雀の手箱

折々の記録と墨彩画

テレビが呼ぶ旧友

2016年05月29日 | できごと
 昨年は終戦後70年ということで、「私の戦争体験」をと依頼されて投稿しました。その後、年初に北九州市役所や、民間団体からの取材でDVDの撮影などがありました。今回は、市役所からの電話で、「テレビ局の九州朝日の「土曜モ朝デス」という番組が、小倉造兵廠で風船爆弾を作っていた女学生を探しているが見つからないで困っている。もし体調が良ければ取材に応じていただけないか。今日の明日という話で申し訳ないが」という趣旨の話がありました。木曜日は夫はショートステイに出かけているので、私は、午前中は整形外科で自分のリハビリと注射があるけれど、午後なら空いていますと返事しました。

 総勢4名。撮影機材を持ち込んでの取材は1時間余りで、小倉に投下されるはずの爆弾が黒煙と厚い雲のために第二目標の長崎へ針路を変更したことや、風船爆弾の製作の実際。当時の生活などの質問がありました。前と同じようなことの繰り返しながら、来訪された方たちはどなたも当然戦後生まれの方々なので、話がかみ合わないと思うことも多々ありました。
 当時の写真をと言われても、その頃写真機を日常的に使うのは専門分野の人だけ、デジカメや携帯電話での撮影が日常なのとは訳が違うし、許可もなく写真でも撮れば手が後ろに回ったはずです。16歳の女学生が詰め込みの寮に合宿して12時間勤務の昼、夜勤をしていたのを想像するのは難しいようでした。
G7の会合の後、来訪中のオバマ大統領が広島を訪問することに関連しての取材のようでした。

 翌日の放映は、短く編集されていましたが、多角的な取材で構成されていて、大体の状況は伝わったと感じました。放送の後、思いがけない人々からの電話が続いて驚いたことです。同じ女学校の友人たちから、放映を見た、懐かしかったと5本もの電話がありました。買い物にでかけても、テレビで見ましたと声を掛けられたりしました。

 この分だと、DVDに編集され、各学校に平和教育の素材にと市が配布したものを目にする方たちが増えるとなると、いささか気が引ける思いもありますが、この国の過去の紛れもない歴史の事実を知って、不戦の誓いの一助になるのなら老醜をさらすのも、以て瞑すべしかもしれません。





昨日から降り続く雨の中、紫陽花が時を得た顔をのぞかせて色づいてきました。



 わか楓の黄緑はやはり晴れの日の方が似合いそうです。赤いプロペラを見せる花も雨の中ではひっそりと。