあげられますよね。
でも、これが100円でなく100万円とか100億円だったら、
「それは無理…」となるのではないでしょうか。
つまり、無い袖が振れない以上、過大評価にはならないわけです。
どんなに「私はお金持ちなんです」と言っても、人のために使う以上、具体的な額も必要になってくる。
こういう筋道を通れば、「自分の力の上限」がわかりますよね。
残りは「過小評価」の番ですが、これは簡単です。
「最大限、人に貸してあげられる力」を実力と呼ぶのなら、
出し惜しみさえしなければ、つまり、「最大の部分」を探っていけば、
必ず「ここ!」という部分が見つかるハズです。
要は「正しく自己評価をする」のですから、最大限を出し切っていれば、振れ幅も小さくなるのではないでしょうか。
ゆえに。
「正しく自己評価ができる人」というのは、つまりは「他人のための力を惜しまない人」ということになります。
日頃から人のためにできていること、それが実力なのです。
自分の実力がわかれば、自信にも結び付き、それがまた人のためにということで、力も伸びるわけです、
出来る範囲で構いませんから、自分を出し切るようにしましょう。
それが、幸せへの近道なのです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
すごく綺麗な碁石を買いました!
私は囲碁の初段を持っている…と、たまーに自慢がてらお話ししてたじゃないですか(笑)
それで、「囲碁ガールとか言われてるし、いろんな色の碁石があってもいいんじゃないか」と思って検索していたら、
なんと、カラフルな碁石があることを知りました!
お手頃価格ということもあり、通販で入手。
ちなみに色は、私が好きなピンク一択でした。
ピンクといっても派手なものではなく、、写真のような品のある桜色をしています。
こうして見ると、作りが上品なこともあり、普通の碁石と一緒に使っても違和感はありませんよね。
販売元は、「囲碁ショップ「彩」」さんです。
興味のある皆さんは、ぜひ覗いたり、注文してみてくださいね!
↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
今日も皆様、ありがとうございます。
すごく綺麗な碁石を買いました!
私は囲碁の初段を持っている…と、たまーに自慢がてらお話ししてたじゃないですか(笑)
それで、「囲碁ガールとか言われてるし、いろんな色の碁石があってもいいんじゃないか」と思って検索していたら、
なんと、カラフルな碁石があることを知りました!
お手頃価格ということもあり、通販で入手。
ちなみに色は、私が好きなピンク一択でした。
ピンクといっても派手なものではなく、、写真のような品のある桜色をしています。
こうして見ると、作りが上品なこともあり、普通の碁石と一緒に使っても違和感はありませんよね。
販売元は、「囲碁ショップ「彩」」さんです。
興味のある皆さんは、ぜひ覗いたり、注文してみてくださいね!
↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
※μtough-6020で撮影
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
無性にすき焼きが食べたくなり、すき焼き鍋をやりました。
外がしんしんと冷えている中での鍋料理はたまらないですね。
たまらなくおいしかったです。
あと、私は普段、生卵とお酢は採るので、すき焼きはちょうどいいんですよ。
具材からなにから簡単にやったんですが、
これがまた、実は手軽さが良くて、
おいしさと合わせて、またやってみようと思う理由になりました。
今度はマトモに仕込んで、食べてみようと思いました。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
無性にすき焼きが食べたくなり、すき焼き鍋をやりました。
外がしんしんと冷えている中での鍋料理はたまらないですね。
たまらなくおいしかったです。
あと、私は普段、生卵とお酢は採るので、すき焼きはちょうどいいんですよ。
具材からなにから簡単にやったんですが、
これがまた、実は手軽さが良くて、
おいしさと合わせて、またやってみようと思う理由になりました。
今度はマトモに仕込んで、食べてみようと思いました。
梅の花(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という言葉はあります。
「やり過ぎるのは、至らないのと同じ位よくないことだよ」という意味ですが、
そうとなれば、「どこまでが適正範囲なのか」ということがわかっていないと、おっかなくてしかたがないでしょう。
さて。
世の中には「嫌な人」や「合わない人」がいるものですが、
その「自分と反りが合わない理由」は、自分と正反対の性格だからということがあるものです。
几帳面な人とルーズな人、
バランスを考える人と白黒ハッキリさせる人、
自信家の人と謙虚な人、
自己主張のきつい人と折れるのが得意な人、
せっかちな人とおおらかな人、
たとえばこんな組み合わせになった時、お互いに補い合って協力できればいいのですが、
お互いの価値観ややり方が違い過ぎるがために、反発し合うこともありますよね。
だから、「あんな奴、理解できない」とか「絶対あんな風にはなるもんか」と、
相手が憎たらしいほど、意固地になってしまうこともあるでしょう。
ところが。
この「意固地さ」が、自分の障害になってしまうことがあります。
たとえば、「几帳面にすべきだ」ということで、ルーズなことが大嫌いだという価値観の人がいます。
しかし、その徹底した几帳面さのために、かえって人を遠ざけてしまうようになったら、
そこは「少しはルーズになろうよ」ということになる。
でも、本人からすればこの「ルーズ」というのは死んでも嫌なわけです。
あれほど憎たらしい「ルーズさ」を受け入れるなんて、
自分を曲げるばかりか、なによりそれまで正しいこと、いいことだと信じていた「几帳面さ」を否定することにもなりかねないからです。
あんなにも嫌っていた方向になんて、一歩も進みたくないわけです。
こんな場合、どう考えれば上手に「几帳面さ」を緩められるでしょうか!?
実は、こういう「ある特定のことが大嫌い」という場合、「極端な例を考え過ぎているだけ」なのです。
先の「几帳面さをこよなく大切にしている人」からすれば、
「ルーズ」というと、「約束という約束を右から左に流し、風紀をことごとく乱す」というように取ってしまうわけです。
そしてまた、周りにそういう「悪い実例」があればあるほど、自分のスタイルを崩すことに頑なになってしまう。
しかし、ここで必要とする「ルーズさ」は、「ちょっとだけ甘くなりませんか」というだけで、
物事全てをいい加減にこなしましょうといっているのでは、決してないわけです。
世の中のたいていの「嫌な奴」も、実は行き過ぎなだけで、度を超さなければ「いい奴」だったりもするのです。
でも、たまたま行き過ぎているがために、あんなにも「嫌な奴」だと思っていた人の性質を経由しなければ上手くいかないから、
自分がその人と似た振る舞いをしなければならなくなった時、いたく辛い思いをしてしまう。
でも、そこまでいかなきゃいいのです。
行き過ぎなければ、歯止めを自分でかけられれば、「嫌な奴」にはならないし、なにより適応の幅が広がります。
肩の力を、ちょっと抜くか入れるかすればいいだけ。
いずれにしても、「やり方や考え方を変える」からといって、
自分を全て変えたり、まして全否定する必要なんて、本当はどこにもないのです。
自分のこだわりは貫いていいのです。
ただし、「極端だと柔軟性を失うから、気をつけて下さいね」ということ。
意固地にも良し悪しがあるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という言葉はあります。
「やり過ぎるのは、至らないのと同じ位よくないことだよ」という意味ですが、
そうとなれば、「どこまでが適正範囲なのか」ということがわかっていないと、おっかなくてしかたがないでしょう。
さて。
世の中には「嫌な人」や「合わない人」がいるものですが、
その「自分と反りが合わない理由」は、自分と正反対の性格だからということがあるものです。
几帳面な人とルーズな人、
バランスを考える人と白黒ハッキリさせる人、
自信家の人と謙虚な人、
自己主張のきつい人と折れるのが得意な人、
せっかちな人とおおらかな人、
たとえばこんな組み合わせになった時、お互いに補い合って協力できればいいのですが、
お互いの価値観ややり方が違い過ぎるがために、反発し合うこともありますよね。
だから、「あんな奴、理解できない」とか「絶対あんな風にはなるもんか」と、
相手が憎たらしいほど、意固地になってしまうこともあるでしょう。
ところが。
この「意固地さ」が、自分の障害になってしまうことがあります。
たとえば、「几帳面にすべきだ」ということで、ルーズなことが大嫌いだという価値観の人がいます。
しかし、その徹底した几帳面さのために、かえって人を遠ざけてしまうようになったら、
そこは「少しはルーズになろうよ」ということになる。
でも、本人からすればこの「ルーズ」というのは死んでも嫌なわけです。
あれほど憎たらしい「ルーズさ」を受け入れるなんて、
自分を曲げるばかりか、なによりそれまで正しいこと、いいことだと信じていた「几帳面さ」を否定することにもなりかねないからです。
あんなにも嫌っていた方向になんて、一歩も進みたくないわけです。
こんな場合、どう考えれば上手に「几帳面さ」を緩められるでしょうか!?
実は、こういう「ある特定のことが大嫌い」という場合、「極端な例を考え過ぎているだけ」なのです。
先の「几帳面さをこよなく大切にしている人」からすれば、
「ルーズ」というと、「約束という約束を右から左に流し、風紀をことごとく乱す」というように取ってしまうわけです。
そしてまた、周りにそういう「悪い実例」があればあるほど、自分のスタイルを崩すことに頑なになってしまう。
しかし、ここで必要とする「ルーズさ」は、「ちょっとだけ甘くなりませんか」というだけで、
物事全てをいい加減にこなしましょうといっているのでは、決してないわけです。
世の中のたいていの「嫌な奴」も、実は行き過ぎなだけで、度を超さなければ「いい奴」だったりもするのです。
でも、たまたま行き過ぎているがために、あんなにも「嫌な奴」だと思っていた人の性質を経由しなければ上手くいかないから、
自分がその人と似た振る舞いをしなければならなくなった時、いたく辛い思いをしてしまう。
でも、そこまでいかなきゃいいのです。
行き過ぎなければ、歯止めを自分でかけられれば、「嫌な奴」にはならないし、なにより適応の幅が広がります。
肩の力を、ちょっと抜くか入れるかすればいいだけ。
いずれにしても、「やり方や考え方を変える」からといって、
自分を全て変えたり、まして全否定する必要なんて、本当はどこにもないのです。
自分のこだわりは貫いていいのです。
ただし、「極端だと柔軟性を失うから、気をつけて下さいね」ということ。
意固地にも良し悪しがあるのです。