柿の木はすっかり葉を落として裸木となりました。そのそそけだつ枝を伸ばした梢近く、蒼空を背景に大きな色鮮やかな赤い実を一つ残す木守り柿の風習を奥ゆかしいものに思います。
自然の恵みに感謝して、来年も沢山の実りをいただけますようにと祈りを籠め、また、鳥たちへの思いやりでもあるでしょう。俳句の世界では冬の季語となっているようです。
まず呼び方なのですが、当地では「きもりがき」が圧倒的だと思いますが、地方や、人によっては「きまもりがき」「こもりがき」とも呼ばれているみたいです。
収穫するとき、1個か2個の大きな実を木に残しておく習わしは、蜜柑やほかの果物にもあるようですが、やはりその鮮やかさ、季節からも柿が主力でしょう。
三好達治の[残果]という詩に、木守り柿が謳われていますが、そこでは、「鴉のとりも鵯も 尊みてついばまずけり」といっていますが、仁義を解しない今どきのカラスは,不届きにも、ものの三日も口をつけずにいても、1週間とせぬうちに,そっくり攫っていきます。
吊るし柿も甘味が濃く出て、やわらかく今が食べ時となりました。今日は奈良から妹たちが車で来ているので少しばかり持参しました。初めてにしては上出来と満足しています。柿膾を酒の肴にと思っています。
相国寺の帰りに立ち寄ったころまではまだ元気に歩けましたが。
今様の楽より、やはり古いものの方に惹かれます。
私は志野や、信楽を好みましたが、お茶をいただくときは主人の楽でいただいています。
赤楽の木守、村雨など命名の妙にも惹かれますね。
思いがけない展開を恵送くださったこと感謝しています。
東風さんにお似合いの物静かな美術館だったと思います。畳敷きだったかのような印象が残っています。それでも、もう一度機会があれば訪ねてみたいと思っています。
長次郎はやさしさの中に凛としたたたずまいを見せて、人を静かに包み込みます。「勾当」の黒楽を覚えています。